自死遺族の私が感じたこと日々あれこれ~誰ひとり取り残さない社会へ~ -495ページ目
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自由大学「未来の仕事」第4期、参加者募集です。

私が昨年度、11月~12月に参加した自由大学「未来の仕事」 の第4期、参加者募集している。

講義内容が素晴らしいのはもちろんだが、参加してみて思ったのは素晴らしい仲間との出会いが私にとっては収穫だった。


私がこの「未来の仕事」を受講をしようと思ったのは、講師の西村さんのブログを4年前からずっと読んでいたから。


特に彼の考え方の、

「「一つの仕事」から「いくつかの働き」へ(二足・三足のワラジ、非玉砕主義)」

というのに私はすごく共感した。


私の家系は公務員一家で、転職するとか仕事を変えるとか、仕事をいくつも持った働き方をしている人はほとんどおらず(兼業農家だったが)、とにかく保守的封建的な考えの家柄土地柄で、私はそういう考え方価値観にずーっと疑問を持っていた。


もちろん母にも「やっぱり公務員はいいよ。安定している」と勧められた(母自身も公務員)


だが、当時は私は「公務員だからって一生安定ってことはない!うちの父親が公務員だが自殺したじゃないか。死んだら終わりだ。安定が何だ」と猛烈に反発していた。


母はやはり、父が亡くなっても、女の自分が働きながら経済的な不安もなく子供を育てられたのは、公務員って仕事があったからだ、という彼女自身の経験からくるもので私に公務員を勧めたのだと思う。


もちろん、ここまで育ててもらったのは、母親のおかげだ。

それを身近でずっと見ていた私は、彼女が大変な苦労をしたのは、誰よりも分かっているつもりだ。

なので、それに対しては当然ながらものすごく母親に感謝している。

私は未だに独身で、子供もいないから、ある日突然、全面的に信頼していた夫に自殺で死なれ、閉鎖的な町で、子供を抱えて生きていく女の人の不安や苦労というものは私には想像もつかないから。


確かに公務員は安定していていいと思う。

それは公務員を受験できない年齢になってからだんだんとそう思うようになった。

(遅いか苦笑)


しかし、まあ、それは今になって思うことであり、「公務員=安定」ってのはやっぱり違うと私は思う。

以前、私は地元の県庁で契約で働いて時も、隣の課の男性が自死したり、職員が県庁から飛び込み自殺する事件があったり(友人はその人が落ちていくところをガラス越しに偶然見てしまったらしい)


私の人生は、

ある日突然、あんなに怖くて強いと思っていた父が何も言わずに自死し、夫にある日突然死なれボロボロに傷つき、閉鎖的な町で必死に生きてきた母。

そんな両親の姿を見て、

「人生って何だ」「生きるって何だ」「人って何だ」「夫婦って何だ」

とずーっと自分自身に問いかけていくこと、模索していくこと。


西村さんのブログを見た時、「こういう生き方、考え方をしている人っているんだ。私もこうなりたい」と思ったのだった。


まあ、私がこの講義に参加した思いをつらつらと書いてみた。


人生には色々な働き方、生き方があります。

「これしかない、ここしかない」とあきらめないで。



もし興味がある方がいらっしゃったら、是非!







きっかけ


実は私は、昨年末12月4日にNHK総合で放送された『日本の、これから』 という番組に遺族として出演した。


そこで、顔出し名前出しはしなかったのだが(自分の今後のことや、家族親戚への影響を考え)、自死遺族として担任教師から受けた被害を話した(当時私は中1だった)


その後、番組に出演した方(その方は遺族ではない)から連絡を頂き、「まゆさんの発言に衝撃を受けました。そんな(遺族に対しての)差別偏見があるって知りませんでした」と。


私はその方の言葉を聞き、「私が差別偏見の後遺症で長年苦しんできたのに、それを知らない人が世の中にいるんだ・・・」という衝撃を逆に受けた。


その後、自死遺族の分かち合いの会に行き、遺族の皆で番組について話した。


「お金が無いから死んだっていうような番組の内容になってて、なんか違った」「本当に語って欲しいところは全然語られてなかったねー」などなど・・・


「まゆさんが話した内容に対しては、あまり触れられてなかったね。流されてたね。でも、あれが遺族としては一番話して欲しいところなのにね」と。


そうなんだよなー。


確かに私も自分の発言で、スタジオが固まる空気を感じた。


まあ、私が発言したときは番組も終盤に差し掛かっていたし、とにかく時間がないし、その上生放送で司会者のアナウンサーの方も、仕切るので精一杯という感じだった。(アナウンサーさんはベテランの方でその仕切り方はプロそのものでとっても素敵だった。番組に見学に来ていた友人もそう言っていた)


番組が始まる前に、ディレクターから番組の流れをざっと説明を受けたのだが、とにかくてんこ盛りで、しかも福島大臣という超大物が出演ということもあり(これは番組当日に知った)、出演者は20人以上。


番組は生放送で一時間半、その間にVTR放送もあるし。


「これは・・・発言の機会はほとんどないな」と感じていた。

実際、「発言の機会は一人3分以内しかありません。とにかく要点を的確に」みたいなこと言われ・・・


私、ど素人だし、しかも初テレビ出演が、生放送・・・しかも話したい人は挙手でって・・・

過酷・・・超過酷だよ(笑)


とにかく大変だった。

でも、楽しかった。本当にいい経験だった。


今回、番組出演のきっかけを作ってくださった、担当ディレクターのOさん。


Oさんは「まゆさんが受けた差別被害を、自死遺族に対して、そういう現実があるということをまだ知らない日本の皆さんに伝えて下さい」と言って下さった。


本当にありがとうございました。


そう、それで、その差別偏見・・・について、もっと知って欲しいし、遺族がなかなか語りたくても語れないところを知って欲しい。

訴えたい!と思った。


それには自分には当事者として何が出来るのか・・・

当事者の私にしか出来ないことは何か・・・


そう考えるようになった。


それが、このブログを始めようと思ったきっかけだ。


怖さ

今日から、新たにブログを始めることにした。


朝、急に思った。


「書こう」と。


自死遺族の私の心の叫びを。


これから私が出会う人。


そして、既に出会っている人たちに伝えたい。




正直とてつもなく怖い。


自分が自死遺族、ということは私は、友人知人にあえて隠してくることはしていなかった。


むしろ、「自死遺族です」と率先して話していた。


そこに怖さは微塵もなかった。


今までは。



自死遺族の叫び訴えたい、と思った時に自分に何が出来るか・・・・


あれこれ悩んだ。


色々な人に相談した。



NPOを立ち上げる・・・ことも考えた。



どうしようどうしよう。


自分に何が出来るのか。


私には強力なコネも力も、カネもない。




箱を作ることに気をとられ、いつまでもいつまでも肝心の自死遺族の叫び、を伝えるのは先延ばしにしていたらいつになるのか・・・




ああ、そうだ、私は怖いのだ。


社会に、少しでもこの思いを伝いたい、と思った瞬間、自死遺族として生きてきた自分の引け目や劣等感、申し訳なさ。


「自分なんかだめだ」という思い。


それを感じるのが私は怖いからだ、と。



怖いなら怖いでいい。


怖い、怖いと言いつつつこのブログを書いていこう。


そう思った。



その怖さこそが、自死遺族の私の心の叫びではないか。


私はいつも人の目に怯えている。


人が怖くて怖くてたまらない。


ひどい対人恐怖と醜形恐怖。



それを悟られたくなくて、いつも堂々としているふり、は得意だ。


人懐っこく見せるのもの得意だし、皆と仲良くうまくやっている風も得意だ。




しかし私の心には、深い溝があり、他人と深くかかわることを避けてきたところがある。


それはきっと無意識なんだと思うが。


怖いのだ。


他人と親密になるのが。



そして、それは同時に私に猛烈な寂しさももたらしてきた。



それはどんなに親しい人にも誰にも話したくなかったことがあるからだ。(親にでさえ)


それが、これから私がブログで訴えていきたい自死遺族の自分としての感情だったり、経験だったりする。



もしかしたら、昔から私を知っている人からはこのブログを読んで驚かれるかもしれない。




昨年末あるにことがきっかけで、私は「自死遺族に対しての差別、偏見があることを社会に訴えていきたい」と強く思った。(そのきっかけについてはまた改めて書いていきたいと思う)



これは、私の仕事、というか、いや、ライフワークだと思う。




私があとどれだけ生きるか分からないが、残りの人生、これをやっていきたいと思った。




ある友人にこのことを伝えたら


「それはもしかしたら、あなた一代で終わることではないかもしれないね。でも、好きなことをやったらいいと思うよ」と言われた。




確かにこれはかなり根深い問題で、きっと私が生きてるうちにほんの少しだけでも変わればいいな、くらい時間のかかる問題だと思う。


だから、地道にコツコツ、やって行こうと思う。


少しづつ。




皆さん、少しでも、私を助けて頂けたら嬉しいです。

宜しくお願い致します。


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