母は短歌も県で賞を取り新聞にカラー写真でデカデカと顔が載った。
昔も今も野人の字をこき下ろすくらい達筆で、野人はとても母の手紙の字は読めない。
その道の達人に言わせれば、今時こんな字を書ける人はいないそうだ。
高一で小説家を目指そうとしたが、母の「その下手くそな字で?」の一言で断念した。
野人が10年以上連載しているエッセイも、毎回雑誌を買ってしっかり目を通している。
「またあんなバカなこと書いて・・いい加減やめなさいよ」と、インネンをつけるのだ。
本好きもいまだ健在で、2週間に一度は図書館から借りて読んでいる。
文学全集は日本も世界も昔に読破、いったいどれだけ読めば気が済むのだろうか。
先日も予約していた直木賞作家の本が来たと、この猛暑の中を片道25分歩いてもらいに行ったらしく、野人が本を読まなくなったことを知れば「お小言」が飛んで来るに決まっている。
これではいまだ過保護の勤勉お坊ちゃまと変わらないではないか。
人は生涯勉強と言うが野人は本ではなく自然界から学び続けることにしたのだ。
本の役目は既に終わり特に学ぶこともない。
人は何の為に学ぶのか、学ぶことが人生の目的ではなく、学んだことを新たな形にして活かし、世の中に役立てることのほうが大事だと思っている。
あらゆるジャンルの先人の知恵や哲学を学ぶことなど所詮無理な話で、人間本来の体力知力をもって動けるのはたかだか数十年しかないのだ。
野人は朽ち果てるまで人としての使命を果たし続け、それ以外のものは望んでいない。
母は人を傷つけるのが嫌いで、子供の頃は喧嘩して人を殴るとこっぴどく叱られた。
「殴るくらいなら殴られなさい、そうすれば痛みがわかる」が口癖だ。
20代での闘争や命を縮めた仕事、検挙されてテレビ新聞に実名報道されたことなど一切話していない。
26歳で海の猛威に人間の限界を感じ、母に遺書まで書いていた。
母が健在中は「連載 東シナ海流」は本に出来ない。
必ず読むし、読めば卒倒、嘆き悲しむことだろう、お説教も待っている。
「野人エッセイす」が発行されて数カ月、野人もまだ読んではいないし母にも内緒にしている。
エッセイ連載の雑誌に載ったこの本の予告をしっかり見て追及されたが、「何かの間違いだ」・・と、とぼけてシラを切り通した。
いまだボケる気配すらなく、この調子ではボケようもないだろう。
母の見解とは逆に、頭を打ち過ぎたおかげで脳天のチャクラが開き、あまり他にはない特異な視点と理論を持てたと思っている。
非常識とも言えるそれは単純な道理、当たり前のことばかりで、当たり過ぎた産物だ。
先日の連続猛暑の中、たまには違うスーパーがいいと、往復1時間歩いてどっさり買い物して来たらしいが、さすがに「参った」を連発していた。
毎朝の新聞もそうだが、安売りのチラシはしっかりと見ている。
90近い婆ちゃんが・・猛暑の中、コンクリートの道を1時間歩く様子を想像してみなさい・・・豪傑、絶好調とはこのことだ、女は・・逞しい、再婚すればいいのだ。
伊勢正三 幼馴染の記憶
http://ameblo.jp/muu8/entry-10090977845.html
海の底で亡骸にかけた言葉
http://ameblo.jp/muu8/entry-10090762035.html