「あっ……」
呆然と、蓮を見つめていたキョーコの瞳が揺れる。そして、大きく目を見開き、信じられないものを見るかのように蓮の瞳を凝視した。
しばらく、言葉もなく見つめあった。蓮の瞳の中で、戸惑い、不安を覚え…恐怖するキョーコの姿が映る。
キョーコは、フルフルと首を左右に振った。小さな手は、蓮の掌から逃げるように微かに動きだす。その動きを、軽く力を込めて握ることで止めて…。蓮は、苦笑を浮かべる。
「ごめん…。分かっているから。」
「え?」
「君が恋愛を拒絶していることも…その原因も、知っている。君から聞いたことだから。」
蓮の掌の中で、キョーコの手は震えていた。顔色は、血の気が引いたように青くなっている。
その少女の表情は、愛の告白を受けた人間の通常の反応ではない。…まるで、この世の終わりのようで…。
恐怖。そして、不安。
それがありありと浮かびあがる表情。それこそが今の彼女の『愛』に対する認識。
「そもそも、よく知らない男から告白なんかされても、困るよな…。」
分かっている。
オムライスを作ってくれたことも、ケチャップで魔法の印を描いてくれたことも、単なる偶然だ。きっと、キョーコが傍にいて手を握ってくれるのも…困っている人や悲しんでいる人を見捨てられない彼女の気性のせい。
腹が立つことしかしていない、印象の悪い男が突然愛を告げるなどと、考えもしていないだろう。
それでも…
「あ、あの…」
「でも、知って欲しかった。」
蓮が手を掴む少女は、泣きだしそうな顔をしていた。混乱と…そして、拒絶の色が窺える瞳。その瞳を蓮は真っ直ぐに見つめた。その色がどんなに辛くとも、逸らすことだけはできなかった。
「君がいるだけで、幸せになる人間がいることを。…君が、必要な男がいる事を。」
「私、を…?」
「そう。」
今のキョーコは、記憶があった頃のキョーコよりも『愛』や『恋』に対する拒否反応が強い。彼女の記憶は初恋の男に散々利用され、捨てられてからそれほどの月日がたっていない。そんな少女に愛を告げるなど、酷なことだ。
今、蓮がキョーコに向ける好意は、キョーコには苦痛でしかない。
それでも、知って欲しかった。
キョーコがいる。
それだけで、幸せになれてしまう蓮のことを。彼女をこんなにも必要としている人間がいることを。愛している男がいることを。
「俺のことを、何も知らないのも分かっている。…むしろ嫌っていることも、分かっているよ。」
どう考えてもいい印象をもつことなどできない『敦賀蓮』として、キョーコと初対面を果たした時のことを、蓮自身がはっきりと覚えている。蓮にとっては過去のことでも、キョーコにとっては新鮮な『現在』の敦賀蓮の印象であるだろう。今、キョーコの中で蓮は『尊敬する先輩』ですらない。
「だから、答えはいらない。…というより、聞きたくない…かな?」
「敦賀さん……。」
「愛してくれとは望まない。受け入れて欲しいとも思わない。…今は、知ってくれているだけでいいから。」
頬を伝い落ちる、涙。…未だ溢れ出る雫達は、一体何の涙なのだろう…?
それは、『クオン』の過去に対する後悔だけではなく…届かない愛に対する切なさだけでもなく…傍にいてくれる存在への幸福の涙なだけでもない。
全てが織り交ぜられた、苦しみと、喜びの涙。蓮は、それをやや乱暴に拭った。
「ごめん、オムライス…折角作ってくれたのに冷めてしまうね。…いただくよ。」
「あ、はい…。」
そっと少女の手を解放し、蓮は笑ってみせた。
…その瞳には、もう涙は滲んでいない。