シラケ鳥 飛んで消えてく 血税が | ナンモサのなんもさⅡ

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日々の想いを綴ります。

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◎韓国船沈没、朴大統領は「邪魔」 現場行って混乱拡大、菅元首相と同じ…(ZAKZAK)

 韓国南西部、珍島(チンド)沖で発生した旅客船「セウォル号」沈没事故をめぐり、朴槿恵(パク・クネ)大統領をはじめとする政治家らが現場に相次ぎ詰めかけていることに批判が集まっている。国家の最高責任者が現地に入れば、捜索・救助関係者が受け入れ準備や説明に追われて混乱するのは必至。その姿は、2011年3月の東日本大震災発生の翌日に福島第1原発を視察した菅直人元首相と重なる。

 一向に救助が進まない前代未聞の大惨事。韓国海洋警察は18日夜に沈没した船の乗客数と救助者数を訂正し、死者、不明者の合計が増えて302人に達した。うち29人が19日未明までに遺体で見つかり、さらに同日早朝、ダイバーが船内で3人の遺体を発見したと明らかにした。

 韓国国内が騒然とするなか、朴氏が行方不明者の家族が待機する珍島の体育館を訪れたのは、事故翌日の17日午後。韓国紙・中央日報によると、大統領府幹部が現地の混乱を恐れて反対したが、朴氏は「行くことに決めた」と聞く耳を持たなかったという。

 「大統領が約束しても守られないことがある」

 「嘘付くなこの野郎」

 珍島の体育館で朴氏を待ち受けていたのは、家族の罵倒だった。「こんなところに来ないで早く対策を立てろ」と迫る家族に対し、朴氏は困惑した表情を見せた。

 中央日報は16日からの2日間で珍島に入った政治家は50人を超えたと報じた。6月には統一地方選が予定されていることから事故を選挙アピールに利用しようとしていると受け止められ、家族からは「捜索・救助作業の邪魔になる」「政治家は写真を撮ってもらいに来た。帰れ」と批判が集まっているという。

 そんな自己中心的な指導者の先例とも言えるのが、わが国の元首相、菅直人氏だ。

 菅氏は東日本大震災が発生した直後の12日早朝に福島第1原発を視察。12年7月に政府事故調査委員会がまとめた報告書では「最高指揮官の首相が長時間にわたり官邸を離れ、緊急対応に追われていた現地を視察したことは疑問が残る」と批判されており、朴氏も同様の批判にさらされている。

 さらに、事故海域の付近で作戦中だった米軍艦艇が救命用ボートを搭載したヘリコプターを急派したが、韓国軍が受け入れを拒否したことも米軍準機関紙の報道で判明。18日には国家海洋警察幹部に対し、不明者家族が「日本の捜索支援の申し出を断ったと聞いたが本当か」と問い詰める一幕もあった。

 韓国では大事故が起きるたびに「政治が悪いからこんな大事故が起きた」と政権の責任を追及するのが伝統だ。25日には朴政権発足後初めてオバマ米大統領をソウルに迎えるが、朴氏にとってはそれどころではなくなった。


<ツイッター情報>

 たしかに菅は邪魔だった。いまでもだが。

 菅直人の愚行を忘れてはいけない。本人は今でも必死に東電に責任転嫁してるのが、よけい許せない。

 朴大統領、いささか叩かれすぎな気がしないでもないけど、総責任者が役にも立たんのに、ノコノコ現場に出てかん方がいいとは思う

 パックネも無能を証明しましたな

 結局、危機管理が出来ないトップを選んでしまうと、こうなる。日本は311でトンデモ総理だった事を反省した。二度と売国政党政権は作らない!

 政治家がアレなのはいつもの事だが、報道関係も酷いもの。日本のワイドショーレポーターまでボートに乗り、沈没船に近づきレポート。あれも完全に邪魔。

 ほんと、海外からの支援要請は断り、現場の人を叱責し、何一つ進展させられず、嘘の情報ばっかり…あの時のデジャブかと思った…


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現場に行って何ができるかわかって行くのならいいでしょうが、とにかく行きたいんですね。周りの者が止めてもそれを振り切ってでも行く。
 そのへんの感覚がまるで分かりません。

