違憲審査制度があるので憲法学者や国民は憲法その他の法律問題を判断できないか? | なか2656のブログ

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1.はじめに
安保関連法案に関してわが国の大多数の憲法学者から「違憲」との強い批判が寄せられています。そして多くの国民も安保関連法案に疑問を抱いています。

そのような情勢を受け、政府・与党は、昨年から集団的自衛権について、砂川事件判決(最高裁昭和34年12月16日判決)を持ち出して合憲であると主張してきました。

また、本年6月に衆議院の憲法審査会で長谷部恭男教授・小林節名誉教授らからも「違憲」との強い批判を受けたことを踏まえ、今度は政府・与党は「統治行為論」を持ち出して、集団的自衛権や安保関連法案を正当化しようとしています。


(6月の衆議院憲法審査会。朝日新聞より)

そのようななか、ネット上で、「憲法81条は最高裁判所は法律、行政処分などが憲法に照らして合憲か否かを判断する終審裁判所であると違憲審査制を規定しているので、最高裁が判断しない以上は、憲法学者や国民は集団的自衛権などが違憲か否かを判断する権限を持っていない。そのため、国会と内閣のみが判断できる。」とのさらに奇抜な議論に接しました。

憲法
第81条  最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。


2.最高裁以外は判断できない?
しかし、そのような論法では、憲法訴訟だけでなく、普通の一般国民や企業が係る民事・刑事の訴訟や各種の法的問題も、確定判決が出るまでは結果はだれにもわからず、予想がつかないことになりますが、それは妥当な状態でしょうか?

たとえば企業は新しい事業を行う際などに、普通は弁護士なり法律学者等の専門家に事前に相談し、予防法務・戦略法務などを行います。

最高裁以外法的な判断ができないとなってしまうと、企業の活動は停止してしまいます。

またこのような論法では民間部門だけでなく、内閣より下の行政部門も法的判断をしてはならないことになります。

たとえば警察が交通違反の反則切符を切ることから、地方自治体が建築物の建設の許認可を行うことまで、すべて内閣に判断してもらうことになってしまいます。そうなっては、日本の社会・経済活動はストップしてしまいます。

そもそも違憲審査制は、戦前は違憲審査は民主主義に反するとされていたところ、第二次大戦の反省により、ドイツ・フランスやアメリカなどで違憲審査制が生まれました。わが国の違憲審査制もそのひとつです(憲法81条、芦部信喜『憲法[第6版]』377頁)。

そして日本は、独仏などが、憲法裁判所が、議会が作った法律について、訴訟が起きる前に違憲審査を行う「抽象的審査制」をとるのとは異なり、アメリカなどと同様に、実際に個別の訴訟が起きたときに、その訴訟の裁判に必要な限度で法律の違憲審査を行う「付随的審査制」をとります。

そして、個々の裁判に個々の審級で裁判官が憲法、法律、良心により判断を行います(憲法76条3項)。別に最高裁の裁判官のみが違憲審査の権限を持つわけではありません。

憲法81条が「最高裁判所は…終審裁判所である」との規定を置いている趣旨は、戦前の特高などの反省にたち、行政裁判所が終審裁判所となってはならないという意味です(憲法76条2項、芦部信喜『憲法[第6版]』377頁)。

そのため、憲法81条により最高裁しか憲法上の判断できないという主張は正しくありません。

この点、長谷部恭男教授(憲法)も、6月15日に日本記者クラブで安保関連法案を批判する記者会見を行った際につぎのように説明されています。

最高裁が回答を示すべきか否かという問題と、当該国家行為、問題となっている法律が違憲か合憲かという問題はレベルが違う。たとえ最高裁が判断を示さなくとも、違憲なものは違憲。最高裁が違憲と言わないからといって政治部門が違憲の法律をつくって良いということにはならない。

・安保関連法案の撤回を求める長谷部氏と小林氏の発言詳報|朝日新聞

3.憲法学者の学説は意味がないのか?
さらに、これはどの分野の学問もそうだと思いますが、法律学も、実務(裁判など)と学説(学者・研究者)とが相互に補完しあう関係にあります。

裁判官などの法律家は、学者の先生方の教科書を学び、厳しい司法試験に合格し、裁判官などの法律家になります。そして、裁判官になったあとも、常に法律雑誌などで判例・学説の知識のアップデートを行っています。

