オリモンの失敗(1) ~オリモン史(前編)~ | 新・なっくんの部屋 (仮称)

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管理人(なっくん)の趣味や日常について綴っていきます。

失敗談、成功談、経験談を語る前に、まずは前提となる10年以上あるオリモンの歴史を紹介します。
俺(管理人)自身が作成した資料集になるWebサイトも数少ないので、基本的に文字のみになります。

画像も追加できたら追加していきたいですが、今は寝床でノートPCで更新しています。
追加するとしても、後日になります。

オリモンのことだけでなく、オリモンの作風や俺(管理人)自身の趣味等に影響を与えた出来事も「オリモン史」の一環として紹介していきます。

・オリモン史のメイン … 黒字
・オリモン史のサブ(周囲での流行等) … グレー字
とします。



~1999年
俺はイラストを描くこと自体は幼稚園時代から好きだった。
オリモンとして確立する前は、主に幼稚園時代に大好きだったアンパンマンをモチーフにして描いていたらしい。

1999年
俺は当時は小学校2年生。
イラストが得意な知り合いがいると言うK先生が担任になる。
K先生は1年間、クラスで普通の授業の合間にデッサンの授業を好意で実施した。
2年生終了後間近、俺はK先生に才能を認められたらしい!?がその後続けなかったのでイラストの作風には全くに近いほど影響せず。

1999年~2000年
・周囲ではポケモンが大流行し、俺もハマる。
同時にポケモンカードゲームも流行する。

・ここからオリモンの祖先となる「ニョンニョンキー(当時のオリモンの名称)」が確立し、友達のO君と共に作成していく。
ストアス、ニョンニョン、石ころヒュマム、爆弾ヒュマム、シシウズ等はこの黎明期に誕生。
黎明期は現在(特に俺が小学校高学年以降)に作成したオリモンに比べて父親の評価は格段に高い。

2000年~2002年
・周囲では遊戯王が流行する。ポケモンはカードゲームは流行が薄れてきたが、ゲームの方の流行はまだ続く。
・遊戯王に影響され、「オリジナルカード」の作成が流行し、俺も流行に乗る。オリジナルカードの作成に当たり、カードのサイズに合わせてイラストを描く癖が付き、自由帳や画用紙一杯にイラストを描いていたのが、いつしか自由帳の角に小さく描くほど、イラストを小さく描く癖が付いてしまう。これに伴い、父親には「大きく描け!」としばしば注意されるようになる。
・トレーディングカードゲームやゲーム類が与えたもうひとつの概念は「戦闘力」。一時、全てのオリモンに定数(戦闘力)を書くようなことまであった。これに関しても父親から注意が入る。
・遊戯王では召喚獣等の事をモンスターと呼ぶため、「ニョンニョンキー」と言う呼び方も薄れ、オリモンの事を全て「モンスター」と呼ぶようになる。

2002年~2004年
・俺はゲームに異常にハマってしまう。ポケモンルビー・サファイアの発売以降、チート(改造コード,プロアクションリプレイ等)が横行する。ベイブレードや星のカービィ(アニメ、ゲーム両方)も大流行する。
・小学校5~6年生くらいで、クラスでドラクエは全く流行していない(クラスに2~3人プレイしていた人が居たか居ないか)のにその看板的モンスターである「スライム」が流行する。
・2003年夏、「劇場版ポケットモンスターアドバンスジェネレーション 七夜の願い星 ジラーチ」公開。
・クラスで小学校卒業の10年後に同窓会を開催すると想定した短編映画を制作し、開催を決意する。

