日記。
それは、日々の出来事を綴る作業。
その作業は、人類の歴史が始まってから古今東西、形や方法は変われど行われている。
人はなぜ日々の記録を綴るのだろう?
それは日ごろの想いをぶちまけるためなのかもしれない。また、ある人にとっては研究などのために綴る場合もあるかもしれない。
だが、俺は思うのだ。それは、人間の『人としての本能』である、と。
人は忘れて行く生き物だ。嬉しいことも、悲しいことも、悔しいことも、辛いことも。長い歳月の中で、莫大な知識を目で見、耳で捉え、感覚で理解する俺達人間は、それらを頭で考え、時に何かを生み出し、時に過去に遡り、時に既存のものを発展させる。
その営みの中で、『忘れる』ことは大事な作業。全ての記憶を抱え、前に進むことはできない。
それでも、人は忘れゆく自身の記憶を、忘れないための方法を編み出した。己の大事なもの、忘れるものかと誓ったものを覚えておくために。
そう、それが『日記』という手法なのだ。
だから俺は日記を書く。時の流れは等しく生きとし生けるものに与えられるものだけれど、それらの中にあるドラマを逃さないために。日々はドラマである。同じことの繰り返しのように感じる1日だって、振り返ってみれば変化がある。それは小さな出来事かもしれない。それでも日々移ろいゆく変化を逃さないために、俺はこうして……
「監督っ!!どうするんですか!?これで20人目ですよ!?」
「あ~~…はいはい。分かった、分かった。」
人としての本能である日記。それをしたためていた俺の背後から助監督である男が涙声に近い声音で訴えてくる。
「『分かった、分かった』じゃないですっ!!全然撮影が進まないじゃないですか~~~!!」
ヒステリックに叫ぶ男をチラリと見た後、俺は今回の仕事の問題人物の方へと視線を映した。
その男は、彼のマネージメントを担当する眼鏡をかけた若者からミネラルウォーターを受け取り、それを一口含んだ。
「…何をしても絵になる男っていうのは、あぁいう人物を言うんだろうねぇ。」
「感心している場合ですかっ!!このままじゃこの映画、撮影打ち切りになりますよっ!!」
あまりに絵に描いたような光景に感心してしまうと、隣から助監督ががなる。
「はいはい、分かっているよ。…しかし、これ以上他の女優を探すっていうのもねぇ……。」
「…そもそも、あんな役を敦賀君にお願いすること自体、間違っていたんじゃないですか?普通、キャスティングするなら、敦賀君と貴島君の役を逆にするべきでしょう。」
今回、俺が撮る映画には、主要な登場人物が3名いる。
1人は、地味で優しい平凡な男を心の底から愛している、ボーイッシュな女性。もう1人は、そんな彼女に想いを寄せられながら全く気付くことなく、最近できた美人な彼女と平凡な幸せを送っている青年。そしてもう1人が、大学1容姿がよく、日替わりで彼女を変えているというほど女遊びに興じている青年。
彼ら大学生3人が織りなす、三角関係が主軸のコメディタッチのラブストーリーだ。
「全く、敦賀君さ~~。『白雪姫』役の女の子、全員虜にするの、やめてくれないかな~~。」
ミネラルウォーターの入ったペットボトルをマネージャーに返す蓮の傍に近寄るのは、この映画の主演の一人、貴島秀人。今回の役に合わせて、普段の彼からすると随分と地味な身なりだ。
「俺、メチャクチャ虚しいじゃん。」
「あははっ、でも、君の栗林君の演技、結構様になっているね。正直驚いたよ。」
「ふふん、こう見ても俺、付き合い始めたら真摯だよ?恋愛に関しては真面目な性質だからね。」
「共演の女優さんに携帯番号、よく聞いているのに?」
「仲良くなろうって以外の他意はないよ?彼女ができたらちゃんと遊びはやめるしさ。その辺のケジメはつける男ですから、俺は。」
苦笑を浮かべる蓮に、胸をそらしながら言ってみせる貴島。…そうなんだよな、以外とあいつ、素朴な好青年の役をうまく演じているんだよ。普段の様子からじゃ想像できないくらい。
「そういう敦賀君だって、えらくプレイボーイの役がお似合いじゃないか。」
「…一応、褒め言葉として受け取っておくよ。」
「褒めてるつもりはないけれどさぁ…。敦賀君、実は本性がそっちなんじゃないの??」
「まさか。」
そして、貴島の言葉を受けながら苦笑している蓮の奴。…そうなんだよなぁ…。あいつ、信じられないくらいに女の扱いに長けてやがる。まぁ、表面上のあの紳士ヅラが本当のあいつじゃないとは思っていたが、どれほど今旬の女優を対峙させても、全員1シーンで骨抜きにしまくるって、一体どんなフェロモンの持ち主なんだ??