問題は、「200字論述新研究44(問題17・18)」で確認してください。

解説は、「200字論述新研究45(問題17を考える➊)」をご覧ください。

 

問題17 解説

 

5世紀のヤマト政権

 

5世紀に入ると、中国の歴史書にヤマト政権)の記事がみられるようになる。

『宋書』倭国伝は、この約1世紀のあいだに5人の倭王(倭の五王)が中国南朝に朝貢したと伝えている。

同時にこの5世紀は、巨大な前方後円墳が数多く築造されたことに示されるように、ヤマト政権の勢力が飛躍的に拡張した時代でもあった。

 

ヤマト政権の勢力拡大をもたらした大きな要因として、大陸・半島経由の先進的な文物・知識や鉄資源を独占的に入手した点を指摘することができる。

とりわけ、武器・武具や農具などの材料になる鉄資源は、ヤマト政権の軍事力や経済力の増強に決定的に寄与したと考えられている。

 

すでにふれたように(「200字論述新研究45(問題17を考える➊)」参照)、ヤマト政権はこの鉄資源を半島南部から入手していた。

ヤマト政権にとって、半島南部で大きな影響力(軍事力)を行使することは、政権の安定と発展のために不可欠だったのである。

 

遣使の目的

 

一方、この時期の高句麗は、勢力を南下させて百済新羅を圧迫し、その余波が半島南部にもおよんでいた。

ヤマト政権は、この事態に対抗するため、軍事力を直接発動するだけではなく、圧倒的な権威・権力をもつ中国皇帝から、高句麗・百済より上位の称号を得ることで、外交面でも優位に立とうと図った。

 

また、中国南朝との外交関係が始まった5世紀前半の段階で考えると、ヤマト政権による国内の支配体制はまだ十分なものとはいえなかった。

中国皇帝のもつ政治的な権威を支配強化のために利用することも、朝貢の重要な目的だったと考えられよう。

 

倭の五王は、半島南部における外交・軍事上の優位を確保すると同時に、国内における支配権を確立するために中国南朝に朝貢したのである。

 

続きの解説は、「200字論述新研究47(問題17を考える➌)」をご覧ください。