魂の行方 3 体の仕組み | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

地球に存在する物質の元「元素」は幾つもなく、原子とも言うが、原子が結びついて分子になり、分子の集合体になると目に見えるようになる。

鉱物など単純に結合した分子の集合体を「無機質」、生命を持つ分子の集合体は「有機質」に分類され、科学は無機は自在に操作しているが複雑な組み合わせの有機にはいまだ及ばない。

生き物の体は有機質であり、植物動物を問わず小さな細胞の集合体だ。

細菌が増殖するように最初は細胞分裂、卵生、胎生と、構造が複雑になるにつれて繁殖法も進化した。

繁殖とは同種を生み出すことで、クローンと言う言葉もあるが、人工物に置き換えるならコピーとも言える。

こう考えれば「鶏が先か 卵が先か」などは愚問だろう。

無から有、つまり鶏が急に空中から出て来るはずもないし卵が出るはずもない。

「どちらが先でもない」が正解で、これでは問題にもならない。

進化の過程の一部分だけで考えるからわからないのだ。

その主旨からして、「親が先か子が先か」なら答えは明白だ。

卵と違って「子が先」と答える人は減るだろう、イメージが湧いて来ないからだ。

生命に関することを一部分だけ取りあげて簡単に言葉で片付けるのは、健康、野菜なども同じで本質を見失う原因となる。

今の科学がそれに当たり、総合ではなく専門学者が溢れているが、物質ならともかく生命の仕組みとなれば何の役にも立たない。

多くの専門学者達と話した複雑物理学者の原人も嘆いていたが、いくらその道の頂点でも学問のベースが狭ければ野人や原人と対等に議論出来るはずもない。

ひたすら磨いた狭い道を一歩逸れると赤子同様

「なんだ・・そんなことも知らんのか」・・となってしまう。


この問題は思考の盲点そのもので、今の学問の在り方が問われる。

それは縦割りと呼ばれ融通が利かず市民が迷惑している行政も同じことが言えるだろう。

生命の仕組みは専門学者の手に負えるものではなく、医学も健康とは無縁の人体パーツの修理屋さんのようなもの、病院や薬で健康が保てると思う人もいないし健康は自己責任だ。

生命学を大学に設けるなら20年かけて国庫資金で育成すべきだろう。

厚生省を医学とは関係のないそれらの人材で固めた方が税金も節約出来て国民の為になる。

修理に薬品は必要だが、修理がいらない健康体なら薬品もいらないのが道理だ。

国民の健康を目的とする省庁が何故「医療」「薬品」中心で、「予防薬」「わ~クチン」まで登場して来るのか理解出来んな・・・本来ならいらないものばかりではないか。

それらは個々の事情でどうしても健康が保てず、最終手段として必要なものなのだ。

専門演奏家が千人集まろうがすべて理解した指揮者不在ではオーケストラにならない。

プライドで固めた専門学会の縄張り争いが横行するだけだ。


鶏も健康も野菜も生命の歴史を遡り立体的に考えれば簡単にわかる。

野菜とは植物であり、その歴史をたどれば植物も動物も生き物はすべて一つの単細胞に行き着く。

それが思考の起点であり、生命とは、健康とは何かをあらためて組み立てればよい。


前置きが長くなったが、次回は「意思編」に入る。

言葉で単純に片づければ「魂」「心」「意思」は「あそこへ行ってしまった~アップ」で済むのだが、仕組みをわかりやすく説明するのは脳ミソ使うんだよ・・

いつもの倍の文字数だが4回では終わりそうもないな。

読む方も疲れるだろうし、次回で打ち止めにするか・・まだ読みたい?

希望署名が多ければ続けるが・・




人間の「気」の補給源は三つ

http://ameblo.jp/muu8/entry-10114066744.html

異次元とは

http://ameblo.jp/muu8/entry-10115613639.html