成分の象徴でもあり健康の代名詞の野菜、そもそも数百年前にはまったくなかったものばかりだ。
米や玄米など穀物の歴史も浅く人類史から見れば微々たるもの。
人間の食の本質を導き出す思考の順路は幾つもあるが、歴史から思考を進めるのはその中の一つに過ぎない。
GPSのように違った角度の電波の交点が現在地であり、数が多いほど正確に出る。
祖先出現から数百万年、現人類ホモ・サピエンスは二十万年前のアフリカが発祥とされているが定かでもなく、新たな発見があればさらに遡るだろうしどちらでも大差ない。
日本に米が伝わったのが約2千数百年前としてもすべてが食べていたわけではない。
山と海に囲まれた日本では水田の場所は限られている。
穀物の出来る地域は限られ、熱帯地域のようにまだまだ狩猟採取や漁労で生きる人の方が多かった。
米や野菜作りと言う人知の技術の全土波及には時間がかかる。
遺跡発見からの情報は開始時期であり波及年代ではない。
世界にはいまだ穀物を作れず食べられない地に住む人も多い。
動物の体は数千万年、数百万年かけて環境に馴染んで来た。
たかだか数千年、数百年で体質、食性が大きく変るものではない。
奈良時代に今の野菜は存在せず、せいぜいニラやシソ程度、日本古来の野菜はフキとワラビくらいで山菜と呼べるものしかない。
加熱調理と言う人間独特の知恵なくして食べられないものが大半、それは近代まで続いた。
生食可能な木の実を除くこれら野菜穀物は人間の食の本質とは何ら関係がなく、ましてそれらから抽出した成分を強調する「生命を持たない健康食品」などは論外。
そのようなものを本来の体を維持する健康と結び付けることには無理があり、その矛盾を指摘する人がいないのもおかしなことだ。
人体の機能は野菜穀物や健康食品をまったく必要とせず進化して来たことは間違いない。
成長と肥大3 正常と異常
http://ameblo.jp/muu8/entry-11550525853.html
ベジタリアン・む~の葛藤1
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ベジタリアン・む~の葛藤2
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