私のルーツ | 「国家戦略特区」blog

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ポスト・グローバリズムの社会を考察。日本を貧しくする移民=外国人労働者受入れ政策に警鐘を鳴らしています。

経世済民・建築論『私のルーツと原風景』

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日本の国土を考えた時の風景論として、外せないのが水田地帯だと思います。我々からするとごく普通の景色ですが、かつて日本に訪れた西欧人からすると、それを眺めるだけでも十分珍しい観光資源になったそうです。

私もそのような風景に愛着を感じる一人ですが、母方の祖先は、利根川水系の水田地帯で代々農家をしていました。

私も子供の頃の夏休みは母と帰省していたので私にとっても「田んぼ」は原風景となっています。その頃、母の実家の近くには同年代の子供がいなかったので、祖父母の家に行っても遊ぶ友人も無く暇で、あぜ道を自転車で走ったりして過ごしていました。

当時から不思議だったのですが、その場所の地名に「海」や「磯」が付いていたのです。もちろん海は遥か遠くの場所なのですが最近その謎が何となく分かって来ました。1万年ほど前、海面は今より100mくらい低かったそうなのですが最終氷期が終わり地球が温暖化すると約千年掛けて海面が上昇したそうです。

日本で言うと縄文時代の初めの頃の出来事ですが、結果、今まで山だった場所まで海になってしまったのです。それ故、縄文時代の海岸線は今より大幅に内陸に来ていました。その後、寒冷化で再び海面も下がり、更に河川の運ぶ土砂でも徐々に陸地化し、灌漑事業で今の水田に変わったのです。

例えば、大阪で島の地名がついている場所は、古代においては実際に島だったそうです。そのように考えると、私の先祖も今は利根川になっている一帯が入江だった大昔、もしかしたら数千年前に、そこに暮らし始めたのでしょう。それが、海と無関係なのに「海」や「磯」の地名がついている理由なのでしょう。

そのように考えると集落のある場所は、水田より若干標高が高く、昔は水田になっている場所が海で、磯に面して半農半漁の暮らしをしていたと想定出来ます。母屋の隣には相当に古い樹齢の神木があり幹の半分くらいは中空になっていたのですが、内部には本当に「白い蛇」が住んでいました。正に神の使いです。

稲作は当時から、既に機械化されていましたが、減反も始まっており、水田の中に不自然にトウモロコシなどを育てている場所が出現していました。叔父に訊ねると「政府の指示でコメを作ってはダメなんだよ」とやや寂しそうに笑いながら教えてくれたのが印象的でした。

集落の周囲には畑があり野菜など作っていて、自家用だけでなく出荷もしていたと思います。祖母は卵を取るために鶏を飼っており、祖父は小規模な養豚業を営んでいました。今は畜産業も大変らしいのですが、40年ほど前は、それ程、経営環境が厳しく無い様子で祖父は結構お金を稼いでいた印象を持っています。

祖父は全く贅沢をしない人でしたが、子や孫や親族に相当経済的な支援をしていたようで、私もお小遣いやお年玉を結構貰いました。豚小屋には、種豚や母豚がいて、子豚をある程度大きく育てて出荷していました。

特に印象深かったのは豚の出産です。8匹以上の子豚が産まれるのですが、中には死産もいました。また子豚は全部同じ大きさでは無く、元気な子豚は乳の良く出る大きな乳房に食らいついてドンドン大きくなるのですが、弱い子豚は乳首に食らいつく元気も無く心配していると数日後に息絶えていたりします。

今考えると、どんな学校の授業よりも命の問題について考えさせられたように感じます。祖父は、養豚業を個人的な副業として考えていた様で、家族が後を継がなかったので廃業してしまいましたが、後日談があります。

祖母の実家の親戚が祖父から養豚業を学び、大々的に事業を展開し始めたのです。祖父は一人で切盛り出来る範囲で養豚を行っていましたが、この親戚は、機械化し大規模経営化によって今では日本で十指に入るほどの巨大養豚業者となっています。私は最少の畜産農家と最大の畜産農家の双方を目にした訳です。

先日「新世紀へのビッグブラザーへ」に食料安全保障の為に耕作放棄地を含む総ての農地で生産した上で、稲作に適した場所で作ったコメは政府が買い上げ最終的に家畜用の飼料として「捨てる」(タダで提供する)。という提案を行ったのも、田舎が稲作農家で、養豚もしていた祖父の姿を見ていたからだと思います。

ご意見も頂いたのですが、コメに拘るのはどうなのか?との指摘がありました。ただ私は「稲作に適した場所は、コメを作れ」としているので、稲作に適さない場所は、他の穀物を育てたら良いと思います。関東地方でも武蔵野台地に属する場所は、逆に一面に畑が広がっています。ココではコメは適しません。

母の実家の水田は、なかり整備が進んでいて、仮に積極的な専業農家を目指す方がいれば、相当大規模な稲作が可能なように思います。実際、今では水田を他人に預けて、耕作してもらっている様です。また跡取りの親族は公務員を定年退職したので、定年後に専業農家デビューしたとも表現出来ます。

私も20年くらい前は、ネオリベ思想に冒されていたので農業も大規模化すべきと思っていましたが、専業農家による大規模化もアリだし、本業を持ちながら兼業農家を続け、定年後にデビューするのもアリだと思います。どちらも重要ですが、大規模農家だけになれば地域社会が崩壊するでしょう。

各地の平野部を電車で移動すると先人たちが湿地帯を治水や灌漑で作り上げた水田が広がっており、正に我が国は「瑞穂の国」である事を実感します。この原風景を守り抜くには、コスト優先だけではなく、食料安全保障の観点、あるいは地方社会や風景を守る観点から、農業を捉える事が重要だと想う今日この頃です。


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「松田聖子/風立ちぬ」

『進撃の庶民』は行き過ぎたグローバリズムなどに警鐘を鳴らすブロガー支援目的のサイト。本エントリーは同ブログ水曜日に連載中のコラムを転載。



  




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