安直なネトウヨ思考がなぜダメなのか | C.I.L.

安直なネトウヨ思考がなぜダメなのか

先日の記事のコメント欄にも変な書き込みがあってガックリしているんだが、オレは最近になって特ア叩きネタを意識的に書かないようにしている。

というか、書きたくなくなってきたというのが正直なところ。

一時期は "ネットウヨク系" の一言で括られていた面もあるというのに、何故そうなってしまったのかというと、何度も言っているように 先祖が朝鮮人だと発覚した もとい、 "バカと一緒にされたくない" という気持ちが強くなりすぎてしまったからである。

今の日本では、ネットというのは極端な国粋主義的だったり、暴力的だったりと、右左関係なく閉鎖的・排他的な論調に支配されていると認知されているように思う。

あるときは極右的な、またあるときは極左的な意見ばかりが目に付き、また手軽に正義漢ぶりたいネットユーザーのせいで著名人やガードの甘い一般人のブログなどが些細なことで炎上し、それを個人のニュースサイトや、IT系企業のニュースページが取り上げ、時には新聞社のWEBニュースになることすらある。

何故このような極端な流れになってしまうのかというと、物事を自分の頭で考えられないバカが、遊び半分やストレス発散目的で暴論を振りかざす事が許されているからである。(しかも匿名で)

彼らの大多数は単に自分を安全な場所に置いて、酷い目に遭う人間を見て楽しみたいだけであって、強い思想信条あっての言動ではない。そこに実際に痛みを感じている人間がいるということがわからず、単にお祭り騒ぎに参加してストレス発散できればいいやという、ロクでもない野次馬が殆どなのだ。

自分は決して血を流すこともなく、痛みを感じることもなく、ただ遠くから人込みに紛れて石を投げつけたい、そんなとても同じ日本人とは思えぬ卑劣な人間ばかりが目立っている現状だ。

オレはそんな卑怯者と同じポジションとは思われたかない。

なぜなら恥を知る日本人だからである。

お祭り騒ぎに乗じてただギャーギャー騒いでいる人間というのは実に品がない。哀しいほどに知性が感じられない。2ちゃんにしろニコ動やブログのコメントにしろ、1行レスで暴論を書いて悦に浸っている輩などを見ると、本当に同じ日本人なのかと疑いたくなってくる。

それってどう考えても、ネトウヨ連中がよく言うヒステリックに反日を叫ぶ中国人や韓国人に瓜二つじゃないか?

オレはそんな胡散臭いバカどもと同一視されたくない。


ネットなんてのは誰がどんな思惑でその情報を流しているのかわからないのだから、どんな背景があろうとも、まずは必ずその情報の意図するところを読まなければならない。

例えば創価や韓国を叩いているヤツがいるとする。暴力的かつ刺激的な意見を述べていて、反特アや反創価の人間からすると気持ちいいと感じたとする。

だがその記事を書いている人間が、実は創価や特アに同情票を集めるための工作を行っているだけだとしたらどうか?

最初は理に適った創価叩きをしていたのに、段々とおかしな流れになって行き、最終的に冷静に考えればちょっとおかしいだろとわかるようなレベルの暴論やデマに行き着いたとする。

しかしそのブログを "同好の士" と勘違いしている人間は、多少の違和感には目をつぶって支持し続けてしまう。「○○さんの言う事だから深い意味があるんだろう」 と。

そして気付かぬ内に地雷を踏まされ、気付けば 「ネットの創価叩きはこんなにいい加減だ」 という風潮が完成し、結果的に憎いはずの創価に塩を送る結果になってしまうのだ。

これをオレの被害妄想だとか考えすぎだとか言うのは大間違いで、すでにオレが直接関わっている案件でこういう被害が出始めているのである。

それが先日の記事にも長々と書いたが、東村山の矢野穂積問題だ。



東村山が創価に支配されているとか、創価の陰謀で朝木明代という市議が殺されたという話は、実は朝木明代が自殺した直後に、矢野穂積という一個人によって広められたデマなのである。



