*問題は、「200字論述新研究37(問題15・16)」で確認してください。
*解説➊は、「200字論述新研究38(問題15を考える➊)」をご覧ください。
問題15 解説➋
■前期の商品流通構造(藩)■
次に、本問で問題とした江戸時代前期の商品流通の様子を、経済単位(藩・江戸・大坂)ごとに確認しておくことにしよう。
幕藩制社会では、領主層と商工業者が城下町に集住し、他方、農民は石高制にもとづいて米納年貢を賦課されていた(→「200字論述新研究・問14」解説参照)。
こうした体制の成立・持続を可能にした前提条件として、戦国期以来の沖積平野の開拓や稲の新品種導入などを背景に、量的にも質的にも農業生産力が上昇した点を指摘することができる。
さらに幕藩領主層が推進した百姓の小経営維持策を通じて、17世紀なかごろには稲作を中心とする小農経営が安定する傾向をみせた。
米を中心とする農産物は基本的に自給可能になり、しかも米は領内の武士や商工業者の需要を上回る供給能力をもつようになった。
一方、戦国期以来、武士権力は商工業者を集住させて城下を繁栄させる政策を展開したが、江戸時代になっても、その市場(藩域経済圏)はまだ小規模で、手工業品生産の技術水準などは低く、また農村における諸産業も未発達だった。
たとえば、秋田藩では鉄砲を近江国友や堺・京都から、また武具類のほかにさまざまな金属製品を畿内から購入していたが、江戸時代前期においては他の諸藩もほぼ同様の状態だった。
つまり、手工業品・軍需品・農産加工品などの需要を藩内・域内で満たすことができなかったのである。
さらにこうした非自給物資の購入だけでなく、参勤交代にともなって大規模な移動をくりかえし、江戸での定期的な藩邸生活を維持していくには大量の貨幣を入手しなければならない。
このため、諸藩は必然的に藩外・域外の市場と結びつかざるをえなかった。
■前期の商品流通構造(江戸)■
江戸は、「将軍のお膝元」として江戸時代になって急速に成長した政治都市だった。
旗本・御家人のほかに膨大な大名家臣団や奉公人などの武家人口に加え、彼らに必要な物資を供給する商工業者が集住する都市で、その人口は18世紀前半には100万人に達したと推定されている。
経済面からみると、江戸時代の前期にすでに、畿内・東海からの移入品を関東や東北に出荷する中継商業都市としての役割は果たしていたものの、江戸という都市は、巨大な消費都市(手工業品や農産物の供給に欠かせない直接の後背地(こうはいち)を有しない消費市場)であることを宿命づけられていた。
なお、後背地(hinterland)とは都市や港湾の経済的社会的機能がおよぶ地域のことをさす。
*続きの解説は、「200字論述新研究40(問題15を考える➌)」をご覧ください。