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夫と結婚して今年で18年目です。のろけてるわけではなく、整理するために書いたので重い話もあります。
 
娘から聞いたのですが、夫は私を「天然」だと思っているのだそうです。
たぶん私が解離症状で、ミスが多かったり、ぼーっとしやすいところからきているのだと思います。
(今はミスは減りましたが、誰かといる時にぼーっとするのはあります。)
 
夫は紳士的なところもあるので、すすんで重たい物をもってくれたりします。私が化学物質過敏症の対策をしていると「こうしてみたらいいんじゃない?」と言うこともあります。
 
 
先日、夫が屋根の雪下ろしを始めたので、私も手伝いました。
 
そのときに、私が屋根から落ちるんじゃないかと先回りして心配していました。
 
私はちゃんと足元とか周りを見てるし、考えて行動しているので、危ない動きはしていません。たぶん夫が私に持っているイメージの問題だと思います。
 
この話を娘にしたら「お父さんがお母さんに優しくて意外」と返ってきました。「ん?」と思ったので、もう少し詳しく聞いてみると「お父さんって、シックハウスのときのイメージあるからさ…」と言いました。
 
娘は、私と夫が離婚する寸前までいったときに、離婚する理由を話したときのことを言っているのです。
 

 
そもそもなぜ離婚寸前までいったのかというと、結婚して1年くらい経った頃に夫が結婚前から抱えていた多数のローンが発覚したのが始まりです。
 
私の母も、亡くなった祖母も、配偶者の借金で苦労しています。私が結婚する前に「借金はないよね?」と、母も祖母も、私の夫に確認しているのですが…夫は無いと答えていました。
 
 
その数カ月後、銀行からお金をかりてローンをまとめるという話を夫から聞かされて、銀行へ一緒に行きましたが、これは半分嘘でした。
 
夫は銀行から融資を受けてローンの返済をし、さらに私に内緒で自分の勤め先に投資もしました。その会社は数年後に倒産しました。
 
シックハウスの家で私が見つけただけでも400万円の請求がありましたから、もっと借りていた筈です。借金は結局、債務整理しました。
借金や嘘、隠していたことについての謝罪は一度もありません。
 
なので、私がシックハウスになったときは、家にはめちゃくちゃお金がなかったんです。食べるものにも困るくらいでした。
 
・投資先(勤め先)は倒産。
 
・夫は数カ月アルバイトした後、今の勤め先に入社し、社宅に引っ越し。
 
・引っ越し先が決まるのが遅かったため、娘は公立幼稚園に申し込めず、私立幼稚園に入園し。制服代だけでも5万円近くかかりました。
 
・私が母を拒否していたので実家とは疎遠
 
・シックハウスの家に引っ越す前に住んでいた家を退去するときに、15万くらい請求されました。家賃は6万5000円だったと思います。確かにトイレの換気扇は壊れていましたが、普通に住んでいただけです。
 
夫に「敷金を入れてるのにこんなに請求するのはおかしいんじゃない?」と言いましたが、夫は「自分達が住んでいて壊れたんだから」と、大家さんに退去費用を支払いました。
 
 
幸運にも夫の再就職先はみつかりましたが、シックハウスなのにお金がなくて引っ越せないし八方塞がりでした。
 
もともと私は人間不信でしたから、借金と嘘で不信感が強まり、夫は私の中で「信じてはいけない人」にカテゴリしていました。
 
こうなると私は頑なになり、メンタル症状がでやすくなります。夫に対して距離を置くようになって夫婦関係も険悪になっていきました。
 
 
私はシックハウスの段階で「このままでは化学物質過敏症になる」という話しもしました。夫は自分が信じている健康食品を持ち出してきて「これを飲めば治る」といいます。
 
化学物質過敏症は当時、病名登録されていなかったので、夫は「国が病気と認めていないのだから、そんなものはない」という考えでした。
 
ないものに対して「健康食品で治る」といっているのだから矛盾していますね。
 
結局、私は化学物質過敏症になって娘を連れて実家に避難しました。このブログを書き始めたのはこの頃です。
 
夫の主張と、私の主張(化学物質を避けるなどの対処方法)がぶつかりあったのが、離婚寸前までいった原因です。別居期間は4年くらいです。
 
 
 
NPOの方に離婚後の生活の相談もしました。私の親が同席して離婚届に判を押し、養育費をとりきめて、公正役場にもいきました。
公正役場に入る寸前に、夫が「できる範囲で桜に協力する」と折れたのでやり直すことにしたのです。
 
夫とここまでいったので、もう離婚すると考えて娘にざっくりと経緯を話し、「お母さんと暮らしたら(化学物質過敏症や経済的に)大変かもしれない」ということも話しました。
 
