京野菜のひとつである花菜は、
伏見寒咲ナタネという名前ですが、
もともとは江戸時代より京都市の北東部の比叡山の麓近くにある
北白川地区で花を売るために栽培されていたものです。
→12.04.15 伏見の酒蔵と菜の花 ②
一方の伏見区の桃山地区では花の栽培が盛んで、
江戸時代に刊行された『拾遺都名所図会』という書物の中でも
桃山のとある地区が
「この地は南が低くして北の方が高いので、
太陽の光が地面に当たり様々な木の花が咲くことが早い。
なので、この辺りの民家は多くの諸草を山畑につくり花を咲かせ、
日毎に都の市に出して生業としている。これ風土の奇というべし。」
という趣旨の文章で紹介されています。
明治40年代に桃山地区で栽培されていた花は
菊やセキチク、ナデシコ、グラジオラス、アヤメなどがあり、
その他、春菊、アブラナ、キャベツ、エンドウなど
現在は野菜として利用されているものも栽培されていました。
その中のアブラナが、現在は花菜として栽培されている
伏見寒咲ナタネなのではないかと考えられています。
このように桃山は切り花の栽培が盛んだった地域で、
その名残で数件花を栽培している農家が見られます。
そういうわけで、伏見で菜の花と言えば
花菜である伏見寒咲きナタネなのです。
(★´ひ`★)ゞ
このように、栽培の歴史としては
桃山大根や京みょうが、京うど、伏見トウガラシなど他の京野菜と同様に、
古くから栽培されてきた伏見寒咲ナタネですが、
もともとは切り花として栽培されていたもので、
開花前の花茎を花菜として食べるようになったのは
戦後の昭和20(1945)年以降のことです。
→京みょうが発祥の地を巡る 11.04.14
→桃山の名を冠した野菜たち ①
→桃山の名を冠した野菜たち ②
→桃山の名を冠した野菜たち ③
→11.11.13 京うどの栽培地を尋ねて
なので、野菜としての歴史は「明治以前の導入栽培の歴史を有する」という
京の伝統野菜の定義の1つに当てはまらない為、
京野菜としては『京の伝統野菜に準じるもの』に分類されています。
(´σー`)
あさりと花菜の酒蒸し。
どちらも春が旬の食材で、季節を感じる一品です。
((d(◎ー◎)b))
I was born in spring / ClubT:O-GArden
■参照および引用した資料
・「歳時記 京の伝統野菜と旬野菜」
髙嶋四郎・編著 トンボ出版
・「京の古道を行く」
増田潔・著 光村推古書院