歴史エピソード(第2回:歴史クイズ「先例主義」) | Prof_Hiroyukiの語学・検定・歴史談義

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<本記事を引用された場合、その旨を御連絡頂けると有り難いです。>

本日2度目の更新です。


かなり前の事になります。私の主宰するサークル(の機関誌)で、会員の方々に次の様な問題を出しました:

-----歴史クイズ------

徳川家斉は日本史上で唯一「太政大臣」と「征夷大将軍」とを同時に兼任した人物である。征夷大将軍在任40年の際に太政大臣に任命されたのであるが、これは家斉がどの様な先例を朝廷に主張したからか?(一部改変)

-----以上------

残念ながら、的確な解答はどなたからも得られなかったのです。


確かに不思議な問題ではあります。唯一」のケースとなった人物が、何故「先例」を持ちだせるのか


まずは用語から。「太政大臣」「征夷大将軍」はこれに「関白」を加えて「三職」と言われ、日本の政治を司る最高職でした。(※明治時代の太政官での三職とは異なります。)

ここで「関白」と「征夷大将軍」は令外官。征夷大将軍は武官の最高職です。

そして太政大臣は、藤原良房を臣下の初例(唐名の「太師」ならば藤原仲麻呂が初例)として、公家ではもちろん「数多く」任官されている訳です。ですので、「公家の太政大臣」から解答者に先例を探して貰うのは設問の上で極めて不親切です。

「唐名」につきましては本ブログ歴史用語の基礎(第5回:唐名)http://ameblo.jp/prof-hiroyuki/entry-10597468675.html

「皇族の」太政大臣につきましては歴史用語の基礎(第7回:「皇太子制」と「大兄制」,後編)http://ameblo.jp/prof-hiroyuki/entry-10602952008.html も御参照下さい。


一方、武家として太政大臣になった人物は少なく、以下の6名のみです(任官順)。

・平清盛

・足利義満

・豊臣秀吉

・徳川家康

・徳川秀忠

・徳川家斉

全て日本史上では「極めて」著名な人物ですね。むしろ家斉が一番インパクトが無い様な気も致しますが。


問題文ではわざと「同時に」という文言を入れておきました。両官職を「経験した」人物という事でしたら、次の4名に絞れます:

足利義満

徳川家康

徳川秀忠

徳川家斉


源氏ではない清盛と秀吉とが必然的に外れる訳ですが、ポイントは家康・秀忠とが続いて任官されている事です。しかしながら、家康と秀忠の各々だけに着目しても仕方が有りません!

こう来ますと、「なぜその次の将軍である徳川家光が太政大臣になれていないのだ」という疑問が持ち上がりませんか?


それは家光が「太政大臣は公家の最高職、そして征夷大将軍は武家の最高職。両者を兼ねた『先例』は無い!」という理由で辞退したためです。先例を持ち出したという訳です。


ところが家斉は、

「家光公は辞退はされたものの、一度は朝廷から太政大臣を任命されたという『先例』がある。」

と朝廷に主張して太政大臣に任命されました。辞退しなかった事は先例ではありませんが、「任命されてしまったらこちらのもの」という訳です。


一応これで解答が書ける筈です。「先例主義」・・・別に朝廷では無くとも、現在の社会でも行われている事です。もちろん、その場その場では有効な持って行き方なのかもしれません。

ただ注意しなければならないのは、先例というものが「権力者の解釈によって如何様にもなり得る」という事ではないでしょうか。