震災の町が形になるまで、もう少し頑張ってみる! | 横沢洋!おそうじ片付け長野県松本市より

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はじめまして
おそうじ片付け隊ホームサービス松本店の横沢洋と申します。
長野県松本市でハウスクリーニング・片付け・リフォーム業をしております。
趣味はJAZZ音楽鑑賞です。以後、宜しくお願い致します!!


【震災の町が形になるまで、
   もう少し頑張ってみる】


毎土曜の朝6:10~の15分は、
NHKラジオ「土曜朝いちばん」
「復興へのメッセージ」コーナー

私のブログ登場は3回目。


今回も、震災被災地の今を
産地直送してくれる番組!

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今回は加藤さん(兵庫出身)
東京で大学卒業後、内定先就職止め
宮城県の唐桑町へボランティアに

それから3年後、
住民票を移し、嘱託職員で活躍する

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「いつまでこんな町にいるだ?」
「オメエ、将来どうっすっだ?」

「親は、泣いてるよ~ぉ?」
「東京帰ってチャンとしろよ~」


最近、3年目を迎え、
地元の人達に、
加藤さんはこう言われるという。





この後、こここでどこまでやるか
自分にも分からない。

そんな時、
一緒に街創りをやる地元の仲間が、
たまたまの話の中で、

「10年やって、何かみえるはずだ」
といったそうだ


「10年か? マジかよ!」
「でも、形になるには
 そのくらいはかかるかもナ」
と,加藤さんも最近は
そう思うようになったという。



  *-*-*-*-*-*


今、唐桑町には、
  3種類の人が住む

・避難所に住む人。
・避難所から出た、仮設の人。
・在宅で避難してる人。



この人達の間に、それぞれ
「嫉妬」「ねたみ」が
生まれるているという。


昔ながらの良い人達が住んでいて、
集落のコミュニティーが、
こういう形で引き裂かれて
いくのかと思ったという。


そういうことを、直に、
聞く事が出来るようになった。

この信頼関係は、2日や3日の
ボランティアでは聞ける訳はない。
3年目の最近だという。



これを聞いた以上、なお更、
ボランティアを途中で止められない

「町が形になるまで、
もう少し頑張ろうと思う」と
加藤さんは心に決めた・・・。






【震災後まもない気仙沼】(唐桑町‎-2011年5月1日)


宮城県気仙沼市唐桑町(旧・本吉郡唐桑町)を
浦、宿浦のルートで車に乗りながら撮影