◆黒澤明監督の『影武者』 | ザ・外食記録 ~今日も閲覧ありがとう~

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2023年12月に外食記事 4000号を達成しました。
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▼写真AC:ponpokoponさん提供のフリー素材「長篠の戦い 古戦場」



武田信玄の弟の信廉(たけだ のぶかど・山崎努)は、領内を荒らし回った盗人がさかさはりつけされるところを連れて来た。
信玄と瓜二つだった。
「おとしだねなのか?」
信玄(仲代達矢)「使えるかも知れぬ」

天正元年、山県昌景(まさかげ・大滝秀治)がやって来た。
信玄の軍勢は野田城の陥落を目前に控えていた。
信玄「野田城での笛の音を聞いてみたい」

突然銃声が聞こえた。
信玄が狙撃された。
家康や信長にも、落命したとの噂が流れた。
信玄は家来を集め「もしものことがあっても3年は喪を伏せよ、動くな」と遺言を残した。

信玄は和議を結び、兵を引いた。
峠で信玄は籠の中で息を引き取った。
信廉は用意していた影武者をデビューさせた。
籠は引き返し、医者が殺された。
織田信長(隆大介)や徳川家康の間者(スパイ)が見ている前、影武者は馬に乗って走った。
「間違えねえ。ありゃ信玄だ」と疑わなかった。
その後、見えないところで落馬して「調子に乗るな」と叱られた。

影武者は、盗人らしく館のかめを叩いて壊した。
中に信玄の死体が隠してあってびっくり。
信廉は、3年秘密にすると理由を告げた。
影武者は「やる気がなくなった」
山県「今こそお役に立つところぞ」
影武者「御屋形様がこの世に居ねえとなると、やる気なくなったぜ」
山県は呆れて家来に「もうよい、縄を解いて話してやれ」

湖水にかめが埋められる様子を、影武者も遠くから見ていた。
織田信長や徳川家康の間者も(同じ小屋で)不思議そうに見ていた。
信玄のむくろだとの想像しているのが聞こえた。
影武者が間者を追うように伝えたが、山県から「公表するからもう無用」
影武者「俺を使ってくれ。褒美なんかいらねえ。あのお方のお役に立ちてえんだ」
土下座して頼んだ。
おふれで、かめの中身は酒で、諏訪湖の竜神様に献上したと発表された。

諏訪神社で戦勝祝いのお能がある。
間者・敵のスパイも遠巻きに見ていた。

まだ幼い竹丸との顔合わせ。
「御屋形様、ご帰還」
竹丸が指を刺し「違う、これはおじじではない」
よく見て「おじじは怖くなくなった」
皆も大爆笑。
信廉から「子どもの目はだませぬ。今後もずけずけと振る舞え」
座の高い、座布団のある場所に指示された。
信廉「自分も影武者を演じたことがある。時々己に返って気ままに過ごしたくなる。兄を亡くして、今どうしてよいかわからぬ」
それを聞いて、小姓たちもすすり泣きした。

信廉は部屋を出て行ってしまった。
近習と小姓が自己紹介した。
影武者がヒゲを触るなどマネしたところ、あぐらをかいていた近習が目の色を変えて、座り直した。

馬の黒雲は気性が荒く、乗りこなせるのは信玄だけだった。
信廉「病の後、しばらく馬に乗るのは遠慮してもらう」
お津弥の方(桃井かおり)と、於ゆうの方(倍賞美津子)から「声が少しお変わりあそばれました? まるで違うお人のようにも思われます」
影武者「参った。影武者はやめじゃ」と開き直ったら
女性陣は「ホホホ面白い」
影武者は信廉にウインクした。
信廉は「病の後、しばらく女人を近づけるなと、医者の勧めでございます」
影武者はガッカリした。

家康は武田を攻めることにした。
近習から「動かざること山のごとし」と影武者は教わり、気に入っていた。
信廉から評定があるから、どっしりと山のように構えているようにと、指図があった。

信玄の息子である諏訪勝頼が、影武者だと知っているのに「御屋形様の意見を聞きたい」と、意見を求めた。
影武者は「山は動かんぞ」と言って席を立ち、信玄らしく振舞って収めた。
勝頼は怒って帰ってしまった。

