たくさんのつながりと笑顔 | つれづれなる記

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5月3日(火)から8日(日)までの期間、再び石巻のRQ市民災害救援センター河北の一員として災害救援活動をしてきました。そのときのご報告をさせていただいています。


5月5日(木)は、前日に終了せず継続となっていた、鹿立浜の漁師さん宅の片づけから開始。


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ぼくたちはネコ車を押して、蟻のように黙々と歩き回る。


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山のようなゴミとなる。しかし、どの品物にも家族のたくさんの思い出が詰まっていることだろう。


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震災後から2階で生活を続けてきたこちらのご家族。ずっと1階が足の踏み場もないほどのガレキで埋め尽くされ 危険だったため、すっきりと片付いてとても喜んでもらえたが、いずれはこちらのお宅も解体するしかないために、床下の泥出しは必要なしとのこと。


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柔らかな陽差しが心地よく、昼食後は体を休める仲間のボランティアの姿も。


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ぼくは、仲良くなった漁師さんに牡蠣の養殖の方法のお話を伺った。養殖とはいえ、スタートは天然の牡蠣の抱卵から始まる。海底がすっかり確認できてしまうほどの透明度の高い三陸の海。牡蠣の抱卵が始まると海全体がドス黒く染まるという。それを合図にホタテ貝殻を海中に投入すると、そこに牡蠣の幼生が付着して養殖がスタートする。それから約2年間、牡蠣が死んでしまったり有害な生物が付着したりしないよう、様々な手をかけながら大切に育てるそうだ。


※その後に3年と話す漁師さんもいたため、育成期間は2~3年のようだ。


それじゃ、天然の牡蠣が全滅してしまっていたらどうなってしまうんですか?


冷凍した種が少しだけ残っているから。そこからまた細々と始めるしかないな~


種の問題だけでなく、震災による海の汚染や今後の国の復興支援計画がどのような形となるのか?時間が掛かり過ぎれば、今の漁師さんたちが現役であるうちに再び牡蠣の養殖が開始できるのかすら心配になってくる。もし三陸の牡蠣の養殖技術が次の世代に受け継がれなければ、日本にとって大切な文化がひとつ失われることになるだろう。そんな危険は、被災された東北のあちこちのあらゆるジャンルに言えるのではないか?頭の中にグルグルと回るそんな負のイメージをぼくは振り払いながら、


時間が掛かりそうですが、きっとまたたくさんの牡蠣が育ちますよ。ずっと応援しています。

と、ぼく。


またほんとにできるのかな~?でも、頑張るからさ!いつでも牡蠣食べに来てよ!

と、漁師さん。


ぼくたちはとにかく信じて、今できるひとつひとつのことを前向きにやっていくしかない。


午後は、その牡蠣の養殖に使用するホタテの貝殻を回収し、一か所に集める。


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辺り一面、あらゆる場所に散乱しているホタテ貝殻。ぼくたちは一枚一枚を、大切に大切に回収した。これらが全て、将来本来の目的どおりに使用されることを心から願って。


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こんなに集まった!


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RQ河北ボラセンの拠点、通称福地公民館へ戻ると、この日は地域の被災者たちを励ます目的のコンサートが開かれているところだった。


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被災者たちは、どんな気持ちで聴いていたのだろう?グループ名も曲名も忘れてしまったが、最後に配られた、この日の演奏曲が収録されたCDをみんないただき、ぼくにとっても忘れられない曲になる。将来ぼくが再びこの地を訪れるときには、みんなで肩組み合って歌える曲になっているのかな?


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最後は、被災者の方々のうち数人も前に出て、みんなで踊ってコンサートの幕を下ろした。ここにいる間だけでも、つらいことを忘れて笑いあえたらいいな。そんな時間の積み重ねが、いつの日かきっと次へと進む力に代わっていくと信じてる。


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この日から2日間、ぼくはまた地域の方々のご厚意でご自宅へお風呂をもらいに行かせてもらう。お風呂だけでなく、お茶やお菓子に夕食までご馳走になってしまうこともある。そんな地域の方々との交流の時間は、会話が弾み笑いが絶えない。前回も同じように楽しく過ごしていたのだが、それでもぼくは、なんとなく今回の方がみんな無理して頑張っているような空気を感じ取った。気持ちの揺り戻しだけでなく、たくさんの不安や問題があるのは当然のこととして想像できる。


しかし、それは必ずしも悪いことでは無いと思う。行きつ戻りつしながらも一歩一歩。ほんとうに一歩ずつでも前に進んでいければいいと思う。そんなに急に、何もかも乗り越えて元気になれるはずがないのだから。


夜の勉強会。今回は優秀な先生が多く、ぼくの先生としての出番は無くて寂しい。今度はきちんと勉強してから行こうかな?

( ´艸`)


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翌6日(金)は、ひとつ隣の福貴浦浜へ。


港に着くと、「火事だ~!」 と漁師さんが叫んでいて驚いた。ガレキが燃えている。慌ててみんなでバケツリレーが始まり無事鎮火。辺りはカレキの山である。火の手が広がらず、ほんとうによかった。


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RQは3軒のお宅の家具や泥出しなどの片付け、日本財団は湾内のタルの回収(男性)とホタテ貝殻の回収(女性)という分担で作業を開始。


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同じRQ河北ボラセンとは言え、4月中旬にぼくが参加したときとは殆どメンバーが変わっている。


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それでもみんな、何日か一緒に過ごしてもう連携もバッチリだ!


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残り1軒の片付けを僅かに残して、昼休みに。


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午後の作業が始まってすぐに民家の片づけも終わり、こちらの浜でもみんなでホタテ貝殻の回収が始まる。


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こちらでも、こんなに集まった!


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日本財団さんが大人数の学生ボランティアを投入しての、GWの大掛りな漁港の作業がひとまずこの日で終了するらしい。(ぼくは、この辺の状況をよく理解していなかったのだが。) この日の作業終了後、組合長さんからのお礼の挨拶が。


何年掛かっても必ず美味しい牡蠣をまた作るからな!必ずこの浜にまた来いよ。いつでも牡蠣をタダで食わせてやっから!


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拍手が上がる。信じてる。願っている。


その後にちょっとした楽しい余興?組合長さんから、ボランティアと漁師との間にカップルが誕生したと発表があり、日本財団の女子学生ボランティアと独身の漁師さんが前に呼ばれる。


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これから、プロポーズするそうです!

と、組合長。


その漁師さんは、照れながら・・・

ほんとうにありがとうございました。よかったら友達になってください。


大爆笑と割れんばかりの拍手の中、一本締めで作業終了となった。


福地公民館へ戻ると、地域の方から新鮮なホタテの差し入れ。


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元ジャンボのパイロットのHさんが捌いてくれた。


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夕食のメインは、日本旅行のHさんと文教大学のCちゃんが作った唐揚げ。


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初めての揚げ物に、キャーキャーすごい騒ぎだったそうだ

(´0ノ`*)


いつも公民館に来ている地域の中学生のひとりが、みんなの似顔絵を描いてくれた。


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うわ!似過ぎててびっくり

(  ゚ ▽ ゚ ;)


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きっと結構な時間をかけて、ひとつひとつの線を大切に丁寧に描いてくれているのが絵から伝る。大感激。ほんとうにありがとう!


この日の作業を最後に、翌日東京へ戻るIさんが、得意のジャグリングを披露!


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勉強会に来ていた地域の中学生たちも大喜び。ぼくも初めて見るジャグリングに感動した!


そんなIさんは、その後黙々と翌日のみんなのお昼になるおにぎりを握る。


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たくさんの人々の思いが、ここで重なって続いて行く。ひとつひとつは小さくても、長く大きな流れになるといい。これからもたくさんのボランティアが、RQ河北ボラセンを訪れることを願う。