鹿立浜(すだちはま) | つれづれなる記

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5月3日(火)から8日(日)までの期間、再び石巻のRQ市民災害救援センター河北の一員として災害救援活動をしてきました。この記事はそのときのご報告です。

今回の活動は、全て牡鹿半島の漁港が舞台となった。RQ河北の拠点となる福地公民館からは、車で約1時間半の道のり。

朝6時からのミーティング風景。

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この日は日本財団と共に、総勢120名で牡鹿半島の狐崎浜、竹浜、牧浜、福貴浦浜、鹿立浜の五浜へ入って漁具の回収などを行う。

石巻駅周辺は駅前商店街のまちなかスマイルプロジェクト(ヘドロのかき出しやガレキの撤去を1000人規模で一斉に行った。)や大がかりな側溝清掃などの活動があり、かなり片付けが進んでいるのだが、市街地からひとつ橋を渡って女川方面へ向かうと、そこはまだほとんど手つかずのガレキに埋もれた町。これが未だ現実。石巻駅周辺を見馴れていたぼくは、4月初旬に石巻に初めて来たときと同じ衝撃を再び味わうことになった。

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更に牡鹿半島へ入り、トンネルを抜けるとますますい状況は酷くなる。全ての家屋が倒壊し、ぺしゃんこになって地面にへばりつく。これには声も出ない。

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ぼくは鹿立浜で作業するグループへ。小網倉で日本財団のボランティアたちと合流する。

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陸に残された船。

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ここから先は県道を離れて海沿いの小さな漁港をつなぐ道へ。堤防も決壊し、道路のアスファルトも全て剥ぎ取られてしまっている。自衛隊が道を土嚢や畳で道を仮補修しなければ、奥の港の集落は今でも陸の孤島となっていたであろう。リアス式海岸特有の起伏が激しく急峻な道を、アップダウンを繰り返しながら進んで行くと、その先は道の仮補修も及ばず立ち入り禁止となった一番奥のドン詰まりに、鹿立浜はあった。

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漁港の岸壁は無数のガレキで埋め尽くされている。

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岸壁中央の建物も無惨な姿に。この港の水産加工施設だったのだろうか?

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このガレキの中に、牡蠣の養殖に使うアンカーが埋もれている。この日の最初の作業は、このガレキの撤去とそのアンカーの回収だ。

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この浜へ割り振られた人員は40名ほど。漁師さんたちの指示で、全員一気に作業にかかった。みるみる作業が進んで行くと、漁師さんたちの表情も明るくなる。汗が噴き出す。息が弾む。しかしそれ以上に、会話が弾む。作業のリズムが良くて心地よい。この日の午前中だけで、すっかり岸壁の上はきれいになった。

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回収されてきれいに整列されたアンカー。

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実は漁師さんたちは、ボランティアが来ても岸壁の片づけには1週間近くかかるのではないか?と、思っていたそうだ。それがたったの半日で終わってしまった。人が集まり力を合わせることのすごさよ!今、被災地はそんなマンパワーを最も必要としている。

昼休憩。こんな災害にあっても、その風景はあまりにも美しかった。

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しかし海の水は汚れている。漁師さんの話では、通常なら簡単に海底が確認できてしまうほど海の透明度が高いという。それなのに、震災から2か月近く経過した今でも海の濁りが取れないそうだ。沖の堤防は決壊している。湾内ではいくつか家の屋根が海面から頭を出している。津波の巨大な力はここで渦を巻き、漁村から家や車などの多くを海へと引きずり込んだ。大量の油やガソリン、様々な化学物質を含んだ大量の生活用品が海底に沈んだままだ。この日ぼくは、ついに小魚の一匹も目にすることができなかった。

それでも、漁師さんのひとりと釣りの話で盛り上がった。ぼくとその漁師さんは、10年後の再会を約束した。

この取り残された漁港には、仮設トイレも無い。休憩時間中、女性陣はフォークリフトで近くの避難所のトイレまで運んでもらっていた。災害時でなければ考えられない光景。

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午後は二手に分かれて作業した。ぼくたちRQのメンバーは漁村の民家の片付け、日本財団のメンバーは牡蠣養殖用のホタテの貝殻の回収だ。マッドバスターズの出番かとも思ったが、こちらのお宅はいずれ取り壊すとのことで、取りあえずそれまで室内を危険なく歩けるようにするためだけに、廃棄する家具や家財の運び出しと床上のみ泥かきを行う。

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こちらのお宅は2階で生活されているのだが、1階はこのような状態のままだった。

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この地域は地盤沈下により、満潮時は道が沈む。そのためにこの日の作業は、この民家の片付けの途中にして2時半で終了。奥の方から岸壁に這い上がる海水。

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石巻市街の渋滞もあり、福地公民館へたどり着いたのは4時半。公民館へ帰ると、地元の中学生たちと一緒にポスターづくりをして過ごす。イラストはぼく作。
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夜は、石巻災害復興支援協議会へ出席するために石巻専修大学へ。明るく活気に満ちた、活動報告や情報の共有のための全体会。

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そして分科会。たくさんの分科会が日々誕生しているが、RQ河北はその中のマッドバスターズに属す。この分科会では、主に翌日の作業の確認や割り振りが決められる。

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GWということもあり、この日をピークにすごい数のボランティアが石巻に入っていた。RQ河北も前回参加
したときは30名程度だったのが、この日は70名以上のボランティアが福地公民館にごった返していた。あまりに人数が多すぎて全てのメンバーと話せるわけではないのだが、この日はボランティア仲間や漁師さんたちとの多くの新しい出会いがあった。

そして現場からの帰り道に、街中の他のボランティアたちの活発な活動の成果を見ても、復興の出口や方向すらまだ全く分からないけど、 着実に前進していることが感じられる一日だった。