FB投稿より 一連のものをアップします。

 

今回のお話のテーマは「大人になって勉強しない日本人」です。

 

 

 

(投稿1)

 

大人になると勉強しない、世界でも異質な日本人。

 

となると、大人になっても学び続ける人を育てるというのが、現代教育のタスクの一つになるはずです。

 

もしそれに逆行することが教育現場で行われているとしたら、

民主主義を崩壊させ、同時に、独裁国家を築くことにつながる、

ということを頭においておかなければならないのだろう。

 

どっちがいいか、国民が選ばなければならないし、

 

望まない方向に行きそうだとすれば、声をあげるべきでしょう。

いち、市民レベルで。

 

 

 

参考ニュース

 

 

(投稿2)

 

他人はどうあれ、自分だけは大人になっても勉強する、という習慣をつければ、社会では簡単に一人勝ち、というのが現実。

 

 

 

(投稿3)

 

それとこれは子育てでは大事なのだけれど、自分が勉強していないのに、子どもに「勉強しろ」は全く通じない(見抜かれる)ので、諦めた方がいいです。

 

 

 

 

その2の記事に続く。

 

 

 

 

 

 

拙著

 

 

 

おすすめ本

 

 

 

 

 

 

 

 

今や合格実績づくりのために、公である学校ですら、無理やり受けなくてもいい学校を受けさせたりする時代。

民間塾なんてなおさら。
…というか元々そんなもの。

志望校を変えさせたり、意にそぐわない場合は退塾させたり、というのを色々聞いてきた。合格実績を稼ぎたいからね。

賢い子は他から引き抜いて、無料で受講、なんてザラにある。

そういう業界だ。(全国から見学などがある立場になってから、業界情報は山ほど集まってくる)


消費者側は、そういうのも考慮して、子どものために何を選ぶべきか考えてもらいたいと思う。


少なくとも、それらは教育とは言えないので、(毎度言っているが、教育業界と呼ばない方が良い)、
僕らは、
全く別のスタンスをとる。


そういうこと。


(おわり)FB投稿より



拙著





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教育記事まとめ Note




月謝を半額以下にしたことで、何が起こったかというと、

これは先に想定していたわけではなかったのだけれども、

 

そこに本来かかる子どもたちの学費のうちの半分以上を、僕が出しているということ、

そういうことが結果、形として生まれた。

 

(原価を余裕で切っているので良い子は真似しないでね)

 

 

 

簡単にいって、僕がその月謝の半分以上を持っている(負担している)ということ。

 

もう少し言及すると、僕による子どもたちへの教育投資が起こっている。

 

 

もちろん先に想定してセッティングしたことは、あくまでも、

「地域に、お金に翻弄されない、本当に価値のある場所を作ること」。

 

何が価値で、何が本質かを知ってもらうための実践であり、場作りであり、その場の維持である。

 

 

その上で、実際にこれをやることで生じたこと、現実的に起きていることは、

 

僕が親御さんの負担の半分以上を肩代わりして、子どもたちに教育として投資をするということとなった。

 

 

 

(保護者の皆さんがこれについて上記のようなことを気づいてはおられないはずで、単に、月謝安いね、という範疇だろう。無論それはそれで良い。ただ、実際に起こっていることはそれ以上のことなので、ここで記述しておきたい)

 

 

 

さらに、

もっと本質的な意味で言えば、

教育は、投資どころか、ギフト(贈与)なのである。

 

 

教育は本来、一方的な大人からの子どもへの(見返りを求めないという意味での)ギフト(贈与)であるはずである。

 

特に今回、起きたことは、東浩紀氏の言うところの、「贈与とは、交換の"失敗"によるもの」ということに、偶然にも重なったのではないか、とも捉えている。

 

 

非常に興味深いことが、今、起こっているように感じている。

 

 

 

そして、これがこの先、何につながっていくのか、どのような効果をもたらすのか、まだまだわからない。

 