朝木明代は自身の万引き事件の発覚や、議席譲渡事件を巻き起こした事に対する批判で精神をおかしくし、追い詰められてビルから身を投げて死ぬという選択肢を選んだ。

この前後の時系列をまとめるとこのようになる。


宇留嶋瑞郎氏著:民主主義汚染より
1995年
4月23日 東村山市議会選
4月24日 朝木明代氏・朝木直子氏が当選(矢野穂積氏次点で落選)
4月26日 朝木直子氏が松戸市への転居届け
4月28日 第1回選挙会流会
5月09日 朝木直子氏が松戸市内で転居届け
5月11日 第2回選挙会流会
5月21日 第3回選挙会、選挙管理委員会の決定により矢野穂積氏が繰上げ当選
5月29日 朝木直子氏再び松戸市内で転居届け
6月19日 朝木明代市議による万引き事件発生
7月12日 東村山署、朝木明代市議を窃盗容疑で送検
9月01日 朝木明代市議が転落死
(この間に何度か朝木直子氏や矢野穂積氏に対する異議申し立てが起こる)

1997年
8月25日 最高裁にて矢野穂積氏の繰り上げ当選無効という判決が下される
8月29日 市選管が矢野穂積氏の当選無効を告示
9月02日 選挙会 「朝木氏の議席取得を認めず」 を決定


朝木明代・朝木直子・矢野穂積の3者(会派:草の根市民クラブ) が何をしたのか説明する。

矢野穂積は東村山で地元の名士的な存在だった故朝木明代市議(+娘の直子) の影に隠れ、長らくブレーンとして暗躍していた。その矢野が95年に草の根の議席数を増やすため、朝木明代・朝木直子と並んで立候補したのだ。

だが朝木母娘は当選したものの、矢野は次点で落選し、草の根の議席増加作戦は失敗に終わる。

これで話が終わっていればよかったのだが、ここで何を思ったか朝木直子が 「私は松戸市に住んでいて、実は市議の資格がありません。なので当選を辞退します。次点の矢野穂積さんの方が市議として相応しいと思います。」 と言ってのけ、矢野穂積を繰り上げ当選させようと企んだのだ。(当選結果が出た後に転居している点に注目)

これにどんな思惑があったかというと、そりゃもう簡単な話で、はっきり言って矢野穂積には人望がない。だから今回落選してしまうと恐らく次がない。

しかし朝木直子は名士と見られていた朝木明代の娘であり、当時はアイドル的なポジションにあったため、今回落ちても次回の選挙で返り咲く可能性が高い。

だから直子の代わりに矢野を当選させ、そこで実績を作って、将来的に草の根3議席を実現させようと企んだのである。

だがこの民主主義を全否定するかのような暴挙に批判の声が高まり、結果として大失敗に終わる。

これが東村山の議席譲渡事件という、そもそもの始まりだ。


この議席譲渡事件の最中に、朝木明代が地元のブティックで万引き事件を起こす。一説によると朝木明代は前々から東村山市内の様々な店で万引きを疑われるような行動を繰り返していたと言われているんだが、それは証拠がないのでどうとも言えない。

だがこのブティックでの万引きに関しては、ブティック店主が警察に被害届けを出したため事件化し、警察の捜査が始まることになった。

最初はしらばっくれていた朝木明代だったが、捜査が進むにつれてアリバイ工作を行っていたことがバレ、自身の証言の取り消しを求めるなど不可解な言動をし、そして警察への再度の出頭が数日後に近付いた9月1日に、駅前のビルから飛び降りて自殺した。

これらは警察の捜査結果にも、また最高裁の判決にも明記されている事実であり、創価の陰謀うんぬんなど本来ならば入り込む余地はない。

だがこの朝木明代の死と議席譲渡事件とを誤魔化すために、矢野穂積が必殺の武器を使った。それが 「すべて創価の陰謀」 というアレである。

矢野は自己保身と、そして草の根という "政治利権" とを守るために必死にこの "創価陰謀説" を伝え広め、大手マスコミがロクすっぽ裏も取らずにそれを支持して誌面に取り上げ、また反創価ジャーナリストなどが諸手を挙げて飛び付き、東村山は "殺人創価" に支配された土地という事になってしまったのだ。

朝木明代というのが生前創価に対抗していたという話も殆どが矢野穂積による後付けのデマで、本当は今まさにやっているような他会派の市議の悪口を自身が発行しているアジビラに書いてチクチク虐める程度だったのである。

それのどこが創価を徹底追及していた朝木明代って話になるのか意味がわからないのだが、創価を快く思っていないマスコミも一般人も、創価を叩けるからという理由で妄信的に矢野のデマを信じ、いつしか朝木明代は創価と戦っていた英雄になってしまった。

この構図はまさに "今流行りのネトウヨ" の浅はかさと同じなのである。

創価憎しで冷静さを失った連中のお陰で、まず朝木明代に万引きをされた被害者であるブティック店主が創価工作員のレッテルを貼られ、矢野に何度も訴えられ、間接的に朝木明代を殺した加害者かのようなイメージを植え付けられた。仮にブティック店主が本当に学会員だったと仮定しても、何より先にまず "万引きされた被害者" であるというのにだ。

続いて矢野は 「朝木明代の遺志を継いで創価と戦い続ける」 というポーズを維持するため、事あるごとに事件を捏造した。その内のひとつに 「創価工作員に襲われた!」 というのがあるんだが、矢野はその犯人として当時高校生だった少年に目を付け、彼が犯人だと喚き散らして訴えた。だがその少年は全く無関係の一高校生でしかなく、にもかかわらず外聞を気にする矢野穂積のお陰で最高裁まで争わされる結果となってしまったのである。

矢野というのはとにかく裁判というのを便利なアイテムとして多用する。

一般人からすると裁判しなければならなくなるなんて人生の中で1度あるかないかだと思うんだが、だからこそ根拠がデマだろうと何だろうと実際に訴えてみせる矢野穂積の言動に、ある種の説得力が生じてしまったのである。

ようは訴訟マニアの矢野穂積に訴えられる事で、ケガレを擦り付けられてしまうのだ。最高裁まで争って完全に身の潔白を証明したとしても、訴えられるだけの事があったんじゃないかとか、矢野の言い分にも一理あるんじゃないかといったケガレを。

こうして朝木明代の死をキッカケに何十件と裁判を起こしまくった矢野は、その裁判量のあまりの多さによって世間の目をかく乱する事に成功した。詳しく事情を調べようと思わない人間からすると、矢野穂積が常軌を逸した裁判歴を持つという事すら、創価と戦っているが故だと思い込んでしまうのである。

こうして矢野は世間の創価を憎む感情を悪用し、今もなお直子と共に東村山市議であり続け、かつ様々な問題を引き起こし続けているのだ。


オレが矢野の一連の言動を "自己保身のためのデマ" だと断定する理由は他にもある。それは矢野穂積や朝木直子が、今の今に至るまで一度も


議席譲渡事件について市民が納得する形で謝罪していないから


である。


普通はこれだけの事をしでかしたら、悪い事をしたと頭を下げるのが先だと思うのだが、矢野にしろ朝木直子にしろそういった行動は見せていない。


ただ創価叩き・創価陰謀説を加速させただけなのである。


矢野の創価陰謀説流布という策略によって、議席譲渡事件がいかに重大な問題かといった話が消え去り、朝木明代の死の真相うんぬんに世間の目がスライドしてしまったのである。

こうやって冷静に事実を並べて考えれば、いったいどういう事かわかるだろ?



ちょいと説明が長くなってしまったが、自身の頭で様々な情報を照らし合わせて考え、自分なりの結論を出すという作業が出来ないと、大手マスコミだろうと一般人だろうと、矢野のような輩に取り込まれてしまう可能性が高いのである。

創価に敵対しているから正しいとか、特アの肩を持つから悪だとか、そんな単純なレッテル貼りだけで物事を判断してはならない。そんな "単純バカ" をよしとしてしまっては、それこそ日本を蝕む連中への利敵行為に直結するのである。

誰とは言わないが、オレの目から見ると八王子で街宣してたオジちゃんもその一味にしか見えない。



創価が目障りなのはわかるし、あんなカルト教団を政治の中枢に置いている事実は日本人として恥と思わねばならない。

しかしその創価に取り込まれている連中も、朝木明代暗殺説に乗っかる人間も、言ってみれば同じ人種でしかないのである。自分の頭で冷静に情報を分析できないから、言い換えれば自力で確固たる思想信条を構築できないから、ああいう胡散臭い "蟲" にしてやられるのだ。

ハナから結論が決まっていて、その結論に近しい意見を探す作業しか出来ないというのはあまりに危険である。反対意見をマジメに汲み取って反芻してみるという作業は苦痛を伴うが、しかしそれをやらない限りは物事の核心になぞ到達できない。

派手だったり奇抜だったりする意見に煽られてギャーギャー喚くばかりで、いったい何になると思ってるんだろうか?

現段階ではそれに気付いている人間の声というのがあまりにか細く、またそういう人間であっても十把一絡げで "ネトウヨ(笑)" の一言で片付けられてしまっているため、オレは余程の事がない限り、また自分の実体験や足で稼いだネタでない限り、ネットでチラ見しただけの安易な特ア叩きは書かないと決めた。

それが良いのか悪いのかわからんが、それ以外の方法が思い浮かばない。





2008年8月10日 荒禎雄(祖父母ともにソウル在住)