神への感謝は自分への感謝である。 | ヒロボーの筋ジストロフィー徒然日記

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人は無量の恩の世界で生かされています。一日を真剣に生き努力に生き、感謝報恩に生きる。

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埼玉県北本市 解脱会「こころの故郷」御霊地。
このままでゆるされているビックリマーク
ものごとが自分の思い通りに行けば機嫌がよいが、何か都合の悪いことが起きたり、自分の気に入らないことを相手がいったりすると、とたんに不機嫌になり、ブツブツ不平不満をもらす。深く自分を省みるならば、誰にも思い当たるところがあるはずだ。それほど人間というものは、自分勝手でわがままな存在なのだ。

はたして神さまは、われわれが宗教の学びによって人格を磨き立派な人間になったから、われわれをゆるし生かしてくださっているのだろうか。いや、そうではないだろう。どこまでも自己中心的でわがままな存在であるにもかかわらず、そんなわれわれを神さまはそのままゆるし生かしてくださっているのである。だから、われわれは今もこうして平気な顔でいられるのだ。

そう、無条件の愛が神さまの御心なのである。

こんな不完全でわがままな自分なのに、神さまは自分を今日もこうして生かしてくださっているビックリマーク。こうしみじみ感じたとき、誰しも深い感謝とやすらぎをおぼえるにちがいない。そして、自分のいたらなさを恥じるとともに、世のため人のために少しでもお役に立てる自分になりたいと、しんから願うようになるものではないだろうか。

信仰行に励むことも大切だ。しかしその前に、自分の内にははたしてどれだけ感謝とよろこびが感じられているか、家族や身近な人たちにどれだけ思いやりのこもった態度で接することができているかと、自らに問いかけてもらいたい、そこに、信仰生活の第一歩がある。

読者の皆さん、お早う御座います。
今日も良き一日で在りますようにお祈り申し上げます祈
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