無罪を争う―THIS IS 弁護士の仕事 | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 (最終弁論における)証拠要約は弁護の技術のなかでも高度のものに属する。それは、当該技術の包含する多くの要素の結合であり、完成である。それは、事件のクライマックスである。それは、そのときまで一見不利なように見えた事件を救う機会である。それは、弁護士の備えている一切の腕前を要請する。いな、それは単なる腕前以上のものを要求する―それは彼の勇気への召集令状であり、人格の試金石であり、論理と推理力、記憶力、忍耐力と智謀、説得力ある言葉で自己を表現する能力、といったものの試練である。・・『弁護の技術』J・P・ストライカー

 誇りと自負に溢れた言葉ですが、そもそも無罪を争う事件に出会うというのは、それほど多いことではありません。そもそも、刑事事件の依頼というのは多くないですし、その中で無罪を争うということになるのは極めて稀です。

 という割には、これまで結構、巡り会わせでやってきた方かもしれません。
 3年前の某有名人の事件の場合のように、頑張れば、そもそも起訴されない=裁判にならないという事件は公安事件などでは割と多い(それだけ、いい加減な逮捕・勾留がなされているということですが)のですが、起訴され、つまり裁判で無罪を争う、というのは、それほど多くはないはずです、普通。まずは起訴されないことが大事です。それでも起訴された事件が無罪を争う事件ということになります。

 なんと言っても、裁判になっている刑事事件で、無罪になるのは1000分の1位ですから。

 厳しい闘いです、しかし、それこそが弁護士の仕事、と思うのは、この「刑事事件」だけは憲法でも弁護人(刑事事件では弁護士は「弁護人」です。)の仕事は規定されています(34条)し、隣接他士業とも、取り合いになったりしません。まあ、「ビジネス」にはならないので・・・ましてや、本格的な権力闘争である無罪を争う事件というのは、弁護士でもやらない人が多いと思います。

 それでも、そこに志をもっている若い弁護士もいます。刑事弁護こそ弁護士の仕事である、という志を。

 もちろん、単なる「職人」になってしまってはいけません。と私は思うのです。技術的に、思想ではなく、刑事弁護をテクニカルに行う、誰でも弁護する、という「優れた」弁護士もいます。もちろん、学ぶべきものはあります。けれども、それでは人として尊敬できません。

 また、同時に、口先ばかりで具体的事件において、結果が出せないというのも嫌です。ああ、言っちゃった・・・自分にプレッシャーだけど。

 簡単に無罪が取れるような事件は一つもありません。これまでの経験からも、裁判官に受け入れられるような、気に入られるような弁護活動で無罪を勝ち取ることはありません。裁判官から、鬱陶しく思われ、うるさい奴だなと思われ、しつこい奴だなと思われ、やっと獲得できるものです。諦めそうな自分の弱さとギリギリまで闘って、やっとやっと、取れるかもしれないのが無罪。

 う~ん、それでも、取りたいのです。