レッドソックスファンの好事家ブログ


バートロ・コロン


全盛期は極端なショートアーマーの腕の振りから投げる最速101マイルのフォーシームは非常に良く伸び、ツーシームは食い込むように動き、カーブのように大きく変化しプレート上を横切るスライダーとサークルチェンジを武器手裏剣としていた。エンゼルス移籍後はシンカーや、マリアーノ・リベラ から握りを教わったカット・ファスト・ボールを習得し、多彩な変化球を投じる技巧派へシフトチェンジ。


1993年6月にクリーブランド・インディアンズに契約金30万ドルで入団。1997年4月4日にメジャーデビュー。黄金期のインディアンズにおいてエースとして活躍。1998年は6月にピッチャー・オブ・ザ・マンスを受賞するなど、前半戦は9勝4敗・防御率2.46を記録し、オールスターに選出され、勝ち投手。後半戦は5勝5敗、防御率5.65。この年は地区優勝を果たし、初めてのポストシーズンを経験。レッドソックスとのディビジョンシリーズ第4戦に先発し、5回2/3を1失点。ヤンキースとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第3戦に先発し、4安打1失点の完投勝利。インディアンズの投手がポストシーズンで完投を記録するのは、1954年のワールドシリーズ第1戦でボブ・レモンが記録して以来。

1999年は18勝5敗、防御率3.95と2年連続2桁勝利。

2001年、14勝12敗、防御率4.09と前年より成績は悪化したが、ディビジョンシリーズでマリナーズ戦第1戦に先発し、8回6安打無失、10奪三振で勝利。チームは2勝3敗で敗退・・・。

2002年シーズン途中にリー・スティーブンスブランドン・フィリップスグレイディ・サイズモアクリフ・リー の交換要員としてティム・ドリューと共にモントリオール・エクスポズへトレード移籍。同年、両リーグそれぞれで10勝で20勝達成。MLB史上、2人目の快挙。クラッカー

2003年1月15日にシカゴ・ホワイトソックスへトレード移籍。15勝13敗、防御率3.87と前年より悪化したが、自己最多・リーグ最多タイの9完投を記録。12月9日に4年総額5,100万ドルお金アナハイム・エンゼルスに移籍。2004年は18勝するも防御率は5.01。

2005年は自己最多の21勝で防御率も3.48。しかし、シーズン最後の2ヶ月間は腰痛に苦しみ、ニューヨーク・ヤンキースとのディビジョンシリーズ第5戦では2回途中で肩に激しい痛みが走り降板。その後、チームはリーグチャンピオンシップシリーズへ進出したが、このシリーズでは登板機会はなく、シカゴ・ホワイトソックスに1勝4敗で敗退。シーズン終了後にサイ・ヤング賞を受賞。クラッカー


2006年は4月16日に右肩の回旋筋を痛め、6年振りの故障者リスト入り。6月中旬に復帰後も右腕痛で7月下旬にシーズン絶望となるなど自己最低の成績。手術を検討されたが、筋肉強化のリハビリテーションなどで回復。2007年シーズンも怪我のために防御率6点台の不振。2007年シーズン終了後フリーエージェントとなり、2008年2月25日にボストン・レッドソックスとマイナー契約。5月21日に昇格しメジャー復帰。そして同日本拠地フェンウェイ・パークでのロイヤルズ戦にて先発登板をし、5回を被安打6四球2に抑えて勝利。5月末にメジャー復帰し、7試合の登板で4勝2敗、防御率3.92。

2009年1月15日、シカゴ・ホワイトソックスと1年100万ドルで契約。お金3勝6敗、防御率4.19。

2011年1月26日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約。お金オープン戦では結果を残し、フレディ・ガルシア と共にロースター入り。8勝10敗、防御率4.00も6年ぶりに100イニングを突破。

2012年はアスレチックスと1年200万ドルで契約。


インディアンズのエースだったころはとにかく速球が素晴らしかったイメージがあります。一見、下半身を上手く使えていないのかな?と思いますが、あれだけの球を投げられるのですから、やはり強靭な下半身を持っているのでしょう。使えていないように見えてしっかり使っているんですね。シフトチェンジをしたスタイルでどこまで投げ続けられるのか?注目です。