 海外からの支援を断るのは何か理由があるんでしょうか。
 現場を見られたくないというのが一番でしょうかね。


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◎「弱い大統領」に用なし オバマ氏来日盛り上がらず、メディアも「…」(ZAKZAK)

 オバマ米大統領が23日から国賓として来日する。2009年11月の初来日の際には、初の黒人大統領を迎えるとあって、日本国内は熱狂的な歓迎ムードだったが、今回の盛り上がりは今ひとつ。オバマ氏もミシェル夫人を同伴せず、赤坂の迎賓館に宿泊しないなど、異例の対応を取っている。5年前とは様相が一変している。

 「今回は冷静ですね。特段意識して何かする雰囲気ではありません」

 福井県小浜市の秘書課担当者はこう語った。同市は名前が同じ「おばま」であるため、08年の米大統領選中に、地元有志が「オバマ候補を勝手に応援する会」を結成。翌年の初来日時には、松崎晃治市長がオバマ氏の講演会場に駆け付ける入れ込みようだった。

 ところが今回、オバマ氏滞在中の24日夜、松崎市長が別件で上京するが「オバマ大統領の日程に合わせて市長が動くことはない」(秘書課)。

 冷めた雰囲気が漂うのは小浜市だけではない。

 初来日の時は、オバマ氏に似ているとして、お笑い芸人のノッチが「Yes we can」のギャグで再ブレークしたり、オバマ氏が来日直前に「神戸ビーフとマグロが食べたい」と希望していたことが話題となったが、3度目のためか、メディアも実に静かだ。

 公言していたシリアへの武力行使を回避したり、ウクライナ問題でロシアに有効な手が打てなかったりと、オバマ氏の存在感は低下している。同盟国の中には「もはや米国を頼れるか不確かだ」(バンダル・サウジアラビア王子)という声まで上がり始めている。

 日本でも、安倍晋三首相の昨年末の靖国神社参拝に、米政府が「失望」との声明を出し、衛藤晟一首相補佐官が「むしろわれわれの方が失望だ」と発言するなど、ギクシャクした場面も。

 安倍首相自身は首脳会談で、「日米関係の強化」を目指しているが、オバマ人気は復活するのか。

 政治評論家の浅川博忠氏は「09年の初来日時と比べて、オバマ氏は『弱い大統領』になっている。11月の中間選挙でもきっと勝てそうもない、と言われているほどだ」と指摘し、こう続ける。

 「09年は鳩山由紀夫首相(当時)が、米軍普天間飛行場の移設問題で迷走したため、オバマ氏の方が強い立場だった。しかし、今回は、オバマ氏としては何としてもTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)で得点を稼ぎたいという、弱い立場だ」

 杏林大の田久保忠衛名誉教授は「全世界的に米国の威信が低下している。外交には軍事が裏側につきものだが、ウクライナでも、米国は『軍事力に訴えない』というのが大前提だ。日米関係でも『沖縄県・尖閣諸島で米国が守ってくれるのか』という疑問の方が強くなってきた」という。

 強さが感じられない米大統領では、人気も出ないということか。



<ツイッター情報>
 オバマが来たところで、日本国民の国益にもならないと思うけど。

 あれだけ大騒ぎして迎えた駐日大使が現在進行形で残念感満載だから、どうやっても無理だろうwそもそも、同盟国に対する誠意が見られない。日本は泥船には乗らない!

 就任した時、こんなに駄目だとは思いませんでした

 本当に最近のオバマはノッチに見えてくるようになった。オーラが消滅してしまった感は否めません。

 ヘラヘラ顔のオパマが日本に来て何をするつもりか。プーチンにはかなわない。シュウには馬鹿にされ、アジア情勢も無知そのもの。何なんだ、この人。

 小浜市にすら見限られているようじゃ、もうダメだわ()。まあ上院議員を一期務めただけの経験不足が、一気に噴出したという話ではあるんだけど。


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とにかく口だけの人だというのが全世界にバレバレですからね。
 しかも日本及びアジアに関してはまったく現状把握できていませんし…。
 在任中にこれだけ評価を下げた大統領は空前絶後。
 盛り上がらないのは当然、無理に盛り上げようとしてもシラけるだけでしょう。

 信じられませんね。
 アメリカ。

 
 無能の人の話題が続きましたねえ。
 言い過ぎでしょうか。


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◎【目覚めよ日本】三島由紀夫が護ろうとしたもの 他国にない固有の歴史、文化、伝統(ZAKZAK)

