『フローラの不思議な本』(二) | なかのたいとうの『童話的私生活』

『フローラの不思議な本』(二)


 

第二章 フローラ
 

あくる日、学校から帰ったたかしは、いつものように、すぐには部屋に、もどれませんでした。


いったい夕べのあれは、なんだったのでしょう。

あの、いるはずのない、見えないはずの、見ても見えてもいけない、たたりのおそろしい、れいの、あれです。


たかしはまだ女の子のことを、ゆうれいだと思っていました。

ほんの一瞬、それこそチラッと、かいま見ただけなのですが、たかしには、とうてい、わすれようもないくらい、くっきり、ハッキリと、おそろしいほどに色の白い女の子の顔が見えたのです。


紙のように白いとは、まさにあのことでした。

それに、今思いだしてみても背すじがさむくなるくらい、女の子はニヤニヤ、ニヤニヤ笑っていました。

ゆうれいならゆうれいらしく、もっと、ぼうっと、すきとおって見えるものなのかもしれません。

けれども女の子は、朝になると、すうっと消えていたのです。

女の子がゆうれいじゃないとしたら、いったいなんだというのでしょう。


とは言え、たかしには、女の子がいったい、いつ消えたのかということについて、心あたりがあるわけではありませんでした。

きのう、たかしが、見ちゃった、どうしようと思ってビタっと目をとじてから、今朝になってリビングのソファの上でひとりでに目がさめるまで、たかしは、ずうっと目をつぶっていたのです。

いったいどうやって自分が部屋を出て、いつからリビングで寝ていたのかさえ、わからなかったくらいなのです。


すくなくとも学校へ行く前に、お母さんにたのんで、いっしょに部屋にきてもらったときには、女の子は、いなくなっていたようでした。

もし、だれか知らない子がいたとしたら、先にはいったたかしのお母さんが、なにか言うはずでしたから。


「どうしたの、たかちゃん?

 いつもとおんなじよ?

 きっと、わるい夢でも見たのよ」


もちろん、たかしの頭の中に、ひょっとするとあれが見えるのは、自分だけかも、という世にもおそろしい考えが、なかったわけではありません。

ですからたかしは、お母さんが部屋のドアをあけたときも、ビッチリと目をつぶっていました。

そしてお母さんの大きなおしりのかげにかくれていたのです。


でも、どうでしょう。

お母さんにそう言ってもらえて、やさしく頭をなでてもらえただけで、たかしの頭の中にあったフキツな考えなど、あっというまに、どこかへ、ふきとんでしまったようです。

たかしは、自分でも気づかないうちに、かたくとじていたはずのその目をパッと、あけていたくらいです。


そのとき、あまりにも、ほっとしたからなのでしょう。

たかしは曜日をまちがえて、おとといの時間割で用意した教科書をもって、学校へ行ってしてしまいました。

クラスのみんなに笑われて、大はじをかいて、そうして、つい先ほど、学校から帰ってきたところだったのです。


 

 

たかしは、おそるおそる自分の部屋のドアをあけてみました。


ぐるっと、ひととおり見わたしたかぎりでは、部屋のようすは今朝となんらかわらないようでした。

紙くずひとつ動いていません。

午後の日ざしをうけて音もなく、しずかに部屋の中をただよう、ほこりだけが、たかしの目にうつるただひとつの動くものでした。


そしてあの本。

あの本はまだ机の上に置いてありました。


ところで今朝、たかしのお母さんは、本には気づかなかったのでしょうか。

こんなにも大きくて、ぶあつい本に。

古くて、手あかまみれで、それこそ、なにがにおってきても、すこしも不思議ではない、この、こぎたない本に。たかしの部屋には、まったくもって、につかわしくないと思うのですが……


さてさて、じつは、それについては、なんとも言いがたいところがあるのですが、ひとつ、わたしたちのあいだでは、よくこういったことが、おこったりもするのです。


たとえばお日さま。

そう、太陽です。

わたしたちは、それがあるということを、おかしなことだと感じることは、まずありません。

なにせ、だれもが生まれる前から毎日毎日、一日もかかさず、出たりはいったりしているのですから。

それは月も星もおなじです。

さらには、山、川、海などにもあてはまります。


そして、それとおなじことが、わたしたちがふだん生活している町や家の中にあるものにも言えるのです。

じつはそこに、どんなものがあろうと、そこに生活している人にとって、かわりばえもなく、ずうっと置いてあるような、そうしたものは、あたりまえすぎて、なんの不思議もない、それがあることさえ、すっかりわすれてしまっているような、ごくふつうのものになっているということが、よくあるのです。


ところが反対に、どうです?

