問題は、「200字論述新研究37(問題15・16)」で確認してください。

解説は、「200字論述新研究41(問題16を考える➊)」をご覧ください。

 

問題16 解説

 

松方財政の推移

 

1881年に大蔵卿に就任した松方正義は、翌年、中央銀行に位置づけられる日本銀行を設立し、増税による歳入の増加と緊縮財政の徹底デフレ政策)を図ることで、不換紙幣の整理と正貨(銀)の蓄積を進行させた

 

ただし、壬午軍乱(1882)・甲申事変(1884)が発生するなど朝鮮半島情勢が緊迫するなかで、軍事費だけは例外的に増強された点に注意しておきたい。

 

この結果、1885年の日本銀行による銀兌換銀行券発行につづいて、1886年には、市場で流通していた政府紙幣の銀兌換も開始された。

これによって日本は、ひとまず銀本位制の確立を果たすことになる。

 

官営事業の払下げ

松方財政期には、緊縮財政の一環として官営事業の払下げもおこなわれた。

具体的には、1884年の工場払下げ概則(1880年制定)廃止によってきびしい払下げ条件を除去し、軍事工場・鉄道などを除く官営事業の払下げを進行させた。

 

デフレ政策

デフレ政策とは、景気の過熱を抑制したり、財政を再建したりするために、緊縮財政(政府支出の削減)や増税・金融引締めなどを遂行して通貨量を縮減する政策

 

松方財政井上財政ドッジ=ラインは、日本経済史上における三大デフレ政策とよばれる。

→井上財政:「金解禁政策の総整理」参照。

 

最初の日本銀行兌換銀券

額面を示す「拾圓(10円)」の文字の下には、右から縦書きで、「此(この)券引(ひき)かえに銀貨十円相渡(あいわた)し申すべく候也(そうろうなり)」という趣旨の文章が記されている。

 

続きの解説は、「200字論述新研究43(問題16を考える➌)」をご覧ください。