(続き)


・・・また、名誉欲に訴えかけて、何かを募ったり、声をかけたり、進めたり、ということは一切しない方針でまいります。


そして、権威、権力に屈しない立場を貫くつもりでおります。


そういった


○名誉、地位、お金、(色)を求めず、あくまでも、真善美愛を追求


した結果として、後から自然にそれらはついてくるものであると考える(感じている)からです。


この境地を獲得するにあたっても、試練がありました。


当初、このプロジェクトの準備に着手せんとした頃には、様々な団体や組織と関わっていかなければという思いを持ちました。


しかし、それをしてしまえば、現時点で志はあっても何の力も持ちえない自分などは、当然、飲み込まれて、ややもすれば、振り回されて終わってしまいかねません。


それはどの世界でも当たり前だ、とおっしゃる声も聞こえてきそうですが、


そもそも、私自身はおわかりのように芸術家というわけではなくて、

人に潜在する無限の力を発揮させるには?揺るぎない心の満足を得るには?といったようなことを探求してきた、(自ら、潜在力探求家と名乗ってますが、)そういうライフワーク的な取り組みの延長線上での、詩であったり、このような、人間の本性から発せられる美の世界の表現の場であったり、また改めてお伝えさせていただく予定のPureDreamProjectというプロジェクトであったり、、、

ということなので、そもそもが土俵が同じようで違うということなのです。


いずれにせよ、他は他です。だからといって別に敵対するわけではありません。基本的にはどことも、等距離で平等に、癒着することなく、進めていくことを考えています。


共存共栄といえば、共存共栄の考えですが、一部の自分の関連だけの共存共栄では、常に争いの原因をそこに包括させてしまうからです。


そういう意味では、以前から親しいような人に程、厳しく対応することは当然でてきます(いえ厳しい対応ではなくとも相手からは厳しいと感じられてしまうことも出てくるでしょう。しかし本心で受けとめて下さるなら、その人もかえってその方がいいと理解してくださるでしょう)。ここは難しいところでもありますが、これを越えなければ目指す未来はないとさえ考えています。そのためにこれまで多くの試練を受けてきたとも言えます。



三つ目に、第三者の評価に悪影響を受ける、と書きましたが、


第三者の評価は、実は自らを成長させるのには、非常にありがたいものであったりします。とりわけ辛口の厳しい評価は、その瞬間、耳や心には痛いものではありますが、その背後に真に愛があるならば、後からじわりじわりとそのありがたみを享受する時が来たりするものです。


そのような愛ある助言などは、大切なものなのですが、それが嫉みや嫉妬や好き嫌いなどから発されるような心ない評価だったりするならば、そういったものに振り回されたり、惑わされたり、縛られたりするのは、非常にもったいないことです。


人は誰しも好みがあります。色で言うなら、赤系が好きな人、黒系が好きな人、青系が好きな人、色ばかりじゃありませんね。


音楽だって、ジャズが好きな人、クラシックが好きな人、ロックが好きな人、演歌が好きな人、様々です。


売れている絵や曲だとか、たくさんの人に好まれるものが必ずしも、名画、名曲と言えるのか?と問えば、必ずしもそうとは言えない、と答えが返ってくるでしょう。


長い時間かけて、少しずつ人に知れ渡り、少しずつ評価を高めていく作品もあるでしょう。


あるいは、全く人の眼に触れないでいるがために、とても素晴らしい作品であるにもかかわらず、全く何の評価も受けてない作品だって、この世の中にはたくさんあったでしょうし、今もあるでしょう。


そして、人によっては、「誰にも知られてない作品だけど、どうしても私にはこの作品がとても心に焼き付く」とか「この一言のフレーズが私の心にぐさりとくるんです」とかいうこともあるでしょう。


売れている作品の中には、商業的作為的に売り上げを伸ばすことに成功したために売れた作品も多くあるのです。


私自身は、時間がかかっても、長い期間かかっても、次第次第に少しずつ知れ渡り、そして人々の心の奥深くにまで刻まれていくような、そしていつまでも長く愛され続けるような、より永遠性のある、より普遍的な美というものが目指せたらという思いがありますが、


永遠性があったり、普遍的なものであったとしても、必ずしも、その時、万民に受け入れられるとは限らないばかりでなく、

時に、悪意によって、批判を浴びたり、黙殺されることもあるわけです。


その芽を摘みたくはありません。
子供のやる気や能力開花もそうでしょう。褒められればどんどん伸びます。
必要に応じ、褒め、必要に応じ、叱ることが大切でしょう。

しかし、悪意によって、叱りつけられたら、伸びるどころか、逆の結果につながってしまいます。大人だって同じです。

しかしながら、そのような結果に至るには、招いた側にも、何らかのそれらを招いた原因も考えられます。そこを反省していくことで成長は得られるでしょう。


無理に必要以上に多くの人に、自分の栄耀栄華を求めて"売り込もう"とした場合には、そのつけがどこかで回ってくるでしょう。


ですから、PRに必要以上の力を注ぐよりも、より内面の浄化と、それに基づく、より素晴らしい作品づくりに力を注ぐことを重視したいと考えているのです。


そして、まず共感していただける、関心を持って下さる少数の方に、より深く伝えていくことから始めていくというスタイルを取っていくつもりでおります。


(続く)



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