レッドソックスファンの好事家ブログ



ティム・ハドソン


オーバーン大学在学中の1997年、ドラフトでオークランド・アスレチックスに6巡目指名されて入団。

140キロ台後半のツーシーム系の速球で打者をゴロで打たせるタイプ 。変化球は手裏剣高速シンカー、スライダー、スプリッター、チェンジアップで丁寧に低目をつきます。

1999年はAA級で3連勝を記録、AAA級へ昇格してからも4連勝を記録。球団はハドソンをメジャーへ昇格させ、6月8日のパドレス戦でメジャーデビュー。5回を投げ、初登板のアメリカンリーグタイ記録となる11奪三振記録。そのまま先発ローテーションに定着し、21試合の先発で11勝2敗を記録。オークランド移転後の新人選手(10勝以上)の中で最も高い勝率.846をマークし、防御率3.23。


2000年はオールスター開催までに球団史上8年ぶりに2桁勝利を7月2日にマーク、オールスターに選出。8月28日以降は2完封を含む7戦7勝で9月のピッチャー・オブ・ザ・マンスを受賞。王冠1自己最多の20勝を挙げ、デビット・ウェルズ と共に最多勝利のタイトルを獲得。チームを8年ぶりの地区優勝。王冠1


2001年は4月2日の開幕投手に指名され、リーグ最多の35試合に先発登板し、18勝9敗を記録。2002年は初めて防御率2点台を記録し、2003年、自己ベストの防御率2.70、自己最多の240イニングを投げ、16勝7敗。2004年はリーグ最多の2完封で12勝6敗を記録。シーズン終了後の12月16日にトレードでアトランタ・ブレーブスへ移籍


2005年シーズン終了後にFA権を取得するため球団は2005年3月1日に4年総額4,700万ドル、2010年は球団オプションでこれを含めると5800万ドルの契約を締結 お金移籍1年目の2005年は6月から7月にかけて斜腹筋を痛め一時離脱したものの、後半戦の15先発すべてで6イニング以上投げ、8月は2試合連続完投勝利を挙げるなど安定した投球を披露。シーズントータルで14勝9敗、防御率3.52をマーク。また、8月6日のセントルイス・カージナルス戦では、202試合目の登板で通算100勝を達成。


2006年は1年を通して先発ローテーションを守り、リーグ最多の35試合に先発登板。5月1日には被安打1で完封勝利。しかし、防御率がリーグ平均を上回る4.86。特に6月16日から7月1日の間は2002年5月4日から5月19日以来の4先発4連敗 。7月29日のメッツ戦では2003年5月30日以来となる自己ワーストタイの9自責点をマーク。7月の防御率は8.80、シーズントータルの防御率は5点台にまで悪化するなど、絶不調。ダウン


2007年は制球が定まり、打者一人当たり3.42球は自己最小。6月25日から8月20日日にかけてこの年のリーグ最長となる9連勝をマークし、2年連続で200投球回を上回り、4シーズンぶりに15勝以上をマーク。2008年は7月までに11勝をマークするなど順調でしたが、8月にトミー・ジョン手術を受け、残りのシーズンは全休。病院

2009年オフに新たに3年2800万ドルの契約を締結。お金3年目はクラブオプションです。FA市場に出れば、もっと高額のオファーはあったでしょうが、出身地のジョージア州を本拠地にする球団のため、市場価値よりも安い金額で契約延長に応じました。

2010年は復活。17勝9敗、防御率2,83、228回3分の2を投げて、139奪三振、与四球74。カムバック賞も受賞しましたクラッカー

2011年も16勝10敗、防御率3,22、215回を投げて、158奪三振、与四球56。


メジャーリーグの投手としては小柄な185センチの体を目一杯に使って、シンカーやスプリッターなどを低めに投げ分ける投球をしてくるティム・ハドソン

好投手が揃うブレーブス先発陣の中でも飛び抜けた活躍をしています。


<最終更新日 2012年7月26日>