本日3度目の更新です!
本日9月19日は苗字の日、そして「天皇家と源氏」http://ameblo.jp/prof-hiroyuki/entry-10632409102.html 以来の歴史エピソードです。
8月7日の「機械の日」http://ameblo.jp/prof-hiroyuki/entry-10612353233.html 、
9月12日の「宇宙の日」http://ameblo.jp/prof-hiroyuki/entry-10646506999.html は意識しているのですが
こういう類は疎いもので、よくペタを下る方からの情報です。
さてこの「苗字の日」、明治3年(1870年)9月19日に発令された「平民苗字許可令」に因んだものです。
これと明治8年に発令された「平民苗字必称義務令」(※これに因んだ「名字の日」もあります)によって、「氏」と「名」の直接接続が正式な名前となったのです。
いま「直接接続」と書きました。では、それ以前はどうだったのでしょうか?
(1)「姓」+「の」+「諱」
※諱(いみな)については歴史用語の基礎第2回:「偏諱」と「通字」前編http://ameblo.jp/prof-hiroyuki/entry-10584394617.html なども御参照下さい。
平安時代に藤原道長というワンマンが居た事は御存じでしょう。
読みは「ふじわら-の-みちなが」
直接ではなく、「の」を介して繋がっていますね。
(2)「苗字(家名)」+通称名・官職名+「諱」
足利高氏(尊氏)を例にすれば分かりやすいでしょう。
足利氏の本姓は「源」。足利は地名からとった「苗字」です。公家の「家名」もそうですが、簡単には「同姓グループを細分化するために『便宜上』設けられている」と考えて差し支えないでしょう。
ですから、朝廷からの任官などの「正式な」場では上記(1)の形式となります。
要するに「源高氏(みなもと-の-たかうじ)」と記される訳です。
話を戻します。我々が当然だと思いがちな「新田義貞」「足利高氏」という並びはどうやら普通では無かったのです。
即ち、「新田-小太郎(-義貞)」「足利-又太郎(-高氏)」という様に、通称名(や官職名)が間に入るのが普通でした。
(1)(2)のいずれも、名(諱)が直接繋がっていない事がお分かり頂けると思います。
苗字の日、そして名字の日(2月13日)の元となった政令によって、
「氏名」という「標準形」が明治時代に生みだされたのです。