「何故、悪い人を弁護できるのか?」という問い | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 よくある素朴な問いとして、「弁護士さんは、なんで悪い人を弁護出来るんですか?そんなのやってらんないんじゃないですか?(よくやりますよねえ)」というのがあります。

 この問い自体、「設定」を確認すべきではあります。まず「悪い人」というのは誰の、どのような根拠に基づく判断であるのか。また、その「悪さ」というのは、どの程度なのか。そもそも、弁護士の仕事は弁護だけではない、というよりか、概ね違うんだけど・・

 ということですが、答えとしては「どれくらい本当に悪いかわからないから」ということになると思います。
 刑事弁護でいえば、国が「悪い」とある段階で言っているわけですが、①全く間違っている場合、②悪いけど国が言う程ではない場合、③相当悪くて弁護の余地がない場合、ということになると思います。①、②は弁護出来ますね。③についても、その判断が正しいか、どうかをやはり「自分(弁護士)が」判断する必要があるでしょう。

 実際問題、弁護士は断る場合はあるのです。その人の為にも、一所懸命出来そうもない場合は断るべきでしょう。

 それと反対に、たぶん世間の共感を得ることは難しいけど、自分としてやってみようという場合もあります。

 刑事事件ではありませんが、たとえば、ある時期(というのは20年くらい前ですが)の「ホームレス」の人々を代理するというのは、完全に異常なことと思われていました。「好きであんな人生選んでいる人たちをなんで支援するのさ? 自業自得じゃない。」みたいな。

 そもそも、「好きで選んでいる」という偏見がベースにあったのですけどね。当時の青島都知事も同じような偏見をコメントしてましたけど。

 「世間から理解・共感を得にくい人」や「悪い人」の弁護、という意味では、誰かの弁護をするということは多かれ少なかれ「悪い人」の弁護なのです。皆、完璧ではありません。どこかしら落ち度があるのが人。「100vs0」みたいな話はまずありません。
 つまり、罪深き人の弁護・代理をするのが弁護士の仕事です。まあ、他人のこと言えないしね、弁護士だって。

 ということで、タイトルの問いの答えとしては、「それが仕事だから」ということになる、のかな・・・・。しかし、それでも「仕事を選ぶ」、ということは大事ですね。『選べる』というか・・・精進、精進。