細川新厚労相に読んで頂きたい派遣の歴史 | 雇用維新 派遣?請負?アウトシーシング?民法と事業法の狭間でもがく社長の愚痴ログ

細川新厚労相に読んで頂きたい派遣の歴史

拙ブログでは、毎度おなじみhamachan先生こと、濱口桂一郎氏のブログ「EU労働法政策雑記帳」に派遣労働問題の全関係者、特に本日新任された細川厚生労働大臣に、ぜひともお読み頂きたいレポートが掲載されている。

非正規雇用の歴史的あり方と今日の問題点


昨今問題となっている非正規雇用が歴史的にどう生まれ、なぜ今のような問題を孕むようになり、その中にどのようなごまかしや問題のすり替えがあったかが纏められている。


何かと言えば「非正規はダメだ。正規が幸せ」と盲目的に発言する誰かさん達には、こうした歴史的な流れを、改めて勉強してほしい。(あ、分かった上でやってるんだった^^;)


レポートは⇒http://homepage3.nifty.com/hamachan/forum1001.html


そして我々自身も、規制緩和、事業拡大を重視し、こうしたごまかしを放置してきたことを真摯に反省しなければならない。




非正規について、全体を通じ、読み込んで頂きたいが、「派遣」については、


時代の転換-新たな非正規の登場と労働者派遣法
 
 ところがこの時期には世の中が変わっていました。90年代にパートが問題になった時に想定されていたのは主婦パートでした。だから、政府もそれほど本気でやっていたわけではないし、こういう言い方には語弊がありますが、ややお付き合い程度、野党の方も対決法案という位置づけではなかったから“均衡”という意味不明の言葉で妥協したのだろうと思います。ところが2000年代に入ると世の中の状況が大きく変わっていて、新しい形態の非正規労働者が増大していました。その1つが派遣労働者であり、もう1つは実態が派遣でありながら派遣といわずに請負と称する“偽装請負”でした。

 このような雇用形態は戦前から存在していて、戦後の高度成長期の前にも大問題になっていました。かつて造船や鉄鋼には社外工が数多くいましたが、戦後になると職業安定法ができて直傭化した。ところが米軍の占領が終わると、労働省はすぐに通達を出して、あまり杓子定規に考えなくてもいいという判断を示した。それまでの直傭から社外工が再び拡大することになったわけで、これが50年代です。 

 製造業はこのような傾向にありましたが、それとはまったく別の動きが60年代になると出てきます。事務処理請負業という形での実質的な労働者供給事業の拡大です。マンパワーというアメリカ系企業によって持ち込まれました。

 戦後、労働者供給事業を禁止したのはアメリカ占領軍のコレットです。彼は「日本の労働世界を悪くしているのは労働ボスの存在だ。彼らを排除する必要がある」として、職業安定法を作って供給事業を禁止しました。その占領軍がいなくなると、再びアメリカからマンパワーがやってきて禁止していた労働者供給事業をやり始めました。

 労働省は当初、これを規制しようとしたようですが、紆余曲折を経て1985年に労働者派遣法ができました。この時に「専門職だから認める」という妙な理屈をつけてしまった。すなわち専門職だから大丈夫なのだ、専門職であることが最大の労働者保護であって、それ以上に派遣労働者であることに着目をしてあれこれ規制する必要はないという理屈を作ったわけです。私は今日の派遣問題の原点はそこにあると考えています。



こうして作られた「専門職だから認める」という妙な理屈に甘え、派遣業界は成長してきたのです。

その時の経緯が、派遣会社マン・フライデー社長だった竹内義信氏の『派遣前夜』という小冊子に書かれています。



対象業務

 それにしてもほとんど固まってきた派遣法の腹案を見せられたときは、その中に記載されている極端に制限された対象業務を見て、これはだめだと思った。そのときは私一人労働省に呼ばれたのだが、頭の中が真っ白になった。要は職業紹介の法律と同じコンセプトで、特別の技術なり能力を必要とする業務に限られたものだった。11の業務であったが、我々が行っている派遣に対応するものは5業務くらいで、あとは情報処理産業、ビルメンテナンス、旅行代理店の派遣業務だった。その腹案を開示した時の労働省の姿勢は、これは相談ではなく決定事項の通達という感覚だった。持って帰って検討することは否定的だった。そこでとっさにいくつかの専門的技能が必要な事務業務を挙げたのだが、一つ一つ丁寧に反発され、考え方取り方の問題となってしまい、なかなか受け入れられなかった。だが、私はここで頑張った。秘書とファイリング業務を追加して欲しいと粘った。担当官は、「秘書などただ客にお茶を出し、スケジュールをメモするだけではないか」との意見だったが、私は、欧米での秘書業務は速記とかディクテーションができなければだめで、高度な能力が必要と説得、またファイリングについては、図書館のファイリングシステムを例に出し、縦横斜めから求める本を探し出すためのシステムを構築するのは大変な能力を必要とするし、これは会社におけるファイリングシステムも同じだと説いた。 


 後日、担当官から秘書とファイリングを対象業務に追加した旨の電話をもらった。法律が制定された後、このファイリングが思わぬ方向に展開した。幅広く捉えられ、このことによって派遣事業の発展に大きく寄与する結果になった。



こうした動きが、当時の対象業務決定までの経緯で行われ、以後は、皆様の知るとおり、「臨時的・一時的」「専門」というごまかしに手を付けないまま、規制緩和だけが、成されてきてしまった。


そして本年、そのごまかしを詰めたパンドラの匣の蓋を、「26業種適正化プラン」が開くことになったのである。


「派遣」はなぜ生まれ、どこが問題だったのか…。


このレポートと小冊子を読み解くと、その核心が見えてくるのではないでしょうか。


少なくとも「登録型」や「製造業」を禁止すれば、解決するなんて考えにはならないと思いますが…。


ではまたパー