「墨攻」というのは、中国の春秋戦国時代に秦が統一を果たそうかというとき、
敢然とそれに立ち向かった思想的な意図をもった技術者集団の話しなんです。
建築エコノミスト 森山のブログ
技術者というのは、たいがい社会的な思想とは無縁なことが多いですよね。

現代でもたとえば「はやぶさ」を飛ばした人、iPS細胞を培養した人、等々
みなさんものすごい研究者であり実践者です、彼らは皆そのことで未来に利益を
もたらすことはうっすらイメージしているかもしれませんが、
当面の現代社会の仕組みや、ましてや、彼らからしたらうすら汚い政治とか金の世界
などにあまり興味をもっていないと思うんです。

しかしながら技術者が、いうなれば職人が、思想つまりは大義をもったとき、
社会システムに対して圧倒的な力を発揮する可能性です。

それが、春秋戦国の時代に秦という大国に周辺諸国が飲み込まれようとしていた、
まさにそのときに、
統一的世界文化よりも、多国多文化均衡型社会を維持する方が社会的な利益が
高いと判断して、
今でいうグロ-バリスムに対抗して、もしくはグローバルな行動への抑止力として、
「専守防衛」「非攻」を旗印に、
圧倒的な科学力と徹底的な軍事力を持った集団として活動しています。

すくなくともマンガ「墨攻」の中ではそう描かれています。

墨者である主人公の革離(かくり)は秦に攻めれつつある小国に、
たった一人でおせっかいにも乗り込み、
「この城を守る」と宣言して大軍隊と渡りあって小さな国を守る。
そのあたりの描き方が颯爽として非常にかっこいいんですよ。

建築エコノミスト 森山のブログ

昔、俺の一番好きなマンガなんだ!と吹聴していたころ、
うちに出入りしていた元アクセンチュアの人間が読みたい貸してくれ、
といったきり催促しても返してくれないので、彼もきっと嵌まったんでしょうね。
コンサルタント業をやっている、やろうとしている人は、
この「墨攻」は、絶対一度読んどいた方がいいですよ。

さて、
前回まで、
ちょっと大風呂敷を広げて闇雲に手当たりしだいに大暴れをもくろんでいた森山ですが、
で、結局どうなったのか、、、といいますと、、本当に残念でしたが、、

新規事業はそのすべてが始まらなかったです。

まあ、私が甘かったといえばそれまでなんですけど、、
準備、準備で明け暮れて、経費かかりまくってたんですが、
年が明けて、誘致の新工場の建設が始まり、
その建物設計にも追われていました。

銀行の方々とも、いろんなお話をしていました。
私は金融の素人の強みで無茶振りしていたんですが、

特に、二代目に判子つかせるのを辞めてほしいといった話しとか、

これはどういうことかと言いますと、先代で大きな借金をこしらえて、
なおかつ経営が危ぶまれ始めると、銀行は次世代の後継者に
早めに判子押させようとするんですね。

会社の借り入れの保証人になんだかんだで息子を加えようとする。
ある会社Aで親父さんが既に個人保証で借りているのに、さらに追証を求める。
追加融資をチラつかせたりしながらですが、、

そうなると、息子さんはマイナス状態から会社Aを引き継ぐことになるし、
個人保証を引き継ぐことになってしまいます。
親父が死んだら息子も飛ぶことになる。

それよりも親父さんにはそのままA社の保証背負ってもらって、
息子さんがまっさらな新会社A+作って事業譲渡や人材を再雇用して継承すれば、
大変な時代とはいえゼロスタート、もしくは設備投資済みなんだから
プラススタートといえなくもない。
なら、親父さんが飛んでも息子さんと新会社A+で生活を助けられますよね。

また、町中で債権を買いまくっている人とも会いました。
債権を安く安く買い取って、その会社の社長家族を逃がすだけの金を手渡して、
会社を乗っ取ってしまう。そのうえで死ぬほど安い金額でパチンコ台を
作らせて高い高い金額で納品してから会社を潰していってました。
「町のために、やめてくれ!」って言いました。

この人は乗っ取った会社の敷地にあった神社も潰していたなあ。
「やめろ!そんなことしたら死にますよ!」って言いましたけど。
裸になった神社のご神体の石が野ざらしになっていましたよ、、

生産能力のある会社が資産ごと食われて人間ごと使い捨てにされていくんですよ。
千年とか数百年間そこにあったであろう鎮守の森がサラ地になって転売される。

これだけは止めたかったです、なんでこれを地域や日本は止められないんだろう、、

自分の非力さや無力さを歯がみして身体が震えるほど、心底感じましたね。
建築家とか作品とか、人に吠えたりとか、そんなのもう辞めようと思いましたよ。

だから、なんとか早く新規事業を始めてほしかったんですが、
なんだか雲行きが怪しいんです、、というのは、

私も田舎出身なんだから当然早く気づくべきだったんですが、

地元の派閥です、、派閥というか仲良し仲悪しの関係です。
それも今に始まったことではなくて、20年前のこととか、
かつて羽振りがよかった時代のこととか、
子供時代のこととか、

組織の外からでは見えにくい部分です。
組織がしっかりしていればいるほど、
むしろ外に向かっては意図的に隠している部分です。

誰さんが居るならやめる、、とか誰さんが儲かるのは認めない、、
とか誰さんがなぜ優遇されるのか、、、といった話しもあって
シンクタンクのメンバーや役員が集まらないんです、、
資金を出してくれた企業もあったんですが、組織が構成できないから、
ペーパーカンパニーのままで資金が使えないんです。

当然、僕らの経費も一部は見てくれた社長さんいらっしゃったんですが、
どんどん自腹で動き過ぎて、私が死に始めました。
というか私の力不足もあって、私の集めた人たちの組織が持たなくなった。

また最終的に投資した会社だけでやるか、、という話しもあったのですが、
それじゃ1社のために新規事業をやることになって本末転倒です。

私がここでのコンサル料を取らない仕組みにしたから、
当然僕らにも元々短期の報酬はないわけで、
しかも、組織が動いていないからこちらへの経費も出ない。

活気づけに、マスコミに取材に来てもらったらどうかな、、などと甘いこと考えて、
「熱血陸地」とかいうTV番組に地域産業を再生する企画持ち込みやってみたりしましたねえ。
「いいですよ~、すぐ取材行きますよ!3000万円持ち込みなら」って言われましたよ。
なるほど、F1ドライバーと同じ仕組みなんだな、と妙に納得しましたが、、

ここから1年間しのぎにしのいで、シンクタンクの設立と起動を必死で待ったのですが、
成立し得なかったんですよね。
設立資金はその後も2年ほど眠っていたみたいですけどね。

しかしながら設計中の工場だけはなんとかしなければならなかったので、
当時のうちのメンバーの設計チーフであった一級建築士の先生が、
自腹で移動宿泊までしてくれて電気の技術者まで呼んでくれて、
なんとかかんとか、なんとか工場建設まではやり遂げて撤退しました。

というわけで
「墨攻」の革離気分でがんばったんですが、
最後は僕の仲間も全部消えて革離と同じになっちゃいました。
残念!

まあ、なんというか自分の力不足ゆえなのですが、、
あれから6年経過してやっと客観的になれて、ちょっと紹介できる気になったので
書いてみたお話です。
じゃあ、もう大川には行かないのか?と聞かれると、
いつだって行きますよ!またやってみたいです!と答えます。

木工の技術や人材がある企業や地域でしたら、ぜひサッシ製造と型枠製造に
チャレンジしてみてください。
お手伝いします!
たぶんまだ勝機あると思うんです。

この話しはもうこれ以上書けないので終わりです。


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