歴史用語の基礎(第6回:「皇太子制」と「大兄制」,前編) | Prof_Hiroyukiの語学・検定・歴史談義

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<本記事を引用された場合、その旨を御連絡頂けると有り難いです。>

歴史用語の基礎。「基礎」と名打った手前、せめて前回の「唐名」http://ameblo.jp/prof-hiroyuki/entry-10597468675.html ぐらいには簡潔に行きたいと考えています。


今回は皇太子とその類語についてのお話を。

本ブログ右側の「皇太子から天皇への『即位率』」の投票状態が悪いから取り上げた・・・

(よろしければ是非投票を!どれだけの皆様が正しく把握されているのかに興味が有ります。)

・・・という事も嘘とまでは言えませんが、「以降の談義に必要だから」というのがもちろん最大の理由です。


(1)皇太子の「語」の定義

少々堅苦しいので、先に片づけてしまいましょう。

簡単に申しますと、「皇位継承」「帝位継承」の第1順位者です。


もちろん「皇」の字が示す様に、これは皇帝(やそれに類する名称の王)を戴く国のみが対象(現在は日本のみ)。それ以外の王国では「王太子」となるはずです。


ですから、如何に歴史や権威が有って国が栄えていても、イギリス国王はKing/Gueen(王)であってEmperor(皇帝・天皇)ではありません。正確にはチャールズ「王太子」の筈なのです。


(2)「皇太子」と「儲君」

皇太子になるには「立太子礼」という儀式が必要で、律令制度が確立した奈良時代には立太子礼が行われた事が知られています。天武天皇系の方々ですね。


しかし、南北朝期や戦国時代には、皇位の混乱や皇室財政に余裕がなくなるなどの理由で「立太子礼の不履行」が慣習的になって参りました。この様な場合、実質的は「次期皇位継承者」であっても皇太子とは呼ばれずに「儲君(ちょくん、もうけのきみ)と呼ばれました。(先述の「投票」にはこれらの方々も「分母」に入っております。)


(3)天武期以前に皇太子制は有ったのか

日本書紀によれば、奈良時代以前にも「聖徳太子(厩戸皇子)」や「中大兄皇子」などが皇太子として存在した様な書き方になっています。

「天皇」号が使われた時期としては天武期からは確実とされているのですが、推古以降天武以前の時期はいわゆるグレーゾーンです。もしも推古天皇や孝徳天皇が「天皇」とは微塵も呼ばれていなかったのでしたら、皇太子という語が天皇制に付随するという「理屈の上」では聖徳(厩戸)や中大兄の皇太子は後世の創作と言う事になります。


では、「実質」はどうだったのでしょうか?(つづく)