地方の立場と少数意見の尊重 | 社会の窓

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思いついたこと、よく分からなくてトモダチに聞きたいこと、日々の近況など書き留めておいています。

旧ソビエト連邦のソビエトとはロシア語で会議を意味し、何事も話しあいによる合意に基づいて各連邦の利害を調整してともに発展しようという理想が描かれていた。またその話し合いは科学的根拠によるべきで、民族主義や宗教の教条主義によらず、つまりはある特定の人びとの間だけで理解できる暗黙の了解や、わけも分からぬまま従っている昔からのシキタリのようなものではなく、だれにでも理解できる理論的科学的な根拠に基づいた説明を必要とする合意でなければならない。この理想は真にもっともだと思うし、実現できれば素晴らしい。
だが各地域にねづいた人々の生業のシステムを近代の科学的研究はすべてをときあかし得たであろうか。まだ未知の部分や不確かな部分があるのではないか、その可能性を確かな根拠もなく否定して、研究や思考を停止することは、近代科学的とはいえないのではないか。研究をすすめ科学的根拠による理論を発展させるにはさらに資料を集めねばならない、各地域からの声を聴き集めることは重要である。それが政治であれば各地域の政党であることもあるだろう。
さらには政治もまた科学的理論に基づいたものでなければならないのではないだろうか。さらには全世界のプロレタリアの団結は、モスクワ一箇所でなければならない科学的理由はあるのであろうか。プロレタリアは世界中に広がっている。労働形態も科学的に分析すれば複雑で多様である。
ソビエトやその後継の一部であるロシアのことばかりでなく。日本においても。日本は単一の存在でありえるだろうか。日本のさらにはその地域の事情は異なるし、民族もその国土の中においてもすでに多様である。日本の貿易や文化の結びつきを持つ地域とのつながりを考えれば日本がなりたっているそのよるすべのその範囲はきわめて広く、日本もすでに多様な民族や文化を内包して存在している。ロシアのやや強引な辣腕政治家とも受け止められる人物の発言をとおして、日本という国を振り返ったとき、日本政治は国内の辺境地域や少数民族、少数派、近隣諸国と諸民族などの立場を十分に配慮したシステムになっているであろうか。
ぼくは世界のプロレタリアの団結の拠点、世界中のあらゆる民族、宗教、文化的背景の人びとが理解できる世界でもっとも先進的で発展した国家体制が日本であって全然かまわないし、そのために努力してもよいのではないかと思う。なぜしないのだろう、むしろそれが素朴な疑問である。  福山克也 2012年 1月