一般論と自分 | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 新聞やテレビ、さらにネットの情報、さらに友だちとの会話などから、時代や世界の変化、という情報は入ってくるでしょう。当たり前ですけど、3年前には原発事故が起こり放射能汚染が生じています。さらに、安倍政権は閣議決定にて「戦争する国」を宣言しガイドラインも変更する方針です。この背景には経済の行き詰まりがあり、今日の今日、世界同時株安の傾向も訪れています(2014年10月)。

 つまり日本を取り巻く状況は、危険きわまりなく不安定なもの、ということが出来ると思います。

 ただ、だから? 私の生活とどう関係あるの? 結局は別に、さして影響ないまま何とかなるんでしょ?というのが、「一般論の中の私たち」の感覚ではないでしょうか。

 消費税値上げ、なら買い物の支払いのとき、ちょっとメンドクサさが変わるから気になるかも・・・。それにしても、甲状腺がんが増えたって言っても政府は関係ないって言ってるし、何しろオリンピックやるくらいだし、戦争なんて昔はやったかもしれないけど、また、やるバカいないでしょ。世界同時株安?ああ、俺、株やってないから。まったく関係ありませ~ん。

 そもそも、じわじわと来る日々の生活の圧迫(ボーナスカットとかローンの支払いとか)と生活の細々としたこと、さらに便利だかどうだかわからないけどスマホとかドンドン新しくなって振り回されるばかり・・・。そんな「大きな」こと心配している余裕ないなあ・・・。

 世界がどうなるかの前に、私の生活がどうなるかっていう方が大事なの!というのが、真面目に今を生きている人の素直な感覚だと思います。

 自分だけは特別、というわけではなく、一般的な時代の傾向と自分たちの個人的な生活・環境がどう具体的に関連するかはなかなかわかりません。頭では、職業の区別なく放射能には被曝すること、戦争が始まったり、個別具体的な負傷と死の危険が目の前に現れること、などはわかっていても、です。

 実際、予測できること、つまり、新聞の小さな記事が既視感のように、だんだん増えてきたなあ、同じことが起こっているのかなあと「一般的に」思えてくることと、自分のこと=個人的問題として捉えることは全く異なります。

 私もしかり・・・。どうすればいいのだろう? これは、ただの「一般的傾向」か、それとも、「私にも関係のあること」なのか? どう見極めるのか。
 リアリティをどう持ち、どう対処するか、ですが、とりあえずは、「選択肢」を複数化するというか、少なくとも「これしかない、これが潰れると生きていけない」という状態にならないように、なるべくフレキシブルに身軽に動ける準備をしておく、ということでしょうかねえ。例えば、語学の習得などもその一つでしょう。・・・わかっちゃいるけど・・・ねえ・・