おともだちの家にあそびにいったとき、なにか、あれっと思うような、かわったものを見つけませんでしたか?

いつもとちがう道をとおったとき、

いえいえ、いつもとおるそのおなじ道を、ためしに反対側からとおってみてもいいでしょう。

そうしたとき、なにか目あたらしいものを見つけませんでしたか?

それがなんであれ、そこにはきっと、たくさんの不思議があることでしょう。

そこに生活していない人にとってみれば、そういう、おやっと感じたものは、それがたとえ、どんなに、ささいなものであっても、今まで見たことがなかったり、おかしな組みあわせでそこに置かれていたりする、めずらしいものにちがいないのですから。


けれどもやはりそうしたものも、そこに生活している人にとってみれば、そう、どれもこれもおもしろみのない、じつにあたりまえなものなのです。

なくなりでもすれば、大さわぎするにちがいないのですが、あってもべつになにも感じないのではないでしょうか。


とするとです。

もし……、もし、かりにです。

知らないはずのものが、見たことのないはずのものが、すうっと、それこそゆうれいのように、そうしたわたしたちの生活にはいりこんで、まったく、そしらぬ顔で、わたしは百年前からそこにおりますと……、

いいえ、そこなどでは、けっしてなく、今、まさに、ここに、いすわっていたとしたら……


いえいえどうして、おそろしいものです。



もどりましょう。

 

 

そしてあの本。あの本は、なんの不思議もなく、机の上に置いてありました。


たかしは、なんども、なんども、うしろを確認してから、椅子にすわりました。

そして本を開いたのですが、本を開くときには、なんのためらいもありませんでした。

いきおいよくドスンといって開いた本からは、モワッと、あやしげな、けむりのようなほこりが、まいあがっていました。


たかしは、きのうのつづきが読みたくて、読みたくて、たまらなかったのです。

ですから本を開くと、バサッ、バサッと、すばやく音をたててページをめくっていきました。

学校でもたかしは、ぼーっとして、日記のことばかり考えていたのです。


ところが、たかしが、いくらページをめくっても、たしかにきのう読んだはずの、あの日記のページはおろか、おなじ男の人によって書かれたと思えるような、べつの日づけの日記さえ、見つかりませんでした。


かわってあったのは、



 
四月十六日 にわとりさん、ぼくのおしりをつっつかないで
 
ひよこさん、ひよこさん、どうして、にわとりさんに、なったのさ。

にわとりさんは、きょうぼうで、いっつも、ぼくを、つっつくの。

ぼくのおしりを、つっつくの。


きょうは、パパのおしりを、つっついて、


「てめえ、このやろー、くっちまうぞ!!」


どーしよう。

うちのパパは、りょうりにん……




とか、



 
九月八日 だれかおねがい、あたしの指から指輪をとって
 
もう、しつれい、しちゃうわ!

どうして、このあたしが、ドロボウ呼ばわりされなきゃなんないのよ。

指輪を買え買えって言って、あたしの指に指輪をはめたのは、あの店員じゃない。

うーっ、腹たつぅ。

ああ、イタッ、イタッ、イテテテテ。

もう、どうしてくれるのよっ!

おこると、よけい、痛いじゃない!

だれか、あたしの指から指輪をとってぇー。

なんか、指が、ソーセージ?

