ザビエル記念聖堂・山口市亀山町
昨年の11月25日、D51-200号機の本線復活運転初日の日の、駆け足散策です。
鰐石から始まった記事も、今回で最終回となります。
ヨシュアは放浪と苦難の道のりを乗り越えて、約束の地に入るべくヨルダン川を渡り、先住民と軍事衝突を迎えますが・・・・。
私は放浪と苦難の道のりの末、階段を降りて平和の内に目的地へ入りました(何のこっちゃ)。
とにかく、迷子でかなり時間を費やしてしまったので、あまりゆっくりする時間はありません。
鰐石や四季庭の時間帯では『迷子は楽しい』と満喫していましたが、時間がホントにヤバくなってしまいました。
亀山公園から降りると、ザビエル師の銅像が目に入りますが、目に止まったのは鐘。
『鳴らしてみたいなぁ。鳴らしてもいいんかなぁ』
この教会はフランシスコ・ザビエルが来日して、山口での布教活動開始の400年を記念し、1952(昭和27)年に建てられましたが。
"世界の果てまでイッテQ"の"お祭り男"で日本では有名になった"牛追い祭り"が開催される、スペインのナバーラ州パンプローナ近郊にザビエル師の生家があります。
当初の教会のデザインは、彼の生家であるザビエル城を模したものでした。
1991(平成3)年9月5日、失火により全焼してしまい、6年半に渡ってこの山から消えてしまいました。
教会の所有者であるイエズス会が再建に乗り出して多額の資金を捻出しましたが、教会関係機関・山口信徒・山口市民、そして全国から寄せられた善意の募金によって1998(平成10)年4月29日に再建されました。
新しい教会のデザインは"神が私たちと一緒におられる印しとして、教会の形を幕屋(テント)にし""2つの塔が天に伸びることによって、ザビエルを記念するだけではなく、現代の人々に神さまのことを強く思い出させる形"を意識したものだそうです。
高さ53mの2本の塔とテントを模したデザインはカトリック教会の伝統的な建築様式と比してかなり斬新なものです。
再建当初は聖堂の面影をほとんど残すことのないものだったため、従前の聖堂の姿に慣れ親し
んできた山口市民からは異論が起こったそうです。
敷地内には古くから残る伴天連地蔵が、ひっそりと建っています。
また、洞窟に模した岩組の中には、マリアさまの像。
クリスマスシーズンには、山口の町はクリスマス一色に彩られて、とても美しいそうで。
山口市内は広島よりも寒さが厳しいと、山口出身の知人が言ってはいますけど、一度冬にも行ってみたいなと、思います。
さて、鳴らしてみたかった鐘ですが、軽く叩いてみようと思ったのですけど、これがなかなか重たくて。
打子がギリギリ鐘に当たる程度まで紐を引いたにもかかわらず、何とまた大きな音が。
辺りに誰も居なかったから、少し恐る恐るだったので、宇宙まで届きそうな大きな音に最初は驚いてしまい、何か誰かに怒られそうな気分に。
カラーンカラーンといつまでも鳴る鐘ですが、聴いていると何か心地よくて『まぁ、いっかぁ』と。
のんびりともしていられないので、名残惜しさいっぱいでザビエル記念聖堂を後にしますが。
本来の道順とは違う経路で訪れたので、帰り道は分からないながらもメインロードから山を降りて。
さて、ここからが問題で、どう歩いたら山口駅へ戻れるか悩みながら歩を進めていると・・・・『ここどこ?』
県道204号線から154号線へ入らなくてはならなかったのに、小郡へ向けて204号線を延々歩いてしまったようで、記事を書いている現時点ではルートも解っているものの、当時の現地は自分がどこを歩いているのかさっぱり不明で。
17時過ぎ、D51-200号機が初牽引する"やまぐち号"が戻って来ました。
日が暮れるのが早いために、予定とは違う写真になりましたが、夜間の蒸気機関車というステキな結果でもありました。
今年も"やまぐち号"の運転が開始されましたが、前半戦はこのD51-200号機が任に当たっています。
復活運転だった去年は赤ナンバープレートでしたが、今年のレギュラー運転からは黒ナンバープレートに戻されての運行です。
さて、明日はイースターです。
イエスの聖誕祭であるクリスマスと並ぶ、キリスト教の祭事であるイースターは復活祭。
鶏が先か卵が先かとよくいわれますが、生命の再生をイメージさせる卵を使ったデザート・スイーツでお祭りが行われます。
復活と言うことは、イエスは一度亡くなっていますけど。
これはイエスの墓と伝えられる"聖墳墓教会"の本殿の中の写真です。
イエスは死亡した後、十字架から下ろされて、ゴルゴダの丘の近くの巌窟へその聖体は納められました。
しかし3日目にイエスは復活し、大勢の弟子たちの前に現れ、肉体をもった者として復活したと聖書の各所に記されています。
墓は横穴の巌窟で、聖体が納められた後、円い岩の板でフタがされたそうですが、ある朝に聖母マリアとマグタラのマリアが訪れると、その岩戸が開かれており、中の聖体は無くなっていました。
先ほども言いましたが、1枚目の岩の壁の写真は"聖墳墓教会"の本殿の中ですが、赤いレンガ積みの岩は、本来の巌窟壁が崩れるのを防ぐために建てられた教会の一部で。
白い窓枠型の岩は、巌窟壁を見るために設けられたもの。
その窓の中に見える岩壁が、イエスの聖体が納められた巌窟壁・・・・すなわち約2000年前のイエスのお墓となった洞窟そのものです。
聖墳墓教会はキリスト教の宗派を超えた聖地中の聖地で、イエスの墓となった巌窟を残して小山が削られ、その総てを覆って建てられた教会です。
巌窟そのものが本殿で、その入口に聖堂(エディグラ)が建てられ、その前庭が拝殿となり、それら総てを包み込んで建てられているのが大神殿です。
キリスト教の宗派間では、今は落ち着いていますが、抗争が勃発するほどの険悪な関係で、その影響で聖墳墓教会は手入れが行うことが困難に陥っており、朽ち始めていました。
誰かが修復に手を着けると言うことは、その宗派が権威を独占し立場の優位性を手に入れることとなるため、単独での作業を行うことは不可能です。
そのため全宗派が共同で手がけなければなりませんが、どこかが音頭を取ればその行為が権威独占とパワーバランスの崩壊に繋がるので、数百年に渡って手付かずでした。
特別な聖地"聖墳墓教会"がこのまま倒壊しても良いのか?との声に、キリスト教各宗派も協調に乗り出し、2016年~2017年にかけての9ヶ月かけて修復工事が行われました。
巌窟の中にはイエスの聖体が寝かされたと伝わる石のベッドや石棺などが残されていました。
聖墳墓教会修復のリンクを貼りますので、歴史が気になる方はクリックして下さい。
イエスの亡骸が無くなったのは、本当に生き返ったからなのか?
それとも、誰かに盗まれて紛失したのか?
紛失したのなら、死後に弟子達の目の前に現れたのは、誰なのか?
古代においては有名人の墓が暴かれることが多々あったそうですが、盗掘を防止するために作られた話し(墓に亡骸は無い)なのかも知れません。
だとしたら、今回の修復では石棺が開けられることはありませんでしたが、中にはイエスの遺骨があるのでしょうか。
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マリモは元気です。
このブログが始まった頃は、よくUPしてました。
もう10年になりますね。
来年からは、マリモのネタを1年に1回、やりましょうかね。
1906(明治39)年、政府が全国17の私鉄・約4500kmを買収することを定めた「鉄道国有法」公布した日で、国鉄発祥の日です。
そして1987(昭和62)年4月1日に発足したJRグループ。
マフィアはどーでもいいし、エッフェル塔は去年語ったし。
やっぱり毎年、この話題はやって行きたいです。
1906(明治39)年、政府が全国17の私鉄・約4500kmを買収することを定めた「鉄道国有法」公布した日で、国鉄発祥の日です。
前日の今日は国鉄最後の日です。
これと同時期に、日本電信電話公社や日本専売公社を含めた三公社の民営化が、自由民主党によって進められました。
去年の331日と4月1日で国鉄誕生の日・国鉄最後の日とJR誕生の日を、歴史的な記事でやったので、今年はこれぐらいで。
今日の記事は長いですしね。
ちなみに今日は"三江線"の最終日でした。
いろいろあって県内なのに行くことができなかったので、リンクを貼ります。