しかし、影武者は、かめから鎧を着た信玄が出てくる夢を見てうなされた。

信長は、病気見舞いと称して信虎と南蛮の医師(宣教師)を使いに出した。
野田城と長篠城が徳川の手に下ったことを聞き、勝頼が抜けがけで高天神城を攻めることにした。

信虎(田口刑部)が見舞いを装ってやって来た。
信廉「どうせ誰かの差金でお屋形様の様子を探りに来たのであろう。追い返しては、なお怪しまれる」
影武者に会わせることになった。
信虎は、信玄の背中には川中島の戦いで上杉謙信に斬りつけられた傷があると語った。

天正2年5月、鉄砲の撃ち合いの中、堀から城に攻め入った。
武田軍が丘の上に陣を敷いた。
信廉「何事があっても悠然と構えて、動いてはならん」
影武者「うん」
背後に信玄が来たことで、勝頼は不服。
「いつまでもわっぱ扱いする気か」
草原の中に、ものすごい数の騎馬部隊が現れた。
敵の銃声が近くに聞こえて来た。
「敵襲」
影武者は立ち上がったが「落ち着け」と言われ、座り直した。
銃弾に倒れ、何人もの犠牲が出た。

遺体を前にして、近習から「見ろ、この者たちは貴様を守って死んだ。貴様もはりつけになった覚悟で動くな」
一旦引いたが、右手から本多平八の軍が現れたが、信玄の姿を見て退いた。

信長は、信玄の無事を確認したが、疑っていた。
家康も同じだった。

高天神城を落とした勝頼だったが「後ろに陣を引いた幻の父のおかげだ」

信廉は影武者について「よくやりおる。さながら御屋形様が乗り移った。3年経ったらどうなる?と自問自答した」
影武者は、信玄しか乗りこなせなかった愛馬・黒雲から落馬した。
お津弥の方と、於ゆうの方「背中に刀傷がありませぬ。影武者でござります」

山県は「敵味方の人は欺けたが、馬だけは欺けなんだ」
信廉「いや、全てはこの信廉の手抜かりじゃ」頭を下げた。
重臣「いや、今日までよくぞしのいでくれた」
山県「これまで、今日よりは勝頼殿が御屋形様じゃ」

雨の中、影武者は館から出された。
近習(根津甚八)から「信廉様から、苦労かけたとのお言葉と侍大将からお志」を待たされ「では、達者で暮らせ」
それでも帰らない影武者は「竹丸に会いたい。会って別れを言いたい」無理だった。
最後には守衛に石まで投げつけられた。

信玄の仮葬儀が行われ、元影武者は遠巻きに竹丸を見た。
仮葬儀の模様は家康、信長に伝えられた。
それを聞いて信長は歌を歌い、舞った。

勝頼軍が長篠に向かった。
目の前に虹。
重臣たちが止める中、勝頼は進んだ。
元影武者の浪人も見ていた。

天正3年5月21日、「風」「林」「火」の3人も覚悟を決めた。
信長、家康の連合軍が相手となる。
家康「武田もこれで滅びます」
信長「山が動いてはそれまでよ。まず馬を狙え」

待ち構える鉄砲隊に騎馬部隊「風」は全滅。
「林」槍部隊も、「火」の騎馬部隊もなす術がなかった。
信長軍の鉄砲の数が半端なかった。
目の前には、砂埃と武田軍の死体。
(黒澤監督は、馬をどうやって死んだように見せたのだろう)
悲しく鳴り響くトランペット。

1人槍を拾って影武者は飛びかかって行ったが、銃弾に撃たれ、川に落ちた。
沈んでいた風林火山の旗を見つけた。

(昭和55年作品)

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とてもスケールのある作品だった。
3時間フルサイズ。
この作品に出た男性陣は監督を含める、ほぼ亡くなっているのに、桃井さん、倍賞さん、女性は健在。

フランシス・コッポラ氏、ジョージ・ルーカス氏が海外版プロデューサー。
このおかげで、東宝もお金を出したと言われている。
当時、主役が勝新太郎さんから仲代達矢さんに代わったことが話題になった。

大河ドラマ「麒麟が来る」の中でも、信長の強敵として現れ、フェイドアウトしてしまった「信玄」が描かれた。
明智光秀が数多くの鉄砲を入手したことになっていた。


『八月の狂詩曲(ラプソティー)』の記事はこちら(2020年8月10日)
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http://ameblo.jp/miyacar/entry-12616473466.html

では、明日。