私のプロフィールについてお話しておきますね。

興味ない人はスルーしてくださいね。

幼少期
福岡の田舎町で、ちょっと厳しい父とちょっと過保護な母親の元で兄妹3人の長女として育ちました。
小さいころから、細くてよわよわしいけど、かけっこはなぜだか速い。普段はお絵描きが好きなのんびりした子供でした。


中学、高校時代
部活で陸上競技を始めました。

種目は短距離走。中学では専門の先生はいなくて、数学の先生がたまに様子を見に来る
程度でしたが、3年生の時は、県大会で2種目に優勝しました。

高校は、田舎の進学校に進みましたが、あまり勉強もせず、どうしたら速く走れるかばかり考えて居ました。

1年の時は、スパルタ的先生の指導で鍛えられましたが、1年で転任。
その後、新任の先生の真逆の生徒の自主性を重んじる練習指導に変わりました。
(反動で練習サボる子もいました。)
私には、逆にそれが自分で考える、工夫する練習になり、そこにおもしろさを見い出し、3年の インターハイで100m優勝。200m2位と言う結果に。

大学時代
大学は、行きたい大学もありましたが、恩師のすすめるままに東京の女子体育大へ。
(このころは、自分の思っている事を周りに言えない子でしたねぇ。)

大学では、怪我が多く陸上では思った成績は残せませんでした。
(高校の時が良すぎたから、思う様にならないことを学べってことかなと勝手に思ってました)

また、高校時代 自由に自分で練習をしてきた私にとって、当時100数十人いる部活動は、
規律と統制が重んじられ、なじめない部分が多くありました。

それでも4年の時は、部の主将をやらせてもらい貴重な体験をすることができましたが。

のちに、ここでの4年間の理屈より行動の体育会精神が、社会に出たときに、すぐに役立つ行動力やマナーを自然に体得していることに気付きました。

就職は、かなり迷いました。
当時、この大学はほとんどが教職を希望する状況でした。
ただ、私自身は、ひたすら陸上競技に打ち込んできて、自分自身をしっかり見つめる事も
ない状態で 安易に教師を選択していいものかと。

こころざしがなさすぎるように思えました。
また、走ることが特技を生かすには違いはないけど、本当はどんな自分でありたいか、
あるべきかも良く見えていませんでした。
そこに覚悟の弱さを感じていました。

が、まず採用試験に受かることは難しいだろうと思っていました。
田舎の両親にも、試験に落ちたら東京にのこっていいかの許可をもらい採用試験を受けました。

ところが結果は合格。
逆に、こんな自分が教師になる資格があるんだろうかと合格通知を前に悩んでしまいました。
この時、思ったこと。

これは、神様の計らいだ。
自分の人生は全部自分で決まるものではなく、運や縁なんかがあるのだろう。
そうだとすれば、この合格も神様の意志だと思って、やれるだけ頑張ろう。
出会うでろう子供たちに恥ずかしくない先生になろう・・・。
そんな、気持ちで社会人のスタートを切りました。

ながくなりましたので、続きはこちら。