彫刻家 日下育子セルフインタビュー  第2回 ~「君は何者なんだ?」が本当の出発点になりました~ | みんなの学び場美術館 館長 IKUKO KUSAKA

みんなの学び場美術館 館長 IKUKO KUSAKA

生命礼賛をテーマに彫刻を創作。得意な素材は石、亜鉛版。
クライアントに寄り添ったオーダー制作多数。主なクライアントは医療者・経営者。
育児休暇中の2011年よりブログで作家紹介を開始。それを出版するのが夢。指針は「自分の人生で試みる!」

みなさま こんにちは。

彫刻工房くさか 日下育子です。


今回、学び場美術館 54人目の作家として
彫刻家 日下育子の掲載をさせていただくこととなりました。


今回は、このブログを担当している本人について、彫刻作家・日下育子についてお伝えします。
読者の皆様に、お楽しみいただけましたら幸いです。




日下 育子      (Photo by 喜久里 周)



前回はガラス工芸作家の大槻洋介さんにご登場頂きました。

大槻洋介さん  第1回   第2回   第3回     第4回   第5回 







第2回目の今日は、制作テーマとそこに至る過程について掲載させて頂きます。


制作そのものだけでなく、日下育子の興味などの背景についても触れさせて頂きます。

お楽しみ頂けましたら幸いです。


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「コアへ向かうためのすきま」
H187×W220×D100cm 沼宮内石
1998 岩手町総合運動公園に設置






「朝を待つ種」
H50×W60×D40cm 黒御影石
1999







萌エル

H60×W20×D37

黒御影石 伊達冠石
2001






地表ニテ

H120×W100×D80

黒御影石 伊達冠石

2004





「 I am ・・・ 」

H145×110×D65 (cm)

黒御影石  鉄

1997





まなざし・対話

H110×W175×D48(cm)

伊達冠石 木

1998






彫刻工房くさか 
前回、石を彫り始めて間もなく
石を彫る自分とは何か」という自問自答が始まったとのことでした。
その頃のことをお話ください。



日下 育子
私は中学高校と新体操部出身で、自分でも踊ることが大好きでした。
大学に入学してすぐに麿赤児さん 率いる 大駱駝艦 というグループの
暗黒舞踏 を鑑賞したことがきっかけで舞踏にとても興味を持ちました。
関連して唐十郎さん  などのテント芝居もたくさん見ました。
卒業論文のテーマは、「暗黒舞踏の肉体の扱い方について」というものでした。


大学で彫刻を学ぶ時は、必ず塑造(粘土)で

人体が立つ時の自然の摂理や構造を造形して学び、表現します。
私の場合は、それを舞踏の鑑賞や自分が踊っていた時に感じたこと、
つまり体の感覚や空間の感じ方をとても意識して作るところがありました。


造形する対象物としての人体にも、制作の行為者である自分にも
肉体に宿るエネルギーや「元気」というものががいつも
表われていればいいなぁ、と意識していました。




彫刻工房くさか 
そうですか。




日下 育子
大学を卒業する頃は、石彫はまだ始まったばかりで
まだ何も納得のいく作品を創ったことがことのない、
未熟だけれどもエネルギーだけはあって熱中している状態でした。


その為、卒業後の進路は、教員や就職の選択ではなく
家族の反対を押し切ったかたちで制作を続けることを選びました。
幸い、卒業直前に、大学に副手で3年間雇って頂くことが決まり
それで両親もひとまずは納得してくれたのでした。


学生の時と同じ環境に残れたとはいえ、フルタイムの仕事でしたので
思い通りに作れた訳ではありませんが
たくさんの展覧会情報が入って来る環境でしたし、
遠方の展覧会を見に行ったり、大学図書館の本を読んだりできました。



彫刻工房くさか 
恵まれていましたね。



日下育子
はい。その時は当たり前に感じていたようなことでも
今思うと本当に私は恵まれていて、ありがたかったと想います。


この頃のことをもう少し書かせて頂きますと、
副手を終えてすぐに、茨城県笠間市でその頃、数年連続で開催されていた
アーティストキャンプ・イン・カサマに参加させて頂きました。
これは、学び場美術館にもご登場下さった
彫刻家 松田文平さん 
オルガナイズされていた公開制作のアートイベントでした。、
同じく、学び場美術館にご登場頂いた 
彫刻家 鈴木典生さん  ともそこでお会いしました。



若手を中心に、国内外の作家16名が参加しており、
50日間、生活を共にして制作に打ち込む環境でした。
そこで、いろいろな作家の制作をみせて頂き、

多くの技術、道具のことを学ばせて頂きましたし、

いろいろなタイプの作家がいるのだと実感しました。



彫刻工房くさか
それは良かったですね。



日下育子です
はい。本当に素晴らしい体験でした。
ただ、見える世界が少し広がり深まったことで、
「石を彫る自分とは何者なのか」という問いかけはより真摯なものになりました。


実際に、著名な作家や彫刻シンポジウム(※)で出会った海外の作家からの
「君は何者なんだ?」
という問いかけに言葉に詰まるような体験もしました。



彫刻工房くさか 
そうですか~。

その質問で言葉に詰まるというのは具体的にはどういうことなのでしょうか。



日下 育子
私にその問いを投げかけた作家というのは
ご自身の出生国では自分らしく生きること、芸術家としての自由な活動が困難で
他国に移住した方でした。


また、日本に在住している芸術家でも、海外にルーツがあって
それ故に、強く社会に表現で問いかけたい想いをお持ちの方でした。


そういう方々は芸術家として、作品で世に訴えたいという表現欲求を強くお持ちだと想います。
そして実際に、シンポジウムのような、制作に専念できる環境に来た時に
仕事の集中力というか、熱中する度合いが物凄いと感じました。



