ゲド戦記Ⅲ・さいはての島へ//ル=グウィン | みゅうず・すたいる/ とにかく本が好き!
さいはての島へ―ゲド戦記〈3〉 (岩波少年文庫)/アーシュラ・K. ル=グウィン

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 「ゲド戦記Ⅲ・さいはての島へ」


 ル=グゥイン、著。



 『影との戦い』では、ゲドは魔法使いになりたての未熟で、向こう意気の強い若者だった。
『こわれた腕環』では、落ち着いた壮年の人格者に成長していた。
そして『さいはての島へ』のゲドは、魔法学校の最高責任者で大賢者と呼ばれる、最強の魔法使いの老人になっている。

 “その間”のエピソードは、作中で軽く触れられる程度で、ゲド戦記はゲドの年代記という体裁をとっていない。
『後は想像して欲しい。それこそが、物語を楽しむ最高の手段なのだから』、とでも言いたげなグウィンの顔が目に浮かびます。

 “想像”。
これこそが、『ゲド戦記』という物語のキーワード。
想像力なくして、この物語を楽しむ術はない。

 “光と影”の対立。
神と悪魔と言っても良いし、善と悪と呼んでも良い。
あるいは、生と死と対比させる事も出来る。

 この対立がゲド戦記の大きなテーマなのだが、この二つは必ずしも相いれないものでもなければ、闘争を続けているわけでもない。
ゲド戦記では、この二つは相反する両極ではなく、共に存在すべきものとして描かれる。

 在るべくしてある。
これが、この世界の均衡の法則なのです。
絶対否定はない。

 これが、ゲド戦記の不思議な世界観を生み出す。
独自な雰囲気を持った作品です。

 もう一つの大きな特色がある。
“神”も“悪魔”も(こういう呼び方をこの作品はしていませんが、便宜上そう呼ばせて頂きます)、この作品中にその姿を現すことはない。

 “影”は描かれても、それは“影”に心を奪われた人間(魔法使い)であって、怪物的姿の“影”が直接物語に登場することはない。
ここでも、グウィンの声なき声が告げます、『想像せよ』と。

 これは、作者の逃げではない。
描かずして、描く以上の効果を上げている。
ここは、グウィンの力量を讃えたいです。

 さて、第三話『さいはての島へ』では、統治する王を失って長い年月を過ごしたゲド戦記の世界“アースシー”に、新王が誕生するまでのいきさつが描かれています。
新しき王となる若者・アレン=レバンネンは、ゲドの従者として、この世界の危機を救う旅に出る。

 しかし、そこはゲド戦記。
ザコキャラを蹴散らし、ボスキャラをぶっ飛ばして…、などと言う展開にはならない。
延々と、無気力化してゆくアースシーの人々や、力を失ってゆく魔法使い・竜などが描かれる。

 そして、彼らとの対話・ゲドとアレンの会話・心の内…、そういったものが延々と綴られる。
前半・中盤…かなり…退屈です。
しかし、これが奴・グウィンの手なのですよね…。

 これがラストの畳み掛けへの仕掛け。
ぶ厚いからこそ、ラストがガツンとくる。
確信犯ですね。

 なんか、ねぇ…。
読まされてしまいますね。
最後まで読もうという気にさせられる。

 やはり世界中で愛されているファンタジーだけのことはありますね。
今回もやられてしまいました…。