どうも、はちごろうです。


大型連休、おっと、映画ファンならゴールデンウィークですね。
ゴールデンウィーク向けの作品が一斉に公開された先週末。
観たい作品が目白押しで「これは観る!」ってだけでも5本はあった。
しかし、そんな非常時に今度の週末に法事に出ろという無理難題。
とはいえ、世間の義理ごとを避けられる年齢でもないので、
仕方なしに週末3本観てきました。毎度のことながら無茶は承知。
さて、では1本目の映画の話。




「セッション」











本年度アカデミー賞3部門受賞の音楽ドラマ。
ジャズドラマーを目指して名門音楽院に入学した青年が、
天才を生み出すことに固執する指導教官に追い詰められていく。
非人道的ともとれる指導を行う鬼教官を演じたJ・K・シモンズが
アカデミー賞助演男優賞を受賞。



あらすじ


ジャズドラマーを目指して名門シェイファー音楽院に入学したニーマン。
しかし新人の彼はジャズバンドのクラスではサブのドラマーの身だった。
ある夜、ニーマンが自習室で練習していたところ、
学院一の指導教官フレッチャーが現れる。
数日後、彼がいつものようにメインのドラマーのために譜面めくりをしていたら、
そこにフレッチャーが現れ、バンドメンバーの腕を試したあと、
ニーマンを自分のクラスに引き抜くと宣言する。
学院一の指導教官のクラスで学べることに自信を持った彼は
行きつけの映画館でバイトする女性をデートに誘う。
だが、翌日からニーマンの地獄の日々が始まった。
フレッチャーは気に入らない演奏をしたバンドメンバーを罵倒し、
時には物を投げつけるなど非人間的なやり方で生徒を追い詰め、
ニーマンもその洗礼を受けるのだった。




菊地さんの感想とも町山さんの感想とも違ってて・・・



製作費300万ドル程度で制作されたインデペンデント映画が
アカデミー賞3部門を制するというサプライズをやってのけた音楽ドラマ。
ところがこの作品、いまネット上でちょっとした話題になってまして。
実は本作を観た二人の有名人の間で、賛否をめぐって論争が起こってます。
一人はジャズミュージシャンの菊地成孔さん。
彼はジャズミュージシャンの立場から本作を「これはジャズじゃない」と
激怒の気持ちがこもった酷評を自身のブログで展開した。
一方、それに対して映画評論家の町山智浩さんは
「本作を罵倒する菊地さんこそフレッチャーみたいじゃないか!」と
これまた自身のブログで菊地さんの意見に反論。
お互いTBSラジオでレギュラーを持っている身なので、
当然ながら影響はタマフルで映画評論コーナーを持っている
ライムスター宇多丸さんにも及んでおり、
めでたく今週末の評論コーナーの課題映画となった。
そんなわけで、そのコーナーを楽しみにしている映画好きのリスナーは
ちょっと本作に対して感想を言いづらい感じになっている。
実際、番組の超常連スターリング・エレファントさんは
「テーマよりもリアリティラインの理解度に関心がいってるから、
 ジャズに詳しくない身としては正直観る気が失せている」とおっしゃってて。
(でもあとで観に行く気になったみたいですが(^^;
で、私は件の論争のどちらの意見に共感できるかは
実際に自分の目で観てみないとわからないと感じて
昨日のうちにさっさと観てきました。
観終わってからお二人のブログを拝読して思ったのは、
この作品は菊地さんが考えているような「ジャズ映画」でも、
町山さんが考えているような「音楽映画」でもなく、
全く別のテーマを語っているように感じました。




『才能で飯を食う』ということ



では、私がこの作品のテーマが何だと思ったか?というと、それは


「『プロになる』ということ」
「『才能で飯を食う』とはどういうことか」



ということに関する物語だと感じました。
本作の鬼教官フレッチャーについて理解できないという人は多いです。
「なぜそこまで理不尽なことを強いるのか?」と思う人も多かったと思います。
しかし、彼の指導方針は全くもってシンプルです。


「プロの音楽家なら生活の全てを音楽に捧げろ」
「プロの音楽家が音楽でケンカを売られたら、音楽でケリをつけろ」



たったこの2点だけです。
つまり、フレッチャーが教えているのは音楽家としての技術だけではありません。
むしろ彼が生徒に求めているのは音楽家としての「覚悟」です。
例えば本作の前半、初めてフレッチャーの授業を受けるニーマンは、
彼から練習の開始時間を本来の時間から3時間早く教えられます。
早朝寝坊しながら慌てて教室に来たニーマンでしたが教室は無人。
そのため彼は9時になるまで待ちぼうけを食らう羽目になるわけですが、
ここでただぼーっと3時間経つのを待っていた彼は音楽家として未熟です。
ここで彼が取るべき行動はその3時間を使って自主練習をすることでした。
そして中盤、ニーマンはバンドのリードドラマーのコノリーから
彼の楽譜を預かりますがそれを紛失してしまいます。
それに対しフレッチャーは紛失したニーマンではなくコノリーを責めます。
なぜなら楽譜などの演奏に必要な道具は各自の責任で管理すべきで、
プロの演奏家なら安易に他人に預けてはいけないからです。
この件がきっかけでニーマンはリードドラマーになるのですが、
今度は彼がとんでもない事態に巻き込まれます。
コンクール当日、彼は会場に向かっていたのですが乗っていたバスが故障。
慌ててレンタカーを借りて会場に向かうも
フレッチャーは遅刻した彼をメンバーから外します。
「リードドラマーは自分だ」と彼に食い下がるニーマンは
大事なスティックをレンタカー屋に忘れてきたことに気づき、
慌ててそれを取りに行った帰りに交通事故に遭ってしまう。
それでも会場に着いた彼は全身血だらけ。
無理を圧してドラムをたたき始めた彼は結局途中でスティックが持てず、
バンドは演奏を中断せざるを得なくなります。
一見すると「怪我を圧した不屈の精神」と彼を褒める人もいそうですが、
ここで取ったニーマンの行動はプロとしてはあるまじき行為です。
プロの演奏家ならまず優先すべきは「いい演奏を披露すること」。
そのためには常に万全なスタンバイを怠らないことは当然。
もし万全な状態で臨めなければ潔く控えの演奏家と交代するべきで、
それを圧して舞台に上がり醜態をさらした彼は、
他のバンドメンバーに、さらに聴衆にも迷惑をかけてしまったわけです。



 「誰に言われるでもなく自発的に技術を磨くこと」
 「自分の仕事を遂行するためには準備を怠らないこと」
 「最優先すべきことの前では自身の欲は捨てること」
 


これは音楽家だけでなく、全ての「職業人」に言えることですが、
「プロフェッショナル」として生きていくためには
これらの要素は当然持ち合わせていなければいけない。
それを口で言うのではなく、本人に気づかせること。
それがフレッチャーの指導方針の核心なのです。




これが全米一の音楽学校なの?



ただ、本作は菊地さんとは別の意味でリアリティがありません。
それは本作で使われる音楽のチョイスが違うとか、
演奏家役の役者の演奏が下手だとかそういうことではありません。
それは全米一の音楽学校の生徒たちの「やる気のなさ」です。
彼らはプロの音楽家になることを目指して入学したはず。
そしてそんな学校で一番と言われるフレッチャーのクラスにいるにもかかわらず、
本作ではニーマン以外に自主練習している生徒が登場しません。
練習時間にもギリギリにならないとやってこないし、
演奏中に自分の音程が合っているいるかどうかもわからないどころか、
それを確かめるためのメーターすら持ってないのです。
本作の中盤。フレッチャーがニーマン含めて3人のドラマーを
誰がリードを取るかで深夜まで競い合わせるシーンがあります。
その間、他のメンバーは休憩を取れと言われるのですが、
彼らはただ教室の外で待っているだけで誰も自主的に練習をしません。
管楽器は音を吹いて温めておかないと音程が変わるのに
誰一人として彼らを待つ間に楽器に触ろうともしないのです。
こんなこと、日本の中学高校の吹奏楽部なら考えられないですよ。
だからこそ彼らは音楽家として大成しないわけですが。


といったようなわけで、本作はジャズドラマーが主人公の映画ですが、
決して「ジャズ」を描きたいわけでも、「音楽」を描きたいわけでもありません。
あくまで本作は「『プロフェッショナル』とはどういうことか」、
「『プロを育てる』ということはどういうことか」を描いた、
言ってみれば「お仕事映画」です。
これを観て「ニーマンは考えが甘い」と思う人でないと
社会の中で出世は出来ないと感じます。
特に新社会人には必見です。是非是非!



[2015年4月19日 TOHOシネマズ 新宿 7番スクリーン]




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