私は、私の立場やアイデンティティーで表現せざるを得ない何かがあるとか
それを表現するのに最も適している素材として石を選んだとか、
そういうことよりは、石を彫る行為の楽しさから彫刻に入っているので

何か創る資格を問われたようで辛く感じてしまったのだと想います。


もしかしたら、その方達から見ると
創るのが好きなだけで芸術を選べるというのは
良くも悪くも不思議に感じられたのかもしれません。
そう想えるようになったのはずっと後からでしたが。



彫刻工房くさか
そうですか。
とはいえ貴重な体験だったのではないですか。



日下育子
はい、本当にそうでした。
彫刻という表現の分野を選んだことで、より一層、自分を見つめることとなり、
彫刻は造形をする哲学だと想うようになりました。


だから、今、この時代に、この日本の仙台に生まれた私が制作する意味というか、

核(コア)になるものをすごく求めていました。


けれども一生懸命自分を見つめて「自分探し」をしても
それほど語るべき時別なものではないように想われました・・・。


自分だけを見つめても自分はよく見えず、
自己というものは周囲とのかかわりによって
相対的に見えてくるものなのではないかと感じました。



彫刻工房くさか
そうですか。



日下育子
はい。自分なりの表現スタイルと同時に、制作テーマを求めて行って
その結果「自分とは何者なのか」という問いかけ自体を
表現する作品を作るようになりました。


それが初期の頃の「I am ・ ・ ・」や「まなざし・対話」という作品でした。

その後、植物の種子と私にとっては衝撃的な出会いがあり(※)

同じ「自分探し」を表現するのでも
彫る対象物が人間そのものから種子に変わっていきました。


  

   ※作品制作の思いを書いております。 お読み頂けましたら嬉しいです。

    朝を待つ種      萌エル        地表ニテ


個人の問題としての「自分探し」を超えて
誰にとっても普遍性のある「生きること」自体に視点が広がりました。

今は、制作テーマは明確に「生命、生命感を表現すること」といえます。


そしてまた、制作を繰り返すうちに、自分のスタイルは
自分が捉えたり、感知したりしたネガティブなことが出発点であったとしても
それでも「生きることは素晴らしい」という生命礼賛、生きることを礼賛する
生命感ある作品に昇華することなのだと自覚するようになりました。


実際に創作プロセスを経て、完成する頃に
自分のネガティブな想いも肯定的な方向に向かっているのです。


 

 
彫刻工房くさか
そうですか。



日下 育子
そこに至る過程で、自然農法家の
福岡正信さん  
「無Ⅱ 無の哲学」  (だったと想います)という本を読んだことがありました。 
  

その中に、文言は正確ではないかもしれませんが
「芸術家はアトリエの中で悩んでいないで
 もっと生命を謳歌した美しい作品を作るべきだ」という趣旨の言葉があって
私は頭をガーンと殴られるようなショックを受けたことを覚えています。


それまでの私は、美しいものを美しいままに表現したら「芸」が無いのではないか?とか
人の心を打つ作品は、楽しんで作っただけでは生まれない、
つまり苦しまないと生みだせないとか
素直でない想いにとらわれていたなぁと想うのです。

このことは、特に最近になってよく自覚するようになりました。


今は、私自身も少しですが成長できたように感じていて
素直に「生命礼賛、生きること礼讃」の彫刻を作っていきたいと心から想っています。



彫刻工房くさか 
そうですか~。
ありがとうございました。




 ※ 彫刻シンポジウムとは。
1959年にオーストリアの彫刻家カール・プランテルによって始められたものです。 
その趣旨は、「彫刻家たるものアトリエにこもって一人で作っていないで、
彫刻家同士、寝食を共にし多いに語って創ろうではないか!」ということだったと聴いています。


私が20代の時に出会った作家たちの中には、実際にこのカールプランテル氏が
オルガナイズされたシンポジウムに参加された方もいらっしゃいました。


日本では、彫刻シンポジウムは1960年代から開催されるようになり、
その公開制作はある意味社会教育の意味合いもあり、また出来あがった作品を設置する
ことによって野外彫刻設置が推進される流れができました。


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本文にも書かせて頂きましたが、私の20代後半から30歳にかけては、
アーティストキャンプ・イン・カサマをはじめ、いわゆる彫刻シンポジウムで
仕事をさせて頂くと同時に人間として学ばせて頂く時期となりました。


内容の濃い出会いを通して「自分とは何者か」考える機会を頂いたと想います。

こんな風にして、私は美術を通して育てて頂いたので、
何か美術の分野に自分でもできる恩返しがあれば、という想いもあり
この学び場美術館の作家インタビューをはじめました。


これまでに、登場して下さった作家さんにも
それぞれの今に至る貴重なプロセスがあり、それをお話して下さっています。


インタビューでは、素材や造形表現のことをお伺いしていますが、
それに向き合う作家さん達の真摯な姿勢は、もしかしたら美術分野以外の方々に
とっても生き方として参考になるところがあるかもしれません。


また美大生の方々や美術への進路をお考えの若い世代の方々にも
有益な情報になればと想っております。


今回は、まさかの本人登場となりまして、恐れ入りますが

これを機にありのままの私を知って頂けたら嬉しく存じます。

本日もここまでお読みくださいましてありがとうございました。



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   私の誕生日が11月14日なのにちなんで名づけました。
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   2011.11.14 第1号  ~  2012.4.14 第18号



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