○月×日 15:00 Aスタジオにて
「ゴクリ…」と喉がなる音が耳に響いた。撮影のために使用している機材が発する音しか聞こえない世界の中で、喉を鳴らすその音はやけに大きく響いた。
ビクリと跳ねあがるほど驚いてしまったその音の発信源は…。
俺自身の、喉だった。
「…はい、カット~~!!OK!!」
震える声でそう言ったのも、俺だった。…俺以外の人間は全て、彼らの視線の先にいる人物を見つめて固まっている。
呆然とたった一人の人物を見つめているスタッフや、貴島を始めとした役者陣を見回した後。俺も改めて衆目を集めている少年…のような少女を見た。
彼女は、泣いていた…。嗚咽一つ漏らすことなく、ただ静かに。
直前に青年が触れた、自身の髪の一房を愛しそうに握りしめながら。幸せそうに…。だが、苦しそうに泣いていたのだ。
「ありがとうございました。…あの、いかがでしたか…?」
俺のカットの声にいち早く反応したのは、助監督でもなければ、カメラマンでもなかった。…彼らは未だ、視線の先の人物…キョーコちゃんを見つめたまま、呆然とし…カメラを回し続けていた。
「うん。…いいね。『白雪』の気持ちが出ていたよ。」
「そうですか?よかった……。」
えへへ…と笑うキョーコちゃんは、どピンク繋ぎを着て走り回っていたキョーコちゃんと何一つ変わらない。…変わらないのに……。
「キョーコちゃん…。」
「はい?何ですか?」
純粋無垢なる微笑みを浮かべる少女は、一見すると能天気そうだ。それこそ、その辺で友人とジャンクフードを食べながらファッションや恋について楽しそうに話をする学生達と変わらない雰囲気がある。どこにでもいる女子高生…そう見えるのに。
「いや、何でもないよ。それじゃあ撮影に入ろう。一度メイクを直してきてくれる?」
「はい、分かりました。」
「失礼いたします。」と綺麗に一礼して去るキョーコちゃんを見送った後…。
「ふぅ~~~……」
身体に残る緊張感を解きほぐすために意識して息を吐きだした。だが、鼓動が鳴り響くことも、身体がゾクゾクと震えるのを止めることもできない。
…俺の目の前には、俺の想像以上の『白雪』がいる。叶わない恋に苦しみながらも、相手の幸せを祈る究極のヒロインが。
監督としての俺は、今、最高の作品が出来上がることへの歓喜に震えている。だが、監督ではない俺は…。
「一体どんな相手を好きになったらあんな表情ができるんだ…?」
17歳。年若い少女が浮かべる表情としては、あまりにも大人びており…悟りすぎている表情だった。様々な経験を積み、熟練された演技力を持つ女優でさえもあんな雰囲気を出すことができるだろうか?
「わっるい男に遊ばれているみたいですよ、彼女。」
「え?」
思わず出てきた疑問に、すぐさま答える声がある。視線を俺の左へと向けると、そこにはいつの間にか貴島が立っていた。
「いやぁ…本当に京子ちゃんには毎回驚かされるなぁ~~…。」
「はぁ~~~~…」と溜息を吐く貴島の頬は赤い。きっと、キョーコちゃんのあの表情にあてられたのだろう。
相手を想う、深い愛情。それに反して…相手の幸せを、心から祝えない苦しみ。それでも、「幸あれ」と、願う気持ち。
『白雪』の中の、至福の喜びと身を切り裂くほどの痛みを、キョーコちゃんは見事に表現していた。そんなキョーコちゃんが発する色香は、例え姿が少年のようなものであったとしても抑えられるものではなく…。
現在、俺を含めてこの現場にいる人間は男女問わず、彼女に惚れてしまっているだろう。
「悪い男って、どういうことだ?」
「そのままの意味ですよ。どこの誰だか分りませんが、その男に京子ちゃん、生涯純潔を守り抜くって約束しているみたいなんです。」
「……。…は?」
苦々しい表情をした貴島。プレイボーイで有名な男から、妙に昭和の匂いがする言葉が飛び出した。