いえ、ちがうわ、ハムみたいになってるのよ……




 とか、



 
一月九日 オラんとこのハナが、ゆんべ、ふたごさ、うんだだぁ
 
聞いてくれろ。

オラんとこのハナがよ、ゆんべ、そう、ゆんべだぁ、とづぜん、産気づきゃがってよ、

いままで聞いたこともねえような、ものすんげえ声で、オンオンなぐもんだから、

オラ、わけえのに、医者さ呼んでこいって言ったんだけんども、

あのやろう、なにさ思ったか、人間のお医者さ、つれてぎちまってよ、

まいっちまったんだぁ。

うちのハナは、ベコでねえか、牛でねえべか……




ほかにも

「十一月十三日 ラララー♬ のど自慢、うで自慢、おれ自慢♬」とか、

「六月三十日 ぬき足、さし足、しのび足。あしたの朝日は、おいらのかたき」とか、

「七月十日 ああ、痛い、痛い、おなかが痛い。あたくし、おちたものなんて、食べてません」などなど、

ありとあらゆる人たちによる、はっきり言ってなんてことはない、というより、どちらかと言えば、くだらない、そんな文章が、えんえんと日記のかたちで、その本にしるされていたのです。

 

 

たかしは、ちょっと、あきてきました。

なにせ、めくっても、めくっても、きりがないように思えるのです。

思わず大きなあくびが、ふああああーっと、でてしまいました。

なんだか、ねむたくなってきたのです。


そして、おやつを食べてから寝るべきか、それとも食べずに今すぐ寝るべきか、そんなたかしにとっての大問題に、ねむたい頭をなやませて、でもけっきょくは、なにもきめられずに、ああでもないと、こうでもないが、頭の中を右に左に、いったり、きたり。

そうしてさらにいっそう、ねむたくなってきた、そのときでした。


「どうしようもない、グズね。

 寝るなら寝る。

 食べるなら食べる。

 はやく、きめちゃいなさいよ。

 見てられないわ」


もう、びっくりです!

たかしのうしろ、すぐうしろ、それも息づかいだって聞こえそうなくらいの、ものすごい、ちかくから、女の子の声が聞こえたのです。

たかしはもう目をつぶっています。

とうぜんです。

目なら、いつでも、すぐに、つぶれるのです。


けれども、こんどは耳もふさがなくてはなりません。

それがうまくいかないのです。

たかしは、なんどとなく勇気をふりしぼって、手を動かそうとするのですが、おそろしさで体がこわばってしまって、手が、まったく言うことを聞いてくれないのです。

まるで金縛りにでもあったかのように、指一本、もちあげられそうにないのです。


(ああ、やっぱりゆうれいだ。

 たたられる。

 どうしよう……)


たかしは、心の中でつぶやきました。

すると、こんどは、


「なんなのよ、あたしはゆうれいなんかじゃないわよ!

 目のたま、ひんむいて、よく見なさい?

 よく見なさいったら!

 もう、

 世話がやけるんだから」


ああ、だめです。

だれかの指が——って、もちろん、女の子の指にきまっているのですが、その指が——たかしの顔をガッシとつかみ、うむを言わさず、そのまま、ものすごい力で目を、たかしの目を、ぐぐぐぐぐ、ぐぐぐぐぐ、ぐぐぐぐぐーっと、こじあけようとして、そうして、ああ、だめ!

目が、

目が、

目が開いちゃうううう……


その瞬間、たかしは、もうれつな、いきおいで、さけびはじめました。



ギょエェェェェー!! うわァー!! ギャーーーーー!!



とにかく。

もう、とにかくです。

とにかくたかしは、さけびつづけました。

でも、なぜかそこに、女の子のさけび声が、かさなりはじめるのです。



キゃアァァァァー!! だめェー!! イャーーーーー!!



いやいや、もう、なにが、なんだか、わかりません。


女の子は、ちょっぴりほほえみながら、いかにもたのしそうに、たかしのマネをしてキャーキャー、キャーキャーさけんでいただけなのですが、

とにかく、こわくて、こわくて、おそろしくて、なみだがでるどころか、おしっこさえもらしかねない、そんな、たかしに、そういった女の子のようすなど、わかるはずもありません。


まったく、たかしには、もうすこし、しっかりしてもらいたいところです。

 

 






 

 


 
☆☆☆*:.。.ほかにもお話しはたくさんあります.。.:*☆☆☆