「無理をしない」は甘えなのか? | 30代にしてADHD…KYな私の日常

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2013年6月、34歳にしてADHD(注意欠陥多動性障害)と診断を受けました。でも、子供の頃の嫌な思い出など思い起こすとすぐに納得できる診断でした。
日常的に同じように辛い経験をされているかたが「私だけじゃないんだ」って感じてくれれば幸いです。

よく「無理をしないで」と言う言葉を使ったり、こう言う言葉をかけて貰ったりしますが私にはその度に疑問が湧きます。

「無理をしない」基準が解らないのです。

確かに介護をしていた頃は休みが殆どなく、折角取れた休みもあまりの疲労に一日中眠り続け終了(´Д`Aって感じで、アパレルでは、個人予算達成できなかったりしたら5桁~の自腹で買い、カード支払いに追われる………そして自分の精神状態は限界を迎えてしまい酷い状態でした。

で、障害者認定されてからは何かのプログラム受けたり、事業所で雇って貰えるようになり現在に至ります。

障害者認定を受ける前迄は確かに「無理」をしていたでしょう。もう二度とこの2つの職種には触れたくないレベルのトラウマがついて回っています。

無理の限界突破してしまっているせいで何処までが「自分の無理」なのかわかりません。その場は何とか良くても翌日にそのツケがきたり、なんとなく順調だったのに急に不調になり体調(メンタル面含む)が回復するまでかなり時間がかかる。
一度、パニック障害、不安障害が一気に来てしまってからは「またこうなるんじゃないか?」と恐怖心が出てしまい動けなくなってしまいます。


しかしこう言う恐怖心があるにも関わらず「実はコレは甘えなんじゃないか?」と自問自答してしまいます。
1.旦那さんも風邪ひいても出勤してる。
2.ほかに障害ある人達もきちんと朝から出勤してる。
3.以前は自分も出来ていた。
この3つが頭を過り「自分は甘えてるだけなんじゃないか?」とこれまた罪悪感が発生してしまうのです。


少しでも無理と感じても動いた方が良いのかな?

それとも今は自分のブレーキを信じて「無理をしない」方が良いのかな?ショボーン