闘う刑事弁護から見える国家権力の本質 | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

ブログの説明を入力します。

 先日、「闘う刑事弁護」をテーマにした勉強会があったのですが、そもそも、刑事弁護は闘い、権力との闘争なのです。そして、その闘いの大きなポイントは、公開=オープンという状況にあるか否かが重要です。

 権力は公開状況下での闘いを嫌います。違法・不正な常套手段や私たちにあまり見せたくない恥ずかしい処置がとれないからです。

 具体的に話しましょう。例えば、痴漢事件。電車の中で、手を掴まれ、ホームにおろされ、駅員室に連れて行かれれば、そこからは、完全な「被疑者」コース。
 たいていは、手の指の繊維の採取がされるのですが、「よい結果」が出ないと当然には、検察側は証拠として出してきません。つまり、被疑者の手が被害者の女性の衣服を触った場合の科学的鑑定なのですが、たとえば、鑑定した結果、「衣服の繊維の付着が認められない」という結果が出たらどうするか。

 「常識的」な皆さんは、だったら警察や検察は、被疑者を釈放して事件は終わり、じゃないの?と思うでしょう。
 現実には、その鑑定結果は隠しておいて、被疑者に自白を迫ります。

 検察は、不利な証拠は持っていても、自ら出すことはないのです。ここが「ヒーロー」的な、テレビドラマ的な、全体を考え「いいことしてくれる正義の味方」感、と大きく異なるところです。

 結局、起訴された後、被告人が「指先をテープのようなもので採取された」と主張して、検察側に鑑定の開示を迫ったところ、「付着は認められない」という鑑定結果に「付着していないからと言って触っていないとは言えない」という科捜研の意見書が、わざわざ添付されて提出されました。

 裁判員制度とセットのように導入された「公判前整理手続」や「期日間整理手続」も、証拠を獲得するためには有効なのですが「非公開」です。別に、非公開にする意味ないのになあ、と思っていたのですが、この手続の間に、検察側は証拠を撤回したり、補充捜査したりやりたい放題。たしかに公開されていると恥ずかしいようなことも出来るわけです。

  残念ながら、捜査機関は、早々に、「犯人らしき人」を見定めたら、そこから先は「犯人探し」ではなく、「犯人らしき人を有罪にする」ための捜査に進みます。

 「現場」の感覚からすると、警察官(刑事)や検察官、さらには公安刑事まで、テレビドラマの主人公としてカッコ良く描く状況は、酷いな~、デタラメだな~と思います。まあ、そういうドラマしか許されないし、そう信じているのかもしれません。
 むしろ、国家に逆らう人は、「テロリスト」と基本的に描かれます。やれやれ。けれど、公開=オープンを嫌う以上、逆に、私たちが権力の動向にしっかり目を光らせるのは、ホント、大事なのです。