 私が三島由紀夫に初めて会ったのは1966年だった。皇居の馬場先門にあった日本外国特派員協会で、三島が講演することになっていた。当時の私は英紙『フィナンシャル・タイムズ』の東京支局長だったが、経済担当だったため、三島にはあまり関心はなかった。

 2年後、英紙『タイムズ』の東京支局長として三島を取材した。当時の三島は、昭和天皇を除けば世界で最も著名な日本人だった。本音で語る三島は、とても興味深かった。だからテーマを決めずに会うことにした。三島との長い付き合いは、ここから始まる。

 68年は、米国がベトナムに負けた年だった。第2次世界大戦が終わって10年余りで、超大国の圧倒的なパワーに陰りが見え始めたのだ。三島は世界が逆転しつつあることを感じていた。彼は英貴族ジョージ・ゴードン・バイロンについて語った。バイロンは私兵を集めてトルコと闘い、ギリシャを独立させた英雄だ。三島はバイロンのように、日本を独立させたかったのだろう。その思いはやがて「楯の会」結成に繋がっていく。

 三島が「楯の会」を結成したのは、68年秋だった。公になったのは翌69年で、その春、私は富士山麓での訓練を取材した。3月17日付の『タイムズ』に私の署名原稿が掲載された。

 「楯の会」は多くの学生を擁する左翼団体に比べて、数の上では少なかったが、知性と士気の高さでは目を見張るものがあった。私の記事は、東京・市ケ谷の自衛隊駐屯地で起こる事件を予見していたようでもある。

 三島は70年11月25日、市ケ谷駐屯地で割腹自殺を遂げた。世間に衝撃を与えた死は、以前から準備されていたと私は思っている。最後の長編小説『豊醸の海』が、その壮大なストーリーのシナリオだった。第1巻の『春の雪』で自衛隊での訓練を開始し、第2巻『奔馬』で「楯の会」を結成。第3巻『暁の寺』で5人の仲間を選び、第4巻『天人五衰』を書き終えたのは決起当日だった。

 自らの死をもって、三島が世間に何を問おうとしたのか。それを理解することは難しい。

 三島にとって、敗戦自体はさほど重要ではなかった。彼にとって重要なことは「日本の心」「日本人の誇り」をなくしてしまうことだった。三島は日本の政治家には関心を持たなかった。命を捨てる覚悟のない政治家なんぞ、何もできないと斬り捨てていた。

 三島は、日本こそ他国にない固有の歴史、文化、伝統を有する唯一の国と信じていた。これらは稀有(けう)のものであり、外国の侵奪から護(まも)らなければならない。三島にとって「国を護る」とはそういうことだった。そのために命を賭して、「国体」を護ろうとしたのだ。

 市ケ谷駐屯地での自決は、それを行動で示したものだ。命より大事なものを護らなければいけないという真実の意味を、文章が巧みな三島でさえ、文字で表現しきれなかった。あるいは、あのような死に方を選んだがゆえ、三島の表現は完成されたといえるのではないか。

 三島を理解するには2、300年必要だろう。それほど彼が日本人に残したメッセージは奥が深い。 (構成・安積明子)

■ヘンリー・S・ストークス 1938年、英国生まれ。61年、オックスフォード大学修士課程修了後、62年に英紙『フィナンシャル・タイムズ』入社。64年、東京支局初代支局長に着任する。以後、英紙『タイムズ』や、米紙『ニューヨーク・タイムズ』の東京支局長を歴任。著書に「英国人記者が見た 連合国戦勝史観の虚妄」(祥伝社新書)、共著に「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」(同)など。


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「三島を理解するには2~300年必要だろう」というのはオーバーかと思いましたが、ツイートでまったく理解していないボンクラなものを見かけましたので、納得。
 まあ、知らないなら知らないで、無理に知ったかぶりしないでほしいんですけどもね。



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◎日本のロックレジェンド・加山雄三の勇姿を見よ! (ZAKZAK)


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            海とエレキが似合う若大将は、喜寿を迎えた

 71歳のポール・マッカートニーや、70歳のミック・ジャガーの来日公演を、ついありがたがる風潮は、私にも分かるが、どっこい、日本には加山雄三がいる! 11日に77歳の誕生日を迎えた加山は、東京・渋谷のオーチャードホール公演で、日本のロックレジェンドの熱い魂をぶつけた。

 「旅人よ」で始まる二部構成のコンサートは、前半が歌謡曲、ポップスのカバーアルバム「MESSAGE」中心。後半は、エレキ片手にヒット曲をメドレー。ユーモアたっぷりのMCもまじえ息つく暇がない。

 CMソングで流れ「最初、自分の歌かと勘違いされた」とエピソードを明かした「熱き心に」は、先日亡くなった大瀧詠一さん作曲の名作。たしかに加山もオリジナルの小林旭同様にキーが高く、肺活量が大きい。声帯も“若大将”だ。

 「生きるものの歌」は、中村八大さんの憂いあるバラードに、永六輔さんの人生を達観した詩が乗る。いまどきのポップスと違い、工夫しないと歌詞が間延びする。歌うものの年輪、力量が試されるこの日本版「マイウェイ」を、情感を込めながら明るく歌えるのは加山の持ち味だ。

 この日は春ツアーの最終日。打ち上げで、司会の宮本隆治アナが、バースデーケーキを「ウエディングケーキ」と言い間違えると、壇上の加山はすかさず「仮面ライダー!」と、当意即妙のギャグで返した。

 1986年の紅白歌合戦で白組キャプテンを務めた加山が、少年隊の「仮面舞踏会」を紹介した際の伝説が、ここで生きるとは(笑)。

 8月には、77歳記念イベント「若大将EXPO」を開き、史上最高齢での武道館公演(8月23日)が控える。レジェンドは止まらない。 (中本裕己)


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言われてみれば加山さんがおりましたねえ。同世代で同じように活躍している人って、ちょっと思いつきませんよ。
 まさにレジェンドです。クラシック演奏で加山さんの曲をやっているの聞いたことありますが、素晴らしいですよ。
 加山さんの曲も改めて聞き直して見ようかな…。



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◎阪神逆転勝ち 新人梅野へ交代奏功(デイリースポーツ)


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3回阪神、1死中越え二塁打を放つ梅野隆太郎=甲子園(撮影・持木克友)

 「阪神7‐5ヤクルト」(19日、甲子園)

 阪神が0‐5から逆転勝ちで2連勝、甲子園では7連勝となった。

 5点を追う三回1死から途中出場の新人・梅野が二塁打で出て、2死後、大和、鳥谷の連続適時二塁打とゴメスの適時打で3点。五回には1死一塁からゴメスが左翼へ同点の2号2ランを放った。

 さらに六回は1死一、二塁から上本の適時打と鳥谷の犠飛で2点を勝ち越した。

 阪神は先発・榎田が2回1/3を投げ5失点だったが、2番手・金田との交代時に捕手もドラフト4位の新人・梅野に代わった。

 阪神は金田から加藤、安藤、福原、呉昇桓とつないで、ヤクルトに追加点を与えなかった。

 ヤクルトは4連敗。初回は畠山の2点適時打と中村の適時打で3点を先制。三回も畠山、中村の適時打で2点を加えたが、先発の石川が5回2/3を投げ、7失点(自責6)とつかまった。


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梅野捕手の起用が見事に当たりましたね。
 1つ楽しみが増えました。
 結構なことでございます。






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 17日(16日の深夜)に注文したレンズが早くも宅配されました。
 


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 これで大抵のものが撮れる便利ズーム。
 まったく購入予定はありませんでしたが、価格COM等のユーザー評価が高いので、先入観を取り去っていろいろ調べたところ、買って損はしないと判断した次第です。




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 265グラム。
 E-M5は373グラムですから、身軽に動けます。
 
 この写真では撮影モードがPになってますが、常時A(絞り優先モード)で撮っています。
 被写体として、角度を変えたりしている時に動いたんでしょう。ロックポタンがあるといいですね。



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 このレンズを使う時は、レンズ側の手振れ補正を使うつもりです。




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 最初の1枚。




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 最初の2枚はLEICA DG NOCTICRON 42.5mm/F1.2 ASPH./POWER O.I.S.

 次の2枚は、DSC-RX100

 最後の2枚が、今回購入したLUMIX G VARIO 14-140mm/F3.5-5.6 ASPH./POWER O.I.S.

 相変わらずレンズ優先の考え方です。

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