親ではない僕が、親以上に贈与を続けていくと何が起こるのだろうか、と。

 

 

以上、わかりにくいことだとは思うけれども、

一応、今を記述しておく。

 

 

(おわり)FB投稿より

 

 

 

受験進学塾 まなラボスクール 小中高対象

☆小中コースは全体の人数調整に入っています。小学生と中2を優先します。また友人、知人紹介はなんとか対応するつもりなのでご相談ください。
 
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英語が木曜日、数学は火曜・金曜の開講です。
 
 
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人としての軸や柱がない、そんな人たちが大半になったら、社会は一体どんなものになるのか。

 

その姿がすでに見え始めてきた。

 

日本ではこれまでなかったことだ。

 

 

信仰や道徳、倫理、それだけではやく、もっと簡単なところでは、人の教えのようなもの、教訓、人生観、人生訓、そうしたものたちが、社会や共同体から失われてきている。

 

 

それらが失われた中で育つ子たちは、一体何を根拠に、何を頼りに生きていくのか。

 

その場の感情やその時々の気分、即時的な何かだけで、生きるしか、術は無くなっていく。

 

 

そのような人たちが大半になったとき、果たして人はどう生きるのか。

 

どのように生きることになるのか。

 

 

有史以来、僕らはそうした人の姿をまだ目にしたことがない。

 

 

僕ら日本人は、無宗教で信仰のない民族のように思われがちだが、そうではない。

 

仏教や神道、自然崇拝といった信仰は、日常生活の中に実に自然に織り込まれた、そんな共同体の中で生きている。

他の国の人たちから見ると、この姿はさぞ不可思議で奇妙に見えるだろう。

週末、教会に足を運ぶわけでもなく、聖書を手元に置いているわけでもない。

 

しかし、僕らはそれらを、日常生活の中のほんの些細な生活習慣のようなものの中に、静かに織り込んでいる。それも大袈裟でなく、それとなく、何気なく。

 

同様に、教えのようなもの、良き行いとはこんなものだよ、というような小さな智慧を身近なところに、生活レベルで持ち続けてきた。

 

ここには先述しなかった、儒学(儒教)や石門心学といった、(信仰というよりも)教えや教訓のようなものが含まれるだろう。

 

 

翻って。

 

 

これらが失われた社会、共同体を、どうやら我々は生きていくことになる。

 

近年、社会の底が抜けたと言われ始めた頃から考えれば、もうかなりそれが進んできてしまっている。

 

 

見たことのない社会を生きる。

 

見たことのないヒトを目にすることになる。

 

 

軸や柱を持たない、

いわば、信仰や教えを持たないヒト。

 

どうやって生きていくのだろうか。

生きていけるのだろうか。

 

 

その姿はどんなものになるのだろうか。

 

想像もつかない。

 

 

その場限りの、即時的な反応だけで、言葉を発し、行動する人たち。

 

 

そのヒトの人生が豊かなのか、幸せなのか、それすらも。

 

 

 

(おわり)

 

 

拙著

 

 

 

 

 

本質的な学びの場をここで。

人として何が大切で何を大事にすべきか。指示命令ではない場所でちゃんとそのことに向き合って学び続けてほしいと思っています。混沌とした時代に、大切なものをここで。

 

 

 

 

 

 

今月は中学のテストが続きます。

 

教室はいつも通りテストモードに突入。

 

毎週末、テスト対策です。

 

みなさんよろしく。

 

テストがんばりましょう。

 

 

 

(おわり)

 

 

 

 

まなラボスクール(小中高対象)

 

本質的な学びの場を。

 

学びの場、教育の場は失われてきました。小学から、早い段階での通塾をお勧めしています。

 

 

 

NPOまなラボ

講演等、業務依頼はこちらよりどうぞ。

(現在、教育関連での講演を、自治体・教育委員会よりお受けしています。下関市、美祢市、岩国市で講演予定です)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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