「…ふぅ~~。」
キョーコが冷蔵庫へと向かった後。咳き込みから脱することができた蓮は、眦に溜まった自身の涙を拭っていた。
…今日はなんだかよく涙が出る日だ、などと思いながらも…キョーコの手料理を口にできる喜びと、伝えた胸の内の想いに小さく笑みを浮かべる。
「リック……。」
胸に誓うのは、たった一つ。
今も幸せになりたいと思うことに抵抗はある。手放しに自分の幸福を願うにしては、背負った罪の意識は小さなものではない。
それでも…。その『罪』を背負いながらも、幸せになりたいと、願う。
「…忘れないよ……。」
彼のことも、背負う罪の事も忘れはしない。けれど、キョーコを守りたい。…守り、慈しむために…傍にいたい。出来うる限り、傍に。
だが、キョーコの傍にいることは、そのまま蓮の幸福に結びつく。それが決して男女の関係ではなかったとしても、ただ一緒にいるというだけで、幸せになれてしまうのだ。それほどまでに、蓮のキョーコへ向ける想いは深い。
「…いい、だろうか…?」
問えば、脳裏の青年は笑ってみせる。…それが、蓮が見せる単なる願望であったとしても…それでも、よかった。
「……ありがとう……。」
呟き、蓮は最後の一口となっていたオムライスを口の中に放り込む。…自身が作った『マウイオムライス』と同じ材料でできているとは到底思えない、過去の思い出深い食べ物を食べ終え、蓮は「ごちそうさまでした。」と手を合わせた。
「…………。」
久々におとずれた満腹感と共に、ゆっくりと、込み上げてくる感情がある。胸がほっこりと、温まるような…くすぐったいような想いが次から次へと押し寄せてくる。
キョーコが傍にいる。それを感じることができて。…また、彼女が作ってくれた料理を食べることが、できて。
幸せだ、と。どうしようもなく、思ってしまう。
「それにしても…」
押し寄せる幸福感は、度を超えるとその次を求めかねない。蓮は込み上げる感情を意識的に抑えつけるつもりでぽつりと呟いた。
ミネラルウォーターを取りに行ったキョーコの帰りが遅い。軽く噎せただけだったので、特に水分を必要とすることなく治まったが、勢いよくキッチンに飛び込んでいった少女の様子を考えると、本当ならば噎せている間にこの場に帰ってきていたはずだ。
「……?」
蓮は小首を傾げつつ、食べ終わった皿とスプーンを持つとリビングからキッチンへと歩を進めた。
「ご馳走様でした。…あの…最上さん?」
シンクに皿とスプーンを置いて周囲を見渡すと、キッチンの隅にある、蓮が使用している冷蔵庫の前にキョーコの姿があった。
キョーコは、確かに冷蔵庫を開けていた。…だが、その中をガサゴソと漁っている……。
「え~と…あの、オムライス、美味しかったよ。」
何かを物色するかのように懸命に冷蔵庫内を覗き込むキョーコ。蓮が声をかけているのも気付かない様子に、彼は戸惑いつつも声をかけた。
「モ~~~ッ!!何よこれ~~~~!!!!」
「!?え!?」
何やら妙な空気を発するキョーコに、そろり、そろりと近付いていき…再度、声をかけようとした瞬間。キョーコは彼女の某親友のような怒声を放ち、顔を上げた。
「つぅ~~~るぅ~~~がぁ~~~さぁ~~~ん……」
「え。あ、…うん?」
ゆっくりと冷蔵庫から蓮へと視線を移すキョーコ。記憶の中ではいつも愛らしい笑みを浮かべてくれていたその姿は…「ギョンッ」という音が聞こえそうなほど目を鋭利にし、おどろおどろしいものを背負っていた。表情はおよそ人間の女の子とは思えないものと化している。
「これは…どういうことですかね……?」
「え……?」
ガサリ、カチン、コツン…とビニールがこすれる音と瓶の重なりあう音を立てつつキョーコが差し出したものは、大量の空き瓶が放り込まれたゴミ袋であった。
「日本酒…焼酎…ウィスキー…これは…ジン、ですかね??それからこれは……」
「…………。」
わざわざゴミ袋から空き瓶を取り出し、そのラベルを確認しつつ蓮に言葉を投げかける声は、沸々と湧きたつ怒りに満ちていた。
「それから。この冷蔵庫の中身についても説明していただけますか?」
「…………。」
「なんとかインゼリー、ビール、なんとかインゼリー、ミネラルウォーター、なんとかインゼリ―、日本酒の大吟醸、なんとかインゼリー…」と、冷蔵庫から一品ずつ取り出して製品名を告げていくキョーコ。冷蔵庫からは「ピー、ピー」とアラームが鳴り響いていたが、キョーコはそれを完全無視して冷蔵庫の中身を取り出し続ける。
「あの…ごめん、最上さん…。分かったから……」
「何が分かったんですか!?なんですか、この栄養補助食品とお酒と水しか入っていない冷蔵庫は~~っ!!」
バタンッと冷蔵庫を閉じる音と共にアラームは消える。だが、キョーコの怒りは消えなかった。