彫刻家 渡辺 尋志さん 第3回 ~自分の作っているものに楽しみを感じて作る | みんなの学び場美術館 館長 IKUKO KUSAKA

みんなの学び場美術館 館長 IKUKO KUSAKA

生命礼賛をテーマに彫刻を創作。得意な素材は石、亜鉛版。
クライアントに寄り添ったオーダー制作多数。主なクライアントは医療者・経営者。
育児休暇中の2011年よりブログで作家紹介を開始。それを出版するのが夢。指針は「自分の人生で試みる!」



みなさま こんにちは。

彫刻工房くさか 日下育子です。


今日は素敵な作家をご紹介いたします。

彫刻家の渡辺 尋志さんです。



アーティストを応援する素敵な彫刻工房@日下育子の学び場美術館
渡辺 尋志さん 


前回の彫刻家 田村茂直さんからのリレーでご登場頂きます。

 

  彫刻家 田村茂直さん 第1回目 第2回目3回目4回目 第5回


渡辺 尋志さん 第1回目  第2回目


第3回目の今日は、社会との接点についてお話を伺いました。

それからたくさんのパブリックコレクションを制作されるようになった経緯と

制作時の意識として、ご自分の制作をちゃんと楽しんで作るということ、

それに共感して下さる方を大切にしているというお話をお聴かせ頂きました。


お楽しみ頂ければ幸いです。

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アーティストを応援する素敵な彫刻工房@日下育子の学び場美術館

「命の莢」シリーズ



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「命の莢」シリーズ



アーティストを応援する素敵な彫刻工房@日下育子の学び場美術館

祈り-G zeroへ捧ぐ(リスとリンゴ)




アーティストを応援する素敵な彫刻工房@日下育子の学び場美術館
珠玉(フクロウ)



日下
渡辺さんはとても
パブリックコレクションが多くていらっしゃいますね。



渡辺 尋志さん
ええ、たまたま高村光太郎大賞展で、
美ヶ原というかフジサンケイとつながりができて。
で、フジサンケイの方で、
彫刻の森美術館という会社を持って営業をされていたんです。


で、その関係でそちらから仕事を頂いて、
パブリックコレクションをあちこち納めたんですが、
バブル崩壊とともに株式会社彫刻の森というのは
なくなっちゃったんですね。



日下
そうだったんですか。



渡辺 尋志さん
それで今残っているのは財団法人の方だけで
箱根と美ヶ原の二つだけは美術館として残っているんですけど。



日下
ええ。そうですか。
でも、卒業後、ずっとそうして
仕事をし続けていらして、素晴らしいですよね。



渡辺 尋志さん
たまたま、上手く引っかかったので。
ちょうど僕が美ヶ原のコンクールに通った時は
最年少だったんですよ。



日下
ああ、それはすごいですね。



渡辺 尋志さん
いやいや、本当にたまたまなんですけど。

で最年少だったのもあったので、
こう言うのもなんですが予算に合う作家
だったんじゃないのかなと・・・。


大御所の先生だと、
値段が合わなかったり、儲けが少なくなっちゃったり
ということもあって、私のところに来たんじゃないかという。
そういうこともあったと思います。



日下
今、彫刻の森が無くなってからも
パブリックのお仕事はしていらっしゃるんでしょうか。



渡辺 尋志さん
別の方向からたまにあるんですけど、
そんなに今は無いですね。


今、どこかに納めるお仕事をされている方というのは
本当に限られた方で、建築設計会社と

しっかりタッグを組んでる方ぐらいじゃないかな~。


あと美術館も、今は作品を入れることはなかなか無いので、
なかなか難しいですね。



日下
はぁ、そうですか~。


私も職業的な作家を目指してやって来ていて
30代に入ってから二、三仕事をさせて頂ける機会があり
それを呼び水にどんどん仕事が継続できるかと思いましたが
なかなかそうはいかなかったというところはあります。



渡辺 尋志さん
そんなもんですよ。




アーティストを応援する素敵な彫刻工房@日下育子の学び場美術館
赤い星 


日下
美術、彫刻というのはとっても有意義なんですが
取りいれて頂くのはなかなか難しい分野なのかな
と実感しているところもあります。


渡辺は日本の中で美術が多く取り入れた時代と
その後のいわゆるバブル以以降の時代に
またがって活動を継続していらっしゃると思います。


そこで彫刻を発表することで社会に対して、
彫刻ってどういうものか問いかけるというような
意識を持たれるところはあるでしょうか。



渡辺 尋志さん
んー、無いですね。



日下
あっ、そうですか。’(ちょっと驚き)



渡辺 尋志さん
何だろうな、それこそ僕が生まれて育ってきた時代というのが
一番その景気がずっと伸びてきているところで
生まれて育ってきて、でも僕のところに
バブルの最期のところがちょっと入った位で、
基本的には自分に対して有益なことは

