ぼったくりの概念。 | りんごのゆくえ。

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*フランスでの日々や旅の感想、ゆるゆる更新*


またまたスリランカの真面目な記事でーす!
前回は、自分の超個人的な内面の変化、についてグダグダ書きました

今回も大差ありません( °д°)



東南アジアなど、物価が安くて気軽に行ける場所に旅行した時に
必ずぶち当たる、ぼったくりというものについて。
バリに行ったときの記事にも書きましたが、
「お金ない女の子」「意地っ張りな女の子」を見てね)
物乞いやぼったくりへの対応で、わたしの中での方向性が定まってなくて
そのために嫌な思いをしていました。
注・これについてはホント考え方は人それぞれやと思う。
  あげるから立派、あげないからケチってこともないし、
  自分の中で考えがあってそれを守っていれば、人に何言われても気にしなくていいと思う。

で、それについてスリランカ行く前もすごく不安に思ってたんだけど(心労多すぎ)
向こうに行って、なんとなく、本当になんとなく、
自分の中の方向性が見えてきた気がするの。
まあ、世界を旅している人たちにとってみれば、
常識、とか今更、ってかんじかもしれないけど、
わたしなりの答えみたいのを、書こうと思うわけです。


はい、興味なかった人~(。・ω・)ノ


そんな人にはルーブルで出会った
「まさか正気で作ったわけじゃないよな?」とつっこみたくなる
鳥と人のコラボをお届けしますので、お楽しみください。

りんごのゆくえ。-およぐ
※おしゃれな孫の手だったりして・・・






さて。読んでくれてる人~ヽ(゜▽、゜)ノ



・・・( °д°)o(TωT )いない。






まあいいや、自分の記録のためにも、書くぞ!!





えとね。

物の値段って、どうやって決まると思う?


日本や先進国だったら、生産者から消費者までの間に
卸売り、小売り、などなど挟んで、その流通コストがかかって、
その全部含めて物の値段、だよね。

もちろんスリランカや東南アジアや発展途上国などでも
そのような流通形態をとっていることもあると思います。
お土産屋さんとかもあるし。


じゃあ一緒か?というと、全く違う、と言わざるを得ない。
何が違うって、生産者から挟む人数とかもあるだろうけど
結局一番は値段が明記されてるか、ということだと思うのです。

日本は絶対に値段が分かりますよね。
人によって値段変えるとか、まず聞いたことがない。(おまけとかはあっても)
それに慣れた日本人は、
海外で値段がはっきりしない物を買う時に、
値切れる、日本より安く買える、という利点はあっても
やっぱり本当の値段はいくらなんだろう???と気にしてしまうのです。



じゃあ、逆に、
本当の値段って何ですかね?

もし本当の値段が「原価と制作時の人件費」だとしたら、
日本のあらゆるものは「ぼったくり」だということになってしまう。
じゃあ、付加価値も含めての値段だ。
ブランドの価値、デザインの価値、そういうものにもお金を払ってるんだ。
それを手に入れたときの、幸せや安心なども含め、お金を払ってるんですよね。





わたしはスリランカで、1枚の布を買いました。
バティックと呼ばれる民族衣装にも使われる布で、
でもお土産用に、飾れるようになっているもの。

あんまり観光客が行くとは思えない
こじんまりとしたお土産さんで、まだ若めの、女の人が店番をしていました。
キャンディアンダンスのチケットを買うためにつれていかれた店
別に買うつもりもなく、でもなんか惹かれてしまい、
壁にたくさんかかったバティックを眺めていました。

女の人は、いろいろ説明してくれて、
わたしの英語力不足もあり、あまり聞き取れなかったのだが、
ろうけつ染めだと思われるその布を作ったのは、その女の人本人で、
1枚作るのにもとても時間がかかること。
細い棒で描いた点々が特徴で、日にすかすと、とても綺麗なこと、などを教えてくれた。

要は、「とっても時間がかかって苦労して作ってるんだから、高く買ってね」
という風にも捉えられるのだが、
わたしはすっかり引き込まれてしまって、
1枚だけだけど、曼荼羅を描いたという布を買うことにした。

値段を聞くと、日本円にして3000円くらい。
買えないこともないが、一応、値切ってみた。(ちなみにスリランカ初の買い物)
でもあんまり値引いてくれない。

こういうときのコツというか、誰でもするだろうけど、
例えば3000円のものを、2500円で買いたいと思ったら、
「2500円でどう?」と交渉しても、結局2800円くらいで落ち着く。
ちょっと荒っぽくても2000円、とか言って、妥協したかんじに2500円でOKを出すのが、
高校のときの修学旅行で中国に行って学んだことだ。

そのときもこの手法で、けっこう低めの値段を言った。
するとその女の人は悲しそうな顔をして、「これでどう?」と
やっぱりあんまり値引いてくれない。
そして、「とっても時間がかかったの」とまた言った。
値切りに成功した所で日本人に対しては現地の感覚からすると高く売ってるんだろう。
でもわたしはそのとき、どうでもいいな、と思った。
たとえ日本円にして1000円多く払おうと、2000円多く払おうと、
この人が作って、この人の懐が潤うなら、それは素敵なことだと思った。

こう思えた時、わたしはその値段にすごく納得がいき、
このまま気持ちよく立ち去りたい、という気になった。


「…OK、OK!」

答えたわたしに
女の人は「サンキューマダム、サンキュー」と
安心したような笑顔で言った。
それを見てわたしは、


物価の安い国での本当の値段の中には、
「原価と制作時の人件費」の他に、
作る人、そしてそれを売る人(この場合は同じ人)のバックグラウンドみたいなもの、
そしてそのときの空間、説明してくれた内容のおもしろさなどの付加価値、
そういうものが含まれるんだな、と、やっと分かった。

つまりは、この空間、この人、物に、
どれだけの価値を見いだせるか、ということなんだけど。
なんかアートみたいだね。
すごく難しいようで、ものすごく単純なのかもしれない。


だから、せっかく旅をしても、
バリに行っていたときのように、
「お金を払わされる」とか「わたしは日本人だけど、お金ない方なんだよ」
とか、思ってたら全然楽しくないし、
「ぼったくられるかもしれない」って思ってたら
びくびくして買い物するのもおっくうになる。
だからと言って、高いお金を何も考えずに払うってのも違うと思う。
現地の人とコミュニケーションを取りながら
自分にとっての物の値段が考えられるようになれば、
きっと嫌な思いはしないはず!と、思うことができたのです。

ただ、この後すぐに、
わたしはローカルマーケットでレート換算をちょこまかされたのですが・・・
あれはやはり「ぼったくり」系に含めても良いでしょうか?(((゜д゜;)))
(自己責任とはいえ、怖い思いもしたし)



ちなみに何も物を買うとかじゃなくて、
ただ単に「金くれ」という人や、貧乏さをアピールして「めぐんで」という
物乞いタイプの人への対応は、まだ迷い中です。


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