 
私のメンタル症状がよくなって、解離や麻痺が取れて感覚が戻ったことでわかったのですが、以前は自分の中で色々と感覚が遮断されていました。
 
私としては相手のことを考えてやっているつもりでも、感覚的なことがわからないせいで、実際にはできてないということが多々あったんだと思います。
 
夫としては恐らく、私がメンタル症状によってできなかった部分に対しては「桜は天然だから」と、大目に見ていたのでしょう。
 
夫婦関係が険悪になるにしたがって私に対するイメージが悪くなり、許容できなくなっていったのではないかな。と推測しています。
 
もしそうだとしたら奇特な人ですよね。夫を大事にしないといけないのかな。
 
 
それと、別居して2年目くらいの時に、私が夫との約束を破ったことも要因の一つです。
なぜ破ったかというと、夫に何度も嘘をつかれたり、約束を破られたのに、自分だけが嘘もつかず、律儀に約束を守ってるのがアホらしくなったのです。
 
どんな理由があろうと破ったことには変わりないです。
なので夫が全て悪いということではないのです。
 
 
娘が特に気にしていたのは、離婚のことを話したときに伝えた、私の病気に対しての夫の言動です。それを何年も抱えていたとは気づかず、申し訳なかったです。最近はお父さんのイメージがアップするように娘に話をしてます。
 
娘は「お父さんは私には優しいけど、お母さんには優しくないんだ」と思ってたんだそうです。夫は3人で話してるときは、ニコニコしてるか普通の表情だったのですが、根本的なイメージの問題なのでしょう。
 
コンプリメントをかけるために、夫の良いところも見てはいました。でもそれは、自分の気持ちは脇においていたり、夫と一定の距離を開けながら…というのもありました。
 
私が夫に対するイメージを、根本的に塗り替えていかなければなりません。
嫌なイメージを持っていると、その人の良いところを見ても、その人が何かしてくれても、自分の中に入りづらいですよね。
 
 
夫のイメージを変えるというのは、私の中でずっと向き合わないようにしていた問題でした。この問題を解決すれば、たぶん全てがプラスへ向かうはずです。解離も減ると思います。
 
わかってはいてもこれまでの経緯と、あそこまでの人間不信があったので踏ん切りがつかなったのです。ここを変えなければ私は変われません。背中を押してくれたのは娘です。
 
まず夫に対する私の警戒心を解くところからですね。メンタルの調子が悪くなるようなら様子見しながら進めます。イメージを変えようと決めたら気持ちが楽になった部分もあります。
 
過去記事を整理していて見つけたのですが(アメンバー記事なので見られません)発症したばかりのころ、化学物質過敏症に関係することで、一生忘れないだろうと思うような言葉を夫がメールしてきましたが…すっかり忘れてました。(苦笑)
 
離婚でもめた時に使うため、別居期間中に夫と交わした送受信メールは全て保存していました。昨日、それも消しました。
 
再度夫に裏切られるというのはたぶん無いと思いますが、もしあったとしても今の私ならなんとかなるし、コンプリメントがあれば大丈夫です。
 
2019.2 追記
夫とのその後について、現在はこうなっています→エモーションフリー
 
2020.2 追記
この時の私は甘かったなと思ってます。離婚するかも→モラハラ夫から精神的に自立する
 
 
 
イメージを変えるというのは、母に対してもです。いつか変えていかなければならないと考えています。
 
私が子どもの頃から持っているイメージでは冷たい人ですが、実際はそうでもないのかも。
 
 
父に対しては変える必要はなく、不思議と良いイメージしかないです。
 
私は父と母が離婚して母に引き取られたと思ってたのですが…離婚する少し前から父子家庭でした。当時のことは断片的な記憶しかなかったので、思い違いをしていたようです。
 
母に聞いたのですが、父子家庭になって数カ月後、父が帰ってこなくなりました。非常にわかりやすいネグレクトです。
 
その後、祖母や母の計らいもあって何度か会いましたが、父はまたいなくなってしまったのです。それ以後のことは「父のこと」に書いています。
 
 
前回、父の面会にいった時、最初は私がわからなかったようです。思い出すまでに30秒くらいかかったので、父も思い出せてホッとしているようでした。
 
お互いに何を話したらいいのかわからないのは相変わらずです。それでも父は自分の覚えてる記憶をポツポツと話してくれます。子どもの頃のことは結構覚えているようです。
 
私達には共通の思い出が少なすぎるし、認知症のために会話が難しい部分があるのだと思います。
 
たぶん父は、ひとつところにじっとしているのが苦手な人なのだと思います。今は左半身不随で車椅子です。外に出たいようで「車を運転したい」とスタッフさんに言っているそうです。
 
昨年の冬休みには、娘と父を会わせました。
お互いにとても緊張してましたが、娘は「おじいちゃん若いね!」と言っていました。(今年68歳になりますが、髪が黒くてフサフサです。)
 
父が娘の笑顔を見てすごく嬉しそうだったのが印象的でした。
 
ゆっくりですが、認知症は確実に進行しています。