無かった時代だったと思うんですよ。



日下
ああ、そうですか。



渡辺 尋志さん

そういう僕の意識の中で、
学生紛争の時代に生きたわけでもないし
勿論戦争を知っているわけでもないし
世の中がガ―ンと大きく動いた所に育っていないんですよね。


だから僕の作品で世の中を動かせるかというと
それは多分ないと思うんですよね、自分の中に無いから。


かと言って、自分がそんな大それたことを自分ができるかというと
そんなことを絶対出来るわけが無いと自分でも思っていますし。


だから世の中でそれをやろうとして描いている人、
作っている人、いますけど
私はそれは、その人の年齢をみて、
あっこの人なら描けるな、この人なら絶対出来ないな
という判断を下しちゃいますよね。


多分年齢的にみて、内容も勿論そうですけど、
「この内容をこの人が描くわけ無いでしょ!?」
という気持ちですよね。


だから、そういう目でしか見られないところがありますし、
自分自身も作品で世の中変えられるかというと、
それはないなと思っているところはあります。



日下
なんかその言葉を聴くと、ご自身に対して
とーっても謙虚でいらっしゃるなと思うのと同時に、
ク―ルでもいらっしゃるなという風に感じます。


といいますのは、私自身どこか、
作り手としてこうあらなければならない、
と思っている芸術家のイメージがあって、
今までは、何か少し影響を与えなきゃ、
与えられるような自分にならなくちゃと
思ってきたところがあったからです。


今は本当に喜んで下さる方の為にだけ作りたいと思っていますが
アートたるもの一人の人を喜ばせるだけじゃ駄目、
と言われてきたこともありましたし、
内心、何かそういうすごい人物にならなければならないという
思い込みがすごーくあってやってきました。


なので渡辺 尋志さんのお話を聴くと、
とてもありのままでいらっしゃるので度肝を抜かれます。



渡辺 尋志さん
それで良いんじゃないかと思うんですよ。
出来た作品を見て、後から何か話というか、話題を作ってくれ
ということがあるかも知れないんですけど
作家本人は、今までの作家自体もそこまで考えてやった人というのは
あまりいないんじゃないかと思うんですよ。


例えば戦争が終わって、
まあ戦争中も描いていた人もいたかもしれないけど、
世の中がガーンと動いた時に、
ピカソだって、ゲルニカとか描く前、
作品はそんなことは考えていないと思うんですよね。多分。


それよりは絵の面白みというか、
キュービズムを作りだすというか
そういう方向をしたら面白いという
自分の中でのすごい遊びだと思うんですよ。


それを後の時代になって、
キュビズムだって名前をつけられ、
キュビズムで描いたゲルニカはこうだ!
と後で評論家がくっつけている話しであって、
ゴッホだって、多分を耳を切って精神病院に入った、
ちょっと気が狂ったんだと・・・。


でも、実際のところはかなり書記が残っているから
そうなのかもしれないけど
ゴッホもなんか世の中を変えようと思ったわけではなく
面白い絵を描きたいよね、って言っていただけなんじゃないか
と思うんですよ、多分。



日下
なるほど~。そうですね。



渡辺 尋志さん
だからそれがたまたま
本当に戦争やら何やら世の中がすごく動いた
という時代に描いた人たちは
世の中をすごく動かすということもあると思うんですけど。

例えば奈良美智とか、今ね。



日下
同世代でいらっしゃるでしょうか?



渡辺 尋志さん
そうですね。村上隆とか。
ほとんど同世代ですけど、村上の方がちょっと上かな?
世の中ですごく大騒ぎになっていますが、
多分世の中を動かす波にはなっていないと
思うんですよ。


日下
うーん。



渡辺 尋志さん
例えば100年後どう出てくるかというと、チラッと一行、
村上隆、奈良美智という人がいました、
ということが出てくるかもしれないけれども
何か美術の世界を動かしたとか、
世の中を動かしたとか、全くないと思うんですよ。



日下
うーん。


渡辺 尋志さん
多分彼らの作品だって忘れ去られるかもしれませんし、
多分、美術館に収まった作品は残ったとしても
一般の人が持った作品が残るかどうかはわからないですよね。
はっきり分からないですよね。



日下
なるほど。



渡辺 尋志さん
そんなぐらいじゃないかと思うんです。
美術って、ものを描くって大体そんなもんじゃないか
って思うんです。


それがなんか時代が動いて波が動いた時に

たまたま乗った人達が岸までたどり着く。


でも岸までたどり着かずに

波間に漂っている人はたくさんいると思うんですよ。



日下
本当にそうですね。



渡辺 尋志さん
だからそのサーファーが波に乗っていて、

本当に良い波が来た時に
その波に乗ってさ―っと来るのは100人に一人か、二人という・・・。
その状況じゃないかなと思うんですね。



日下
ええ。



渡辺 尋志さん
だから、そういう点で、作家は謙虚、勿論そうなんですけど、
自分の作っているものに楽しみを感じて作っているのが作家なので、
たまたまそこを「あ、私、あなたの作品好きだわ」という風に
たまたま来て下さったお客さんが
作品を買って言って下さることが、一番嬉しいです。



日下
はい、そうですよね~。(共感)



渡辺 尋志さん
買って行ってくれるということは、要するに
自分のやっている仕事を共感してくれることで。
共感してくれるところでそれ相応のお金を
きちんと出してくださっているということで
で、家にしっかりと飾っていつも見ていて下さる。
その流れができていると一番嬉しいですね。



日下
本当ですね。



渡辺 尋志さん
時々タダで暮れって言う人もいるんですけど(笑)



日下
エーッ!? それもすごいですね(笑)



渡辺 尋志さん
それは気持ちはわかりますけど、多分タダであげると
家に飾らないと思うんですね。


いつも間にかどっかにほこりまみれに置かれると思うんですよ。

多分きちんと認めて自分の働いたお金を
きちんと払って下さるというのが一番じゃないかなと思います。

別に金もうけ主義とかそういうつまりでは全くないですけど。



日下
はい、そうでいらっしゃると思います。
お話を聴いているとそんな風に聴こえてきます。



渡辺 尋志さん
やはり、自分の作品を認めて下さるか方がいるというのが一番いいです。



日下
本当ですね。
とても本質的なお話をありがとうございます。



アーティストを応援する素敵な彫刻工房@日下育子の学び場美術館
なかよし(フクロウ)


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今回、渡辺 尋志さんとは田村茂直さんからのリレーで
初めてお話をさせて頂きました。


渡辺 尋志さんと前回の田村茂直さんはオンロードのバイク仲間で
学生時代、先輩後輩の親友でいらっしゃるのだそうです。


長野県の美ヶ原高原美術館にある、

渡辺 尋志さん作の大きい牛3頭の作品は、

私もたまたま拝見していたことがありご縁を感じました。


私は渡辺 尋志さんの「命の莢」シリーズの作品に、

とても共感するものを感じました。

今回その背景にある、渡辺 尋志さんの生命観をお伺いして、
命を特別視しない、
普通のこととして受け容れていらっしゃるところに

とても新鮮さを感じました。


また、社会との接点についても、

野心的に何かを問うというのではなく、
生命感あふれる、いきいきとした作品を制作なさり、
実際に手で触れて楽しんで頂くことを大切にされる姿勢が
とても明快でいらしゃると感じました。


自分自身が自分の制作をちゃんと楽しむことを太い軸にされていて
何か姿勢にブレないものをお持ちでいらして、
そこが素晴らしいと感じました。


みなさまも、ぜひ、渡辺 尋志さんの作品を

ご覧になって見てはいかがでしょうか?


***************************************



◆渡辺 尋志さんのホームページ


◆渡辺 尋志さんが登場する新制作展のWEBページ



◆渡辺 尋志さんが出品される5人展
  会場 :いよせきストーンギャラリー 

   ※ 詳細は決まり次第掲載させて頂きます。




◆渡辺 尋志さんが特別寄稿された宮城県美術館協力会ニュース
  
アーティストを応援する素敵な彫刻工房@日下育子の学び場美術館


アーティストを応援する素敵な彫刻工房@日下育子の学び場美術館

記事内容(全文抜粋)

 私は、東京造形大学の14期生、新制作協会彫刻部の会員です。
どちらも忠良先生が創ったものです。大学入学後52歳を過ぎた
今まで30年以上の間、忠良先生にはお世話になってきたことを
つくづく感じています。
 さて、大学の研究室時代のことを思い出しながらいくつか紹介
させて頂きます。


 当時70歳だったと思いますが、週一日は大学に来られ、研究室
に寄った後各学年の教室を巡回し、学生に声をかけ作品を見ては
水から手を入れ粘土をつけ指導し、全員を集めては先生独自の
理論に基づく「形の捉え方」と「立つということ」の基本を惜しげもなく
披露してくださっていました。

 ある日、巡会が終わり研究室に戻りしばし休憩をとっていると先生
が突然煙草を吸い出したのです。今までそんな姿をみたこともなく、
皆が驚いた顔をしていると「私は今日から不良になります。」と宣言
していました。何があったのか真相はわかりませんが数週間の不良
老人で終了したと記憶しています。

 またあるときは、研究室に入って来るなり、かりん糖を袋から出し
勧められました。「久しぶりに美味しいかりん糖を見つけたよ。」と
言いながら先生も頬張っていました。袋を見るとメーカーは無印良品。
私達は高価なお菓子かと思って頂いていたので拍子抜けした覚えが
あります。仙台で育った先生は仙台駄菓子の味を思い出していたの
かもしれません。

 「低空飛行の名手」の話は結構有名なのでたくさんの人が知って
いると思うのですが、私が聞いた話は「零戦で海上すれすれに飛ぶ
のは難しいけれど時間を長く飛んでいられる。若いうちは派手に高い
ところを飛びたがるものだが遠くまで飛び続けたいなら低空飛行を
続けなさい。ただし、海面に少しでも触れたら終わってしまうからね。」
ということでした。私は教えを守りいまだに海面すれすれに飛んで
います。

宮城県美術館  




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