キョーコにとって、入院時の荷物というものはないに等しい状況であった。突然の怪我によって入院を余議なくされた彼女は、準備もないまま身一つで入院患者となった。世間の騒がしさによって、入院中、彼女が下宿先としている『だるまや』には関係者含め誰ひとりとして近づけなかったことを考えると…今、キョーコが自身の『私物』だと言い切れるものは、数えられるほどしかない。
「…携帯電話なんか持っていたんだ…。それに、高校生にもなれていたんだ。私…。」
見覚えのない可愛らしい鞄は、一年後のキョーコが持ち歩いているものらしかった。その中に入っていたものはそれほど多くはない。
携帯電話、生徒手帳、財布とガーゼハンカチ、ティッシュ、心躍るようなメルヘン化粧ポーチに、それから。
「…ふふふっ、やっぱり『今』の私にもこれは大事なものなのね。」
キョーコが覚えていた時よりやけに大きくなったガマ口財布。その中からコロリと出てきたのは、悲しい色の碧い石……。
「でも、『これ』は見覚えないわよね。それに、『これ』も。」
ふふふっ、と笑って『コーン』にそっとふれた後、キョーコは目の前のテーブルに置いた見慣れぬものを見つめた。
そこには。
「う~~ん…。これ…可愛いわ~~~……。でも、なんか高級そうというか……。私が買ったもの、じゃないよね?いくらなんでも……。誰かから、借りた…のかな…?」
テーブルに置かれているのは、バラ色に近いピンク色をした宝石がついたネックレス。涙のような形をしたそれは、光に当てると無限の輝きを放つ。
「う~~ん…このチェーンは安物っぽいけれど…これはどう見ても本物よね…。」
つんつん、とその宝石をつついた後、小首を傾げる。…須永曰く、これは怪我をした時にもキョーコがつけていたものらしい。当然ながらキョーコには覚えがなく、最初は衣装の一部だと思い、『BOX‐R』のドラマスタッフに返してくれるように頼んだのだ。だが、その遣いから返ってきた社長のお付きの人曰く、『これ』は衣装ではなく、キョーコがいつも役になるためにつけていた『私物』だったらしい。
キョーコはちらりと鞄を見る。それは、確かに記憶があるまでのキョーコが持つ物にしては可愛らしい鞄であったし、高級そうでもあった。でも、きっとブランドものではないだろう。
ポーチの中にあった化粧品もそれなりのメーカーのものだ。記憶にあるまでのキョーコなら喉から手が出るほど欲しくとも購入することの叶わなかったものである。だが、それでも芸能界という価値観が庶民からかけ離れた感覚のある人々が持つものとしては安物の部類に入るだろう。
そして、件の宝石を見る。…光を弾き、輝く石。……一体、いくらするんだろう……?
「……。…ダメダメ。想像しちゃダメよ!!誰かから借りた物だとしても、名乗りでてくれなきゃ返しようもないし!!とりあえずこれは『コーン』と一緒にこのガマ口に入れておこっと!!」
「これなら絶対失くさないしね!!」と、キョーコはコーンとそのピンク色の石のついたネックレスをガマ口に入れる。
「……こうして見ると、『王子様』と『お姫様』みたいね……。」
碧い石をくれた、美しい妖精の王子を思い出す。その美しい少年の隣に並び立つことが許された、お姫様……。
「ふふふっ、こうしたら、『コーン』も寂しくないわね。」
キョーコはふんわりと嬉しそうに微笑むと、パチン、とガマ口を一旦閉じた。
「それから。…これよね、問題は。」
そしてキョーコは再びテーブルに視線を向ける。そこには、キラリと輝くカードが1枚。それは、クレジットカードでもなければキャッシュカードでもなく…どこかのお店のポイントカードでもなかった。
「……。どこかの、ルームキー、よね……。」
しかも、特にホテルの名前が印字されているものでもない。と、いうことは。『誰か』の自宅のルームキーということになる。
現在のキョーコも、「だるまや」にお世話になっていたのだ。これは間違いない。ということは、これは一体誰の家のルームキーになるのだろう……?
「……う~~~っ!!これは絶対思いださなきゃダメよね!!こんなもの、持ちっぱなしだなんてよくないもの!!っていうか、持ち主は何してるのよ!?私がここに入院しているのなんて、世間様もよくよく知っている話でしょう!?本人だろうが使いだろうが誰でもいいから、受け取りに来なさいよ~~~!!」
ムキ~~~~ッ!!と一通り叫んだ後、キョーコは再びガマ口財布の口を開ける。
「……とりあえず、あなたも王子様とお姫様と一緒にいる?」
中におわす『コーン』と『プリンセス』を見つめた後、キョーコはカードキーに話しかける。キラリと照明を反射して光るカードは、きっと豪奢な邸宅の鍵なのだろうことが想像させられた。
「……。…分かったわ!!じゃあ、あなたは『コーン』と『プリンセス』のお部屋への鍵ということにしましょう!!二人の幸せなお部屋に入れる、魔法の鍵なの!!」
「それはそれで素敵よね!!」と、キョーコはカードをガマ口の中にそっとしまう。そのカードは元々『コーン』とともにガマ口財布に入っていたのだ。コーン用のガマ口財布が大きくなっていたのは、このカードが『コーン』と同居するようになったため、変更を余議なくされたようでもあった。
そのうちこのカードキーの持ち主は、キョーコに声をかけてくれるだろう。その時にちゃんと忘れず返せるように常に持ち歩けばいいのだ。
「そうよね!!『プリンセス』も『魔法の鍵』も、『コーン』と一緒にいるのなら、忘れることはまずありえないわ!!」
キョーコは常に『コーン』と共にある。ならば、その『コーン』と一緒にいる『魔法の鍵』と『プリンセス』を忘れることはまずありえない。いつでもどこでも、キョーコはこの二つの品の持ち主に出会うことさえできれば、返すことが可能となるのだ。
「よしっ!!」
ガマ口財布の蓋をパチン、と閉じると、キョーコはそれを鞄の底にしまい込んだ。
「……も~~。あんた、相変わらず独り言が多いわねェ…。」
「クスクス、こんにちは、京子さん。迎えに来たわよ?」
「ほぇ?」
準備完了、とばかりに満足の笑みを浮かべたキョーコの耳に、呆れかえった声と楽しそうに笑う声が聞こえる。そちらに視線を向けると、そこには2人の少女が立っていた。