たとえば最高裁には、裁判官から任命される最高裁判所調査官という職位の方々がおられます。調査官は裁判官などの法的知識のアップデートのために、重要な最高裁判例に関して、「最高裁判所判例解説」(いわゆる「調査官解説」)という論文を執筆し、その論文は、法曹時報という雑誌に掲載されています。

この雑誌を読めばわかるとおり、最高裁判所調査官解説は、判例だけでなく、その判例の論点に関するさまざまな学説も実によく研究されています。裁判所が判例だけでなく学説をも非常に重視していることがよくわかります。

そのような意味でも、最高裁のみが憲法などについて判断を専権的に行う権限を持ち、憲法学者は不要という議論は正しくありません。

4.「国会は国権の最高機関」
なお、これはネット上で議論となっていないようですが、違憲審査制とは別の論点として、憲法41条は「国会は国権の最高機関」と規定していることを今後、安保法制合憲派は援用するかもしれません。

しかしこの点、内閣は衆議院の解散権を有し(憲法7条3号、同69条)、また、裁判所も法律などに関して違憲審査制(憲法81条)を有して、国会・内閣・裁判所が相互にチェックしあう三権分立の関係にあることから、この「国権の最高機関」との文言は、国会が主権者たる国民から選挙で付託を受けているという意味での「政治的美称」つまり、一種のリップサービスであると解されています(芦部信喜『憲法[第6版]』295頁)。

したがって、国会だけが憲法や法律の解釈に関して内閣・司法に優先し、フリーハンドの権限を持つわけではありません。

5.内閣・行政府は安保関連法案に基づく行政行為を行うことができるのか?
また、内閣が集団的自衛権を前提とする安保法制による行政行為を行うことができるかが問題となります。

明治憲法は、「天皇ハ陸海空軍ヲ統帥ス」(11条)、「天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ構」ずる(13条)と、「軍事」に関する根拠規定を置いていました。

しかし現行憲法は「軍事」を内閣が行うことができるとする規定を置いていません。

内閣は行政を行います(憲法65条、73条1項)。ここで行政とは何かが問題となりますが、国家(=日本)の統治行為の作用のうち、立法(国会)・司法の作用を除いたものと一般に解されています(控除説・憲法、行政法上の通説)。

したがって、控除説の考え方からは、日本は集団的自衛権に基づいて、海外でわが国の行政権を行使することはできません。

また、内閣は「外交関係を処理」する権限(憲法73条2号)、「条約を締結する」権限(同条3号)を有するとの明文規定がありますが、集団的自衛権の「他衛」は、外交にも条約にも該当しません。

したがって、内閣は集団的自衛権に基づく安保関連法案による行政行為を行うことができません(木村草太「集団的自衛権と7・1閣議決定」『論究ジュリスト』2015年春号20頁)。

6.まとめ
このように、憲法81条などの規定をみても、内閣・国会がフリーハンドで憲法や法律の解釈を行うことはできません。

言うまでもなく、わが国は国民主権の国家です(憲法前文第1段落、同1条など)。憲法学者を含め、主権者たる国民こそ、安保関連法案などの極めて重要な法案・政策を判断する権限があります。(この点は砂川事件最高裁判決の統治行為論に関する部分の結論部分でも再確認されています。)

国会議員が選挙で国民から付託されたからといって、国民から白紙委任がなされたわけではありません。また、憲法は最高法規であり(憲法98条)、国務大臣、国会議員、公務員などは憲法尊重擁護義務を負うのですから(同99条)、憲法に反する立法は許されません。

■参考
・【安保法案】砂川事件/違憲の指摘に対し政府が反論の見解を発表

・集団的自衛権や安保法案の根拠は「統治行為論」?/砂川事件

・「独裁の始まり」と小林、長谷部教授が安倍政権を痛烈に批判/安保関連法案

・安倍政権の憲法上のクーデターに対して日本国民が闘っている|英インデペンデント紙

■参考文献
・芦部信喜『憲法[第6版]』295頁、377頁
・木村草太「集団的自衛権と7・1閣議決定」『論究ジュリスト』2015年春号20頁


憲法 第六版



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