気の科学8 人間の「気」の補給源は三つ | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

人は自分の体の細胞と心を維持する為に「気」を補充する。

強固な構造の無機物と違い、有機物は不安定で、分子を持たない心はもっと不安定だ。

それらを構成する電気である気を常に必要としている。

生命体にとって気は不可欠なものなのだ。


無機も有機も電子で成り立っていると言う事を否定出来る人はいない。

分子を構成する原子の周りを回っているのは電子であり、その個数だけで原子の特性が決まる。

炭もダイヤも同じ炭素だが、分子の結びつきが異なるだけだ。

だから炭素に高温高圧をかけて「人造ダイヤ」が作られる。
鉄が錆びるのは空気中の酸素と結びつき「酸化鉄」になるからだ。

鉄の電子が飛び出すと鉄が鉄ではなくなってしまう。

万物は一定ではなく常に形を変える。

鉄にペンキを塗って酸素を遮断すれば少しは酸化が防げる。


植物や動物が枯れたり腐ったりして形を成さなくなるのも酸化だ。紙が燃えて灰になるのも酸化。

有機物は炭酸ガスと水から作られ、いつかは形を変え、もとの水と炭酸ガスに戻ってゆく。

有機物にペンキを塗るわけにもいかない。自らの意思で酸化を防ごうとする。それが「生命力」なのだ。


「花の命は短くて」と言う歌があるが、その形を保てる期間は短い。

しかし植物は意思を持って花を咲かせ、役目が終われば花は元の「無」に戻ってゆく。

花を長生きさせる必要がないからだ。

それが森羅万象の仕組み。生き物は仕組まれた道理に従い電子を補給し続けている。


電気である「気」の補給源は三つ

人間の場合は「大気」と「水」と「食べ物」だ。

呼吸を通して、皮膚を通して大気から補給し、水を通して補給、食べ物を通して補給している。

この中で口から入る食べ物や飲み物は主に「細胞」を維持する為のものだ。


細胞も意思である「気」を持っている。

つまり有機物であれば何でも良いわけではなく、「生命力」のある「地球本来の有機物」を求めているのだ。

それはどのような環境であっても自らの力でエネルギーを蓄えた有機物だ。大きさや色や形は関係がない。

理に適っていなければ形は同じでも中身が伴わず、養分や気の乏しい不自然なものでしかない。


生命の起源は海であり水だ。だから常に水と接する生き物のほうが長く生命を保てる。

植物が一番で、次に像やクジラや人間などだ。

動物は全て水を飲まなければ生きていけない。

飲むだけでなく水浴び回数は多いほうが良いのだ。


漢方で体の「気の流れ」「水の流れ」「血の流れ」が基本になっているのにはそんな理由がある。

血の流れを作るのは「食べもの」に当たるが、決して「栄養分」だけではない。

人はとかく栄養バランスだけにこだわりがちだが、大切な事は流れを作る「生命力」だ。

それは食べものが持つ電子のエネルギーとも言えるもの。

だから無機有機を問わず、肥料で必要以上に野菜を膨らませるのは感心しないが、多くの人を飢餓から救う食料と捉えるならそれも人の文明だろう。

自然界の仕組みに適った食べものとはどのようなものなのか、健康にこだわるのならば、もっと地球の歴史から勉強すべきではないだろうか


大気からの気の補給はとかく他力本願になりがちだ。

様々な「技術」を求め、あるいは「製品」を求め、「場所」を人は求める。

やらないよりはやったほうが良いが、他の生き物がそうであるように本来は何もしなくても良いように人は出来ている。

求めるよりも、正常に気を保てなくなった原因を分析、突き止めて自らの力で修正したほうが良い。人の知能はそれが出来るはず。

壊れた箇所もわからずにいくら気を補給してもザルに水を注ぐようなもの、原因はすべて自分自身にあるのだから。

「成るべくして成る」それが宇宙の仕組み。物質も、有機物も、心も・・