ゆでたまごになりたい -2ページ目

おいしい適当さ

こんにちは
hittomです



秋も深まってきました

昼と夜の寒暖差が激しい時期ですね



風邪をひいたりしやすい時期なので
最近はわたしなりの対抗策として
朝食に ネギとショウガのスープ をつくって食べています



これは非常にオススメです



ネギとショウガと(これがメイン)

あとは適当に冷蔵庫の野菜をいれて
(私はタマネギとかキャベツとかほうれん草とかにんじんとか何でも入れちゃいます)

適当につくります



適当とばかり言っているので
何が何だかよくわかりませんが


白だしとか
味噌とか
キムチとか
きのことか
トマトとか


旨味のもと(だし的な何か)になりそうなものを
上記のものと一緒に
適当にいれて
お水をちょっといれて
適当に煮込んで

(その間に出かける支度とかする)



まあとりあえずほんとにいいです
オススメです



からだ、ぽっかぽか 



すぐできるし
つきっきりでなくてもいいし
後片付けも楽だし

(煮込む間にまな板包丁洗えるし、あたたかい汁物はすぐに冷めないので、
 盛りつけたままおいといてすぐに鍋を洗うことができる、食後は食器のみ洗えばよし)

栄養的にも味的にもいろいろアレンジ効くし

うまく使えば
繊維も発酵食品もとれるので便秘にも効きそう

ごまとか仕上げに振りかけとけば
油分とビタミンEもうまいこととれるから乾燥肌にもよし



ごはんとかぱんとかの主食との組み合わせだったり
おかず的ななにかにしたければ
最初に油分(オリーブとかごま)を加えて炒めてから煮込めば
こくはでるので
たくさん調味料使わなくてもまあなんとかなるし




こんなにかいといて
写真はないんですけど(すいません)




このスープに限らず



おいしいものたべたい と思いながらつくると

適当でもおいしいものができます

気持ちだいじです



料理はあまり得意じゃないですけど
生活のために必要に迫られてやったりで(忙しくてできないときもあるけれど)
なんだかんだで自炊が多い毎日です

自分のからだをきちんと把握しておくためにも
なるべく自炊を心掛けるようにはしています


適当だから
なんとかこの生活を続けてこれたと思います


でも適当なだけじゃやっぱりだめで


おいしいものたべたい


という気持ちが根底にあるから
なにやったって
結果おいしいものしかできません(わたしにとってのです)


適当でおいしくないものなんてもう最悪


シェフがつくる料理とはぜんぜん違うけれど
自分のこころが満足するごはん のかたちって
いろいろあると思います


誰かがつくるものだったらおいしくなくてもしょうがない と思うけれど
自分が自分のためにつくるものがおいしくない って悲しいことだと思います


きもちだけ持っていれば
自分で自分を満たすことができる


おいしい適当さ を持っている自分は幸せだな~

と最近思います



ん~明日のあさごはん楽しみ~



たいしたこと書いてませんが(しかも適当の使い方が間違ってそうで怖いけどもういいや)
今日はこれで!











大切にしたいもの

秋ですね

秋、好きです、とても


どうもhittomです


私の大好きな漫画家である岡崎京子さんが
ふとした瞬間に聞いて感動した言葉?感銘をうけた言葉?として挙げているのは

「世界が5月と10月だけならいいのに」

という言葉だったと思いますが
(正確に書けているか自信ないです)

わたしもそれには全面的に賛成の立場を取りたいと思います


誕生月は8月ですし
クリスマスとかお正月とかの行事も大好きですが

気持ちはやっぱり5月と10月に奪われたまま

一生「お前が一番だよ」という想いは変わらなそうです
(人生何が起こるかわからないけどね)



ほんとうに気持ちの良い日々です



大学生ならではの長い長い夏休みも終わり
後期の授業が始まり

卒業研究や勉強にかける想いも強まり
(単位取得のための必死さ)


賑やかで
鮮やかな
お祭り騒ぎの日々から

ひとりでゆっくりと
ものを考えていく日々へ

季節の変化とともに
徐々に移り変わっているように思います


というわけで(強引)


きょうは

わたしが大切にしたいこと

をかたちに残しておこうと思います


大切なのは
いま、どう思っているのか
ということ

変わってもいいんです

とりあえず形跡を

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・健康的な生活を送ること

 自己管理は一生のテーマです。
 自分を大切にすることができるのは、自分だけです。
 
 大切なひとが安心できるような、そんな自分を整えておくこと。
 きちんと自分の足でたっていけるような、そんな自分を整えておくこと。
 
 身体の健全さを保っておくことで、こころの健全さも保てると思います。
 逆もまた然り。
 
 自立というよりは、自律をできるようになることが、一番の課題です。
  


・日々を丁寧に生きること
 
 丁寧にものごとにあたることは、憧れです。
 
 なんでもかんでも飛びついたり、トライするのも悪くはないけれど
 
 ものごとにあたるとき、ひとと接するとき、
 丁寧にしようと心掛けるだけで
 
 自分の目で見る、自分の頭で考える という時間を
 少しでも、持つことができる気がします。

 自分の頭でものを考えることができるひとに、なりたいです。

 

・感謝の気持ちを抱きながら生きること

 丁寧に日々を生きていればできること。
 そのうちのひとつが、感謝の気持ちを抱きながら生きること だと思います。

 誰かや何かを想像する力がなければ
 きっと日々、あらゆることに対して、感謝の気持ちは抱けないと思います。

 丁寧にものごとにあたることで、考えるちからは身に付くはず。
 見落としがちなことにも、目を向けられるかもしれない。
 
 そうこうしているうちに
 感謝の気持ちを抱きながら日々を過ごせるようになるのでは、と思っています。

 2つセットで忘れないように、意識していかなければなりません。
 ついつい、忘れがちなことです。



・できる限り誠実であろうとすること

 わたしがわたしに求めること。 
 できていないときの自分が、大嫌いです。

 自分なりの誠実さと、相手に求められる誠実さと
 誠実さには種類があると思います。

 どちらの場合においても、結果として、
 それが誠実さであることに変わりないとは思うのですが

 できることなら、いつもその交点を実現しいきたいです。

 限界はどこかにあるのかもしれないけれど
 最低限、自分自身が納得できるような、そんな誠実さは持ち続けていきたいです。

 誠実さは、時として、自分自身を守るための道具になってしまうこともあります。(私の場合)
 そうならないように、注意していきたいことのひとつでもあります。

 自分と他人の両方に対して誠実でいたいです。




・自分の欲求をきちんと把握すること

 いちばん苦手なことです。

 自分で自分の欲求がよくわからなくなります。

 誰かの期待に応えようとしたり
 求められることに反応をしすぎたりして
 ひとに自分自身を委ねてしまうことが往々にしてあります。

 寛容であること と
 自分の欲求をきちんと把握すること は
 
 分離区別が可能であり 尚且つ 共存可能なものだと思います。

 いまいちばんできるようになりたいこと かもしれません。



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もうあとすこしで
わたしも社会人です


そんなの関係ないよ~、いつでもこうしてたいよ~
ちゃんとたいせつにしたいよ~

とは思っているつもりですが(不安です・・)

いまいちど、気を引き締めていきたいと思いました

いま必要なこと かもしれないと思いました



言葉にすることは
あいまいなものにかたちを与えることでもあります


あいまいなままにしておきたくないから
言葉にします




せっかくの気持ちの良い日々を
こころから享受したいなと

そんな想いで書きました



今年もあとわずか

一年なんてあっという間に過ぎてしまいます



来年の今日
わたしが何をおもって
何をかんがえているのか

とっても楽しみです





きょうはこれでおわり~
 

 

















祈り

こんにちは
hittomです

今日は先日みた映画について





         ツリー・オブ・ライフ     テレンス・マリック監督



いやはや
なんていうかもう

賛否両論の映画だと思います



とりあえず
ストーリーは、ないです

あるようで
ないというか
ないです




物語り
というものではないというか




この予告編では父と子の確執というようなところに焦点が当てられていますが
それがメインテーマではないです





題名のとおり「生命の樹」ということだと思います
(訳が正しいかはわかりません、ちょっと不安です)




とりあえず誰彼構わずオススメできる作品ではないのですが(そんなもんないか)

個人的には非常に刺さりました


感情の奥深いところにある
ひどく弱々しくて
とてもつかむことができないような部分が揺さぶられました



誰もがみたことあるもの
そして忘れてしまったもの

懐かしさを感じるもの

けれどもう見たくないもの

思い出したくないもの
過去に捨ててきたもの

純粋さ故に醜くなってしまうもの




決して再構築できないものを
目の当たりにしているというか

まあ
とりあえずこころの琴線に触れてしまって
立ち直るのがなかなか大変でした



監督は変態?だと思います
(言い方は悪いですが、とても良い意味で)




いままで生きてきて
素敵なものに
たくさん出会ってきました



本であれ漫画であれ映画であれ絵画であれひとであれ場所であれ
まあほんとにたくさん



けれど、素敵なものは
世の中にたくさんありすぎて


覚えておきたいと
心から願っても

覚えていられないことも
多くあって


かなしくもあるのですが


そのなかで
覚えていられるものに
出会えることって

ほんとうに喜ばしいことで


この映画はわたしにとって
そうなるんじゃないかと思うわけです



いのちってなに   とか

いきるってなに   とか


たくさんのひとが
いろんなことをいってます



この映画も
なんとなくそんなようなことを
問いかけているわけですが

なんとまあ受け止め方が

どーんと


とても器が大きいというか


描き方はミクロなんですけど
考え方はマクロみたいなもので  (個人的なただの感想文です)



宇宙の中で
地球という星が
生まれるところから

植物やいきものが生まれ

恐竜達の時代が始まり、そして終わり

また動物が生まれ、進化し

私たち人間といういきもの
そしてその生活

赤ん坊から
幼児 少年 青年 成年 壮年 老年

死を迎えるまで



そこまで全てを考えている
それがここで指すマクロ、という意味です



ただ単純に
ひとの気持ちだとか
そのフィルターを通しただけの
人生と呼ばれるものを描くのではなくて

全ての生命について 俯瞰してみながら


ひとが生きるということ
死ぬということ

それらの営みは
わたしたちの意思とは
まるで違うところに存在しているということ


そういったものを描いているところが
きっと私がこの映画を好きな理由だと思います



しかもその描き方が非常に細やかです
生命を感じる瞬間はとてもミクロに描かれています
すごくリアルです

いってる意味はむちゃくちゃですが
そうとしか言えないです

いちいちキレイ



小さい頃に持っていた
自然に対するこまやかな視点と感情

さまざまなことに
敬意を払い
祈りをもって
育ってきたこと

そしていつの間にか
それができなくなっていたこと



生命というものを感じる瞬間が
いつの間にか失われていたことに
気づかせてもらったと思います

そしてそのことが
とても辛く、悲しく、せつないものだということも



畏怖の感情

祈りの感情


そんなものを久々に思い出させてくれた作品でした








長くなりましたが今日はこれにて