鍵られた時間

鍵られた時間

今、あの星へ向かう船に乗ろう

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生まれ変わるとしたら、どのような人生を送りたいですか?



先日、ある芸能人にファンがこんな質問をしていた。

その回答に、その芸能人は、


「今と同じ人生。だって今まで出逢った人に、また出逢いたいから」


って答えていて、その答えにジーンとなった。


人は自分の人生を生きながら、他人の人生を想像することができる。

想像でしかない他人の人生。100%理解なんて無理だ。

だから人は真の意味では自分の人生しか生きれないわけで、

その自分の人生を自分で愛せる人は幸せなんだと思う。



最初の質問に俺ならなんて答えていただろうか。

自分に問う程に意味がよくわからなくなる。

死んだら、その地点で、なにもかもが消えてしまいそうだし、

生まれ変わった姿を、生きている今の状態から想像できない。

それでは、俺は自分の人生を愛せているのだろうか。

これまた難しい問いではあるが、

少なくとも今の自分は嫌いではない。




今日も当たり前のように地平線の向こうへ夕日が沈んだように、

明日も当たり前のように地平線の向こうから朝日が広がる。


地球レベルで考えれば、

人間一人の生まれ変わりなんてものは、

夕日が沈んで朝日が昇るように当然で、

考えるに値しないのかもしれない。


でも俺は、そんな当然の中に「生」を与えられ、

その意味と日々向き合いながら生きている。




今日の続きが明日であるように未来も少し先でしかない。

今日の前日が昨日であるように過去も少し前でしかない。


時間レベルで考えれば、

人間一人の一生なんてものは、

記憶が出来ないほどに短くて、

覚えるに値しにのかもしれない。


でも俺は、そんな当然の中に「生」を与えられ、

その意味と日々向き合いながら生きている。



明日の朝眠りから覚めたとき、

それが俺の新しい人生だ。


もう、こんなんでいい気がしてきた。

不満には希望を持たせ、

できない理由は闇に捨てよう。

そこには希望という可能性が広がっている。



もしそれがすべてだとしても、

今の俺にはそれだけで十分だ。

「テーブル席使いますか?」

スタバで、階段をあがった二階席の入り口に立っていたら、お店を出るお客様に声をかけられた。無料券があるからと、やたらでっかいフラペチーノを注文した俺みたいな男が、混雑する店内に一人で立ちすくんでいる光景。明らかに浮いていたのだろう。困っている人に嫌みもなく声掛けをしてあげられるやさしさ。左右にも前にもお客様のいる大きなテーブルに申し訳ない思いで腰を下ろすと、ふとつぶやいた。今の俺にはこうしたやさしさは備わっていない。


春は出会いと別れがいつもより多い季節なんだと思う。はじめましてがあれば、さようならがある。すれ違う街の中で、これだけたくさんの人の中で、ほんの一瞬でも近づけた人は、それはもう出会った人だと思っている。俺の周りには最近、2㎞先の友人という感じの人がいる。いつもはそれぞれの環境の中で生活し、何かあるときに連絡を取り合ってお互いの存在を確認する。数か月ぶりにあっても、昨日あったような感じで話し始められる人。離れていても、がんばってる顔が思い浮かぶ人。


今日も1日元気だった。

他人にやさしくできるような余裕は相変わらずないけれど、
それでもつながれる人を大切にしたい。


今日の夜空に満天の星が輝くように、
明日の街も笑顔で輝きますように。


星が流れても祈りにも似た奇跡を願うのはやめよう。

未来は今、八方に広がっている。

物心ついた頃から、秋という季節が好きだ。



夏から季節が移りゆくにつれて、日没が早まり、夜が長くなり、どこかセンチになる。そんな秋が好きだ。



桜満開の春に「この桜が観れるのは今年が最後かしらね」と重病患者がつぶやいて、なんて言っていいかわからなかった、とある看護士が言っていたけど、俺は秋になると「この秋を何回経験すれば自分が納得できるようになるのだろう」と考える。


気分的にも時間的にもギリギリという意味で、この患者の気持ちに近いのかも。それでも、そんな秋が好きだ。



自分に不満があるわけではない。

毎日その日のベストを尽くそうとはしている。


ただ思い描いていた未来と今のギャップに人生の難しさを感じる。



夢を実現している人は、人並み以上の努力をしている。切り開く力と同じくらいに大事なのは、きっと受け入れる力。



あの日の夕日に涙するなら、明日の太陽を笑顔で迎えよう。


あの日の雨に涙を流すなら、明日に全力の汗を流そう。



今日は楽しかった。




今、残したいのは、ただシンプルなこの事実。




鍵られた時間








I can still recall it quite vividly in my mind.

That took place way back in the past.


When I was an 8 years old boy.

I went to elementary school, I was a dreamy boy, I suppose.

I liked to keep kicking a chosen tiny stone on the way home.

Sometimes I could keep kicking it from school to my home.

Sometimes I lose it on the way home.

I don’t remember why I did that.

But I felt a kind of fortune, when I could keep it.


When I could keep kicking it, I thought I could speak a girl.

When I could keep kicking it, I thought I could get a candy.

When I could keep kicking it, I thought I could run faster than classmates.


One day, I heard my grandmother would have a difficult operation.

My mother said that the operation is too hard for her.

I was very shocked.


The day before her operation,

I thought if I was succeed in keeping a stone from school to my home, the operation would go well.

I hoped and prayed from the bottom of my heart.


However, the stone fell down to the creek.

I was disappointed.

I was sure that my grandmother’s operation would fail.

After I came back home,

I could not sleep at all. I could not eat at all.

I felt strong guilty all through the night.



The morning of the next day came.


I have no energy to kick a stone on the way home.

However, my problem was solved suddenly.


When I came home, I heard my grandmother’s operation was successful.

I jumped with joy.

And I really wanted to tell someone my happiness and relief.

I felt freedom perfectly from all things.


I stopped kicking a stone and I have never kicked it since that day.

My stone turned into a piece of my life.

I began to walk my life on my own foot.




                         (C)greeneyes 22/08/2013


○の中だけが抗菌だって!?!?


それじゃ、つかまれないし、あぶないじゃん!




初めて自転車に乗れた日のこと覚えてる?


そうやって頼るからダメなんだよ!




たしかに君の言う通りだ


つかまらなくたって、立ってられるし、上がれるし下りれる


でもさ、なんか少し不安だったから、


○の淵をなんとなく1周なぞってみた


繰り返す1日を振り返るように、


○の淵をなぞってみたんだ




虹の架け橋