・クラスで最も成績が良く、当時野球少年だったMくんが「?(ハテナ)」というキャラクターを作成し、中には紙でグッズを作成する現れるほどオリモンより人気になる。父親の「?(ハテナ)」に対する評価は当然、同時期に作成されたオリモンよりも遥かに高い。(但し、黎明期のストアスやニョンニョン、シシウズ等には並ぶと言う。)
・クラスで他の「オリジナルモンスター」を作成していたY君が「目を尖らせた方がカッコイイ」というアドバイスを俺にして、俺は真に受けて取り入れてしまう。
・スライムの流行に伴い、オリジナルのスライムを作成することも大流行する。その当時、俺も含めてスライムがドラクエのものとは知らず、スライムはクラスの誰かのオリジナルだと勘違いしていた人は結構居たと思われる。
・周囲ではオリジナルベイブレードやオリジナルカービィのイラストの作成が流行し、俺もハマる。
・小6の頃、ポケモンの映画「七夜の願い星 ジラーチ」が公開され、前売券で「ジラーチ」を受け取り、人生初、映画館で映画を見る。クラスのHさんの年賀状にはジラーチを描いた。
・当時プレイしていたポケモンサファイアのジラーチのデータを見ると、ジラーチのレベルはサファイアにおいてジラーチの専用技である「はめつのねがい」を覚えるために必要な50程度であったため、今程のジラーチに掛ける情熱は無かったように思える。

2004~2005年
・俺は中学校に入学。いじめを受けることになるが、その原因のひとつはオリモンであった。
・中学校でも、オリモンを広めようとする。しかし、まだ一部で高評価も得られた小学校時代と打って変わって酷評の連続である。
・その中でも、入学初期、一部からはそれなりに良くも悪くも評価されたモッチ、"俺は弱いんだー(正式なオリモン名)"、マチョストアス、弟からの評価はそれなりに良かったクロカニ、ストガニ、弟が作成してくれたウキワモドキ、タマゴモドキ、タマカリ、ダイナンはメインのオリモンとなる。
・中学時代の評価は今までと異なり、当時の俺には対策法が分からなかったのも当時の実力ゆえ当然であった。主に、「パクリ」、「平面な絵」と言った評価は初めてのもので、対策法がわからなかった。
・この「パクリ」に対し、「オリジナルだ!」と言い張るようになり、オリモンはモンスターから今も尚呼んでいる「オリモン(=オリジナルモンスター)」と呼ぶようになる。
・「平面な絵」はK君のみが言っていた評価。当時の俺は理解できなかったため、何も対応できず。ただただ反発していただけだったと思う。
・中学1年生の12~1月頃、ゲームにハマり過ぎて日常生活の差支えになっているとされ、親にゲームハード、ゲームソフト共に全て没収される。

2005年~2006年
・学年が上がるに連れ活発化する「いじめ」。
・オリモンに対する酷評はまだ止まない。2年生でF君と同じクラスになり、学年の中盤から更にオリモンも含めて被害を受けることになる。
・いつしか周囲からしつこく言われる「パクリ」という言葉に対し、「オリジナル主義だ!」と言い張るようになり、その信念を貫くため、オリモン以外のキャラクターを一切描かないようになる。当然、この時期から今までオリモンと同時に描いてきたアンパンマン、カービィ、ポケモン関連も含めてオリジナル以外のキャラクターは描かないようになる。

2006年~2007年
・学級問題になるほどの「いじめ」。オリモンに対する暴力。
・3年生でO君とU君と同じクラスになり、俺や1年生から同じT君、2年生から同じF君もO君とU君にいじめられるようになり、3年生中盤から学級問題になる。オリモンに対する暴力も更に酷くなり、イラストのノートを没収されて落書きされたり、破られたり捨てられたりと言った事態に発展した。
・オリモンが絡む諸問題を解決、また、いじめてきた相手と仲直りしないまま、2007年3月卒業することになる。
・ちなみに小学校高学年から中学校時代のオリモンに対する父親の評価は非常に低く、オリモンのイラストを捨てられたり、オリモンやイラストに関して怒鳴られることもしばしばあった。

~後編に続く~



前編は、黎明期~中学校時代です。

最も多くのオリモンが描かれた時期と言えます。
しかし、今思えばオリモンに関するイラスト、画力の成長は皆無に近い時期。

高校時代~浪人時代~現在(大学時代突入)のを後編に書いていきます。

次からはオリモンの作成数は停滞し、多趣味化、様々な経